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〇群馬県

2022年11月 6日 (日)

磁鉄鉱(群馬県利根郡川場村川場鉱山)

Magnetite Fe2+Fe3+2O4 酸化鉱物

 

Magnetite_kawabam_01

Magnetite_kawabam_02

 

群馬県川場鉱山(鉱石山)の磁鉄鉱です。正八面体のなかなかきれいな結晶ですね。茶色の母岩は灰鉄柘榴石です(灰鉄柘榴石(群馬県利根郡川場村川場鉱山))。

ありふれた鉱物ですが、きれいな結晶はやっぱりいいですね。探しやすい鉱物の中では、水晶と並んでもっともかっこいい鉱物のひとつだと思います(そんな基準聞いたことないけどw)。鉱石山で採集した柘榴石はネット上でよく紹介されているけれど、磁鉄鉱のことはあまり見かけず、頭になかったので、見つけた時はおおっとなりました。

鉱石山はスカルンですが、その変成の熱源は赤倉谷花崗岩(磁鉄鉱系列)だそうです。花崗岩はマグマが深いところで固まった深成岩なので、このあたりに多い温泉の熱源にもなっているのでしょうか。近くには、塩河原温泉、川場温泉、小住温泉など、いくつかの温泉が点在しています(鉱石山の右側を通る県道64号線は、奥利根ゆけむり街道という別名がある)。

川場温泉は1200年前、弘法大師が見つけた(お湯を出した)という伝説になっていますね。弘法大師にまつわる話はあまりに多すぎるので、それが本当かどうかというのは重要なことではありませんがw とにかくかなり古くから知られていた温泉というのは確かなようです。温泉というものの有用性を考えたら、それがどれだけ貴重なものかわかるというものです(何もないところからあったかいお風呂を用意する難易度の高さを想像してみよう)。

 

空海がらみの話は日本全国にありますが、空海、役の小角、安倍晴明は、日本の(いい意味での)三大心霊的ヒーローですね。悪い意味だと菅原道真、平将門、崇徳上皇で三大怨霊(昔、長銀が健在だったころ仕事で大手町によく行っていましたが、女性社員がいつも将門の首塚に花を供えていたと聞いたことがあります)。

鉱石山は武尊山の前衛です。武尊山はもちろん日本武尊からきていますが、修験道の山でもありました。でも、そんな古い歴史があるわけではないようです。開山は江戸寛政年間とのこと。日本武尊と結びつけられたのも、この時期からでしょうか?(大体どうしたら「武尊」を「ほたか」と読めるのかという) 日本武尊も、地名などの由来の際に引き合いに出されることの多い名前です。大抵は笑って聞いて楽しむ感じの話ですが、たまに、え、これは一体なに? どういう由来が? と怪しむような地名、それにからんだ伝説がありますね。

奥多摩の鳩ノ巣溪谷のあたりに将門神社、将門大橋という場所がありますが、そのさらに奥、奥多摩駅から雲取山に向かって尾根を大分登ったところに、将門馬場(1455m)という山があります。なぜこんな山の上に将門の名が? しかも馬場? 。。。なんでも、東国に逃走した将門が通ったルートだという伝説があるようですけど。。。「実は生きていた」系伝説ですね。

大月の北方、金鉱のあった金山のそばには、「セーメーバン」(1006m)という不可思議な名前の山があります。そのあたりの伝説では、「セーメー」は安倍晴明のことで、「バン」(盤)は鉱山用語の鉱脈のこと、村人に頼まれて水を引こうとした晴明が鬼にだまされて亡くなった場所「晴明盤」である、とか。この場合のバンとはつまり水脈ということでしょうか? 鉱山用語を調べると、「上盤」とは「鉱脈の上側にある岩石の層」、「下盤」は「鉱脈の下側にある岩石の層」と説明されているので、盤には脈という意味が確かにありそうですね(別子鉱山用語集)。一体なにがあったんだ?(ちなみにこの場合の「晴明」とは、安倍晴明本人のことではなく、陰陽道関連の人、という程度の意味じゃないかと思います。)

大体山の上で水脈というのはおかしい気が。。。探すのなら鉱脈か(金山という土地柄もありますし)。陰陽道というのはいうなれば、龍脈を探しそれを活用する知識をもった人のことですから、そこから連想される水脈や鉱脈に対する知識を持っていたというのは、うなずける話ですね。鉱脈を探す際、なんらかの役目を陰陽師がおっていたというのは、ありえそうな気がします。

東丹沢の菩提峠から二ノ塔に大分登ったあたりには、日本武尊の足跡といわれる石があります。全然足跡には見えないのですが、その周辺の地形は何となく人工的な感じで、まるで遺跡のなかみたいな雰囲気が漂っています。多分、相州大山から現・ヤビツ峠、菩提峠を経由して塔ノ岳方面に登る古い行者道のルートがここを通っていて、宿泊所のような施設があったのではないかと思います。江戸期に流行った相州大山詣りですが、やはり当時信仰登山で流行った鐘ヶ嶽を経由して大山に向かう尾根上(ここも行者道で、現在では弁天御髪尾根と呼ばれる)には、すり鉢広場と呼ばれている窪地があり(空鉢嶽)、ここも、行者たちの宿泊所があったといわれています。八菅修験道の中心地で、近くの経ヶ岳あたりは弘法大師、役の小角の伝説までそろっていて、大盤振る舞いといった感じw

多分、昔からヒーローものって人気あって、人を集めるにはよかったという一面もあったのでしょうね。もちろん、そういう各種逸話のもとになる出来事がなにか実際あって、それが少しずつ姿を変えながら伝わってきたと考えるほうが自然だと思います。どんな怪しげな伝説であっても、必ずなにかその核になるものはあって、完全な創作ってそうそうないんじゃないかなあ。

 

2022年10月30日 (日)

重晶石(群馬県甘楽郡下仁田町中丸鉱山)

Baryte Ba(SO4) 硫酸塩鉱物等

 

Baryte_nakamarum_01

Barite_nakamarum_02

 

下仁田・中丸鉱山の重晶石です。

国道254号線沿い、荒船湖近くのとんかつ屋さんの駐車場をお借りして、行きました。次の日の帰り(荒船山に行った)、このお店に寄って食べていこうと思ったら休みでした。残念! 近くに温泉施設もあるので、そこに駐車して、温泉に入っていくのもいいかも?

(20221106追記 メインの写真をアップするのを忘れていましたw)

橋から沢に下りられるので、沢を遡上していってもいいのですが、駐車場の裏手、沢の左岸沿いに踏み跡があるので、そこを登った方が楽だと思います。しばらく行って沢に下りて急な箇所に来たら、今度は右岸沿いにジグザグに登る踏み跡があるので、そこを登りきると、坑口に出ます(登る途中の斜面にも、分かりづらいけれど、抗口の跡らしい穴がありました)。坑口の上が下の写真のようなズリになっていて、その上にも平場があったので、そこがメインの坑道だったのかな?

山ほどあるズリの石を割って探していけば、多分ここに来る人の一番のターゲットである輝安鉱は見つかるでしょう(そのうち取り上げます)。そうやっているうちに見つけたのが、写真の重晶石です。こちらはそのまま落ちていたので、すぐ目につきました。

 

Nakamarum
中丸鉱山のズリ。写真で見るよりは急斜面なので、複数で行くときは落石注意ですね(鉱山跡は大抵そうだけど)。

 

 

地図を見ると、荒船湖、中丸鉱山すぐそばを南北に電線が走っているのがわかります。

この電線は西群馬幹線といって、静岡から群馬までを走る長い電線で、平均で100mを超える巨大鉄塔群が延々と立ち並んでいます。

人家を避けるためか、山の中を通っていて、関東近辺の山に行く機会の多い自分には、とても馴染みが深い幹線です。よくこの鉄塔の管理道も利用させてもらったりもするのです。鉄塔は尾根上、稜線上に作られることが多いので、尾根歩きがメインだと、出会うことも多いのです。林道から尾根にあがる時、擁壁になっていたり、とても登れない崖だったりすることも多く、管理道というのは尾根の取り付きに便利なのですね。プラスチック製の階段があるのが東電管理道の目印。

この幹線の出発は、群馬・四万温泉手前の四万湖そばの、西群馬開閉所。ここから大月の東山梨変電所を経由して、静岡県駿河小山の新富士変電所まで延々と続いています。群馬から山梨までで140km近く、200以上の深い山中の鉄塔が、わずか5年程度で作られたというのは、ちょっと信じられません。

鉱山がらみでその経路をざっと説明wすると。。。新潟の柏崎刈羽原子力発電所や福島の第一第二原発(まあ今はああなってしまいましたが)からの電気を西群馬開閉所で集め、八ッ場ダムそばで吾妻川を越え、関東山地の深い山中を通って、中丸鉱山、荒船湖すぐわきを通過。双晶水晶で有名な三ッ岩岳西方、御座山(この周辺が人里離れ山深いのは、あの航空機墜落で有名な御巣鷹山の周辺ということでわかると思います)、御陵山そばを通過して長野県川上村を越え、奥秩父に入ります。瑞牆山の西から、増富鉱山のほぼ直上を通って徐々に東に進路を変え、黒平北方、乙女鉱山のある琴川ダムのそばを通り、笛吹川を越えてから竹森・鈴庫鉱山、黄金沢鉱山のすぐそばを通過、大菩薩湖に近づくとまた進路を南に変え、日川沿いに走り、門井沢のペグマタイト直上を通って、笹子雁ヶ腹摺山を越えて、大月の東山梨変電所にたどり着きます。

東山梨変電所から本社ヶ丸稜線を越え、宝鉱山直上を通り(宝鉱山から本社ヶ丸に登る登山道は、この幹線鉄塔の管理道です)、三つ峠・湯の沢鉱山そばを通って都留・桂川を越え、道志と丹沢をつなぐ山伏峠、オリンピックの自転車コースにもなった明神峠を通って、西丹沢南麓・富士スピードウェイそばの新富士変電所にようやく到着です(ちなみにこのすぐそばの須川上流にも鉱山があったという話が。。。)。

すごいですね。西丹沢から荒船湖、さらに四万まで全部つながってるって、実にわくわくします。各所で自分のよく行く場所とかぶることも多いので、とてもなじみ深い電線なのです。また君か、って感じで。電気になれるスタンドがいたら、あっという間に移動できるわw(レッド・ホット・チリ・ペッパー)。

普通は山登りでは景観的には鉄塔と電線は邪魔ものなのかもしれませんが、個人的には場所の特定やルートどりという点で、大変お世話になっている存在です。この鉄塔群全部を周るとか、そういう趣味もありなのかも?(いやないかw)

 

264208
左:神奈川・西丹沢ヒモシ峠の264号鉄塔。右:山梨・笹子雁ヶ腹摺山北尾根の208号鉄塔。

 

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左:山梨・増富・五里山の147号鉄塔。右:山梨・鈴庫山から見た竹森の西群馬幹線。左下の鉄塔のすぐ向こう側に黄金沢鉱山がある。鈴庫鉱山は画面下の尾根の向こう側。

 

213
本社ヶ丸から見た東山梨変電所。その右上の尾根上のひときわ大きいのが213号鉄塔。上の三角の山は笹子雁ヶ腹摺山。

 

2022年7月 4日 (月)

硫酸鉛鉱(群馬県甘楽郡下仁田町中丸鉱山)

Anglesite Pb(SO4) 硫酸塩鉱物等

 

Anglesite_nakamarum_01

Anglesite_nakamarum_02

 

下仁田の中丸鉱山で採集した硫酸鉛鉱です。

群馬県下仁田から長野県佐久に関東山地中を抜ける国道254号線、荒船湖の北あたりにあり、輝安鉱で有名な中丸鉱山です。最初、ズリできれいな劈開の石を見つけて、よく見もせず方鉛鉱かなと思い何気なく拾った石ですが、あとでよくよく見てみれば、確かに方鉛鉱の部分もあるのだけれども、多くは透明な草色になっていました。内側できれいな虹色に光っている部分もあちこちにあり、実にきれいなもんです。方鉛鉱仮晶ということになるのでしょうか。まるで宝石のようですが、モース硬度3なので、宝石にはなれません。

方鉛鉱が酸化して、硫酸鉛鉱になります(PbS+2O2→PbSO4)。写真中の銀色の部分が方鉛鉱でしょう。明確な境界で区切られ変化しているさまがよくわかります。金属質のものがこんな透明なものに変化するとは面白いですね。この境界はどのように決まるんでしょうか。まったくランダムなのか、成分の違いなのか、環境の違いなのか、興味あります。

屈折率が高い(1.88-1.89)ので、輝きが強く、虹色に光る部分が多いのもそのせいかな? 長波UVで、濃い目のオレンジ色に光ります。Anglesiteという名前は、イギリス・ウェールズのアングルシー島で1783年に発見されたことに由来します。アングルシー島では、ローマ帝国時代から、鉛や亜鉛、鉄などの採掘が盛んだったといいます。

この方鉛鉱と硫酸鉛鉱に接する感じで、小さな水晶がついていましたが、なんか違和感がある。。。光り方が水晶とちょっと違っていて、ガラス光沢と樹脂光沢の中間のような感じ。あと、頭の角度が水晶とちょっと違うような。水晶よりとんがりが小さい。

 

Anglesite_nakamarum_03

 

これも、色は全然違いますが、硫酸鉛鉱の結晶かと思います。こちらは長波UVで光りません。硫酸鉛鉱はさらに風化して白鉛鉱に変質するらしいので、もしかしたら白鉛鉱になっているのかもしれません。光り方、透明の質感などは、そういえば何となく白鉛鉱っぽい気もしますが、まあ分からないので、このまま硫酸鉛鉱ということにしておきましょう。

 

下仁田といえばまあネギでしょうが(コンニャクも特産品でおいしい)、2011年には下仁田町全域がジオパークに認定されています。妙義山や荒船山といった、低いけれど非常に特徴のある山もあり、鉱山としては中小坂鉄山もジオパークの一角とされていますね。そのおかげでちゃんと鉱山へ行く人のための駐車場まで作られているのですが、どうやらヒルでいっぱいらしい。。。江戸時代末期に発見された鉱床のため、幕末から明治にかけての歴史にも大いに関わってきます。

中丸鉱山のほうは、歴史はよくわかりません。八幡鉱山と呼ばれていた、1954(昭和29)年には野上鉱業によりアンチモンを中心に銅、鉛、亜鉛などが採掘されていたが、1955年1月27日に落盤事故があり、1959年(昭和34年)頃には閉山した、等々。いつ見つかったかは分かりません。時代を考えると、戦時中資源輸入が止まり、各地で小さな鉱山が探し出され採掘が行われましたが、ここもそういった小規模鉱山のひとつでしょうか?

自分は荒船山に行った時に、その途中ということで寄りました。坑口もズリもしっかり残っているので、なかなか面白いところでした。下仁田の道の駅はジオパークということで、鉱物の標本セットも売られていたのですが、その中に前回の川場・鉱石山の柘榴石も入っていました。でもいまいちの標本だった。もっときれいなの、すぐ見つかるのになぁ(こういうセットから興味が目覚めるってよくありますしね)。

 

2022年6月30日 (木)

灰鉄柘榴石(群馬県利根郡川場村川場鉱山)

Andradite Ca3Fe3+2(SiO4)3 珪酸塩鉱物

 

Andradite_kawabam_01

Andradite_kawabam_03

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灰鉄柘榴石の産地として知られる、群馬県川場村の鉱石山で採集したものです。群馬の名山、武尊山の南の端に位置します。

ここは母岩そのものが灰鉄柘榴石であることが多いので、晶洞を見つければ大体透明感のある結晶が見つかります(1枚目の写真みたいなもの)。大きい結晶は透明感がないものが多いですが(2枚目の写真)、すぐ見つかるし、時には数センチのきれいな形状のものがあります。これだけ大きな結晶を割と簡単に見つけることができるのは、今ではここくらいでは?

深緑色の結晶もありました(3枚目)。小さいですが、密集していて、きらめきが強くとてもきれいです。鉱石山というだけありますねぇ! 川場鉱山はスカルン鉱床で、石灰岩とマグマの接触による変成域です。だからカルシウム(石灰)と鉄を主体とした柘榴石。もしかしたら色の違うものは種類が違うのかもしれませんが、まあわかりませんので、ここでもっとも多いらしい「灰鉄柘榴石」としてまとめています。

麓の駐車場(川場スキー場の駐車場)から稜線近くの産地まで、そんなに距離や標高差があるわけではないし、半分以上は林道ですが、片側がずっと伐採地でまっすぐ登る道がずーっと見渡せるので、暑い日差しの日とかだとやたらときついですね。目的地の下の小沢に入ると、登山道っぽくなってきますが、沢はシダ類の天国で、ちょっと壮観ですらあります。

シダといえば、他の植物が生きていけないような重金属を多く含んだ土壌でも生育できるヘビノネゴザ(Asplenium yokoscense Fr. et Sav. 蛇の寝御座)は、金山草などとも呼ばれ、鉱山などではよく目にできるといいます(別に重金属が生育に必要なわけではない)。金属鉱床の探索には便利で、昔から指標にされていたようなので、見分けができるようになりたいのですが、なかなか難しいらしい。ちょっと写真を検索してみたけれども、他のシダ類とくらべてさっぱり違いがわかりません。普通の人より鉱山跡などに行っているわけで、多分何度も見ているのだろうとは思いますが。。。

 

Kawabam

 

ちなみに学名のyokoscenseは横須賀からつけられたものです。明治初期、医師として横須賀製鉄所にいたフランスの植物学者、ポール・アメデ・リュドヴィク・サヴァティエ(Paul Amédée Ludovic Savatier, 1830–91)が横須賀で見つけ、新種として発表しました。東アジアが原産のシダです。

そのシダいっぱいの登山道が水平道になり、鉱山の軌道のレールが出てくるあたりから、道の稜線側の草むらの中に鉱石が散らばっています。もともと大正時代から研磨材の原材料として柘榴石を露天で採掘していたようです(閉山は昭和42年)。レール跡は100m程度のごく短いもので、ズリを運んだらしいのですが、詳しくはわかりません。

でも、今でも鉱石は豊富に残っていて、時にかなり立派な水晶が見つかったりする、とても楽しい場所ですね。

 

2022年5月27日 (金)

緑鉛鉱(群馬県沼田市戸神山)

Pyromorphite Pb5(PO4)3Cl 燐酸塩鉱物等

 

Pyromorphite_togakim_04

Pyromorphite_togakim_03

Pyromorphite_togakim_01

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あまり色がついていないけれど、緑鉛鉱で知られている産地なので、まあ緑鉛鉱だろうと。鉛系の六角柱の結晶はテンションあがりますね、まさに結晶って感じでw(理想的な結晶形はビア樽形) 石英などとは違うちょっと脂っぽい感じの樹脂光沢も、なかなか魅力があります。

語源は、ギリシャ語の「火」を意味するpyrと、「形」を意味するmorphです。熱を加えて溶かして冷やすと、再結晶するところからきています(1813年、Johann Friedrich Ludwig Hausmannによる)。

群馬県の沼田の街の北、鋭角にそびえるきれいな三角の戸神山では、16世紀ごろから金が採掘されていたようです。今でも坑口あとやズリが残り、とりわけ紫水晶で有名です。やっぱり水晶は人気がありますからね。。。探す人の多いきれいな水晶はそうそう見つからないと思いますが、ちょっとした紫石英ならば、そんなに苦労せずとも見つかります。登山道途中の祠の前にも、多分水晶を探しに来た人が置いていったと思われる紫石英がお供えしてありましたw 

山の南の神社(駐車場あり)から鉱山跡コースという登山道があって、急な岩場(難しくない)を直登して頂上に登れます。そんなに高い山ではないけれど、場所がよいので、利根川の流れる沼田の市街を見下ろし、上越の武尊山、迦葉山方面から、皇海山、赤城山、子持山、榛名山、浅間山と、非常に景色がよい頂上です。あと、やたらと人に慣れた小鳥がいますねw 人の手に飛び乗ってくる野鳥なんてはじめて見た。

鉱物が探せるポイントは山中いくつもあるみたいですが、自分はよく知らないので、本に載っていた登山道の途中からちょっとズレていける広いズリで、写真の緑鉛鉱は拾いました。

 

戸神山は信仰の山で、地元では石尊山ともいわれているようです。頂上には石尊山大山阿夫利神社の石塔があります。相州大山の子どもみたいなもので、なんとなく親しみがわきますね。

石尊信仰は相州大山からはじまりました。山岳信仰、修験道などの流れをくむものです。ある意味、はるか古代から続いてきたものが(神道や仏教にその都度取り込まれつつ)ずーっと形を変えてきた姿といえるかもしれません。大山詣りはかなり布教活動が盛んだったようで、大山講というシステムが作られ、そこから全国に広がり、各地に石尊山も作られていきました。戸神山もそのひとつでしょう。

大山詣りは信仰というだけでなく、江戸時代の観光という意味合いも大きかったようで、それも広まりの一因だったのでしょう。江の島、金沢、鎌倉という海沿いの風光明媚な観光地巡りもセットにされることが多かったみたいです(現在の金沢からは想像つきませんね。わずかに八景島だけが形を変えた観光地として残っているだけで)。当時の紀行文などを読むと、信仰というにはずいぶんはっちゃけた感じの人々の姿も垣間見られますw むしろレジャーという側面の方が強かったのかもしれません。

昔の行動や遺物などについて、「信仰」とか「宗教的」とか説明されるものって多いですが(なんだかよく分からないものはとりあえず「宗教的な」という形容詞をつけるみたいな?)、実はそれらの多くは、今のレジャーとか趣味とか気晴らしとか、そういったものだったのかも(昔はそういうものがあまりなかったみたいな固定観念がありませんか?) そういうふうに見方を変えてみると、なんとなく昔の事物や人々に共感がしやすく、理解が深まるような感じがしますね。

(参考:川島敏郎『相州大山信仰の底流―通史・縁起・霊験譚・旅日記などを介して』山川出版社、2016年)

 

2021年1月 9日 (土)

緑閃石(群馬県藤岡市八塩鉱山)

Actinolite □Ca2(Mg4.5-2.5Fe2+0.5-2.5)Si8O22(OH)2 珪酸塩鉱物

 

Actinolite_yashiom_01

Actinolite_yashiom_02

 

緑閃石は別名、透緑閃石、アクチノ閃石、陽起石などともいわれます。写真のような粗い結晶だと緑のきれいな鉱物ですが、もっと細かい繊維状、針状でもよく見られます。さらに肉眼では見えないくらい細い結晶の緻密な集合=塊りは、中国では硬玉(ヒスイ)に対して軟玉(ネフライト:nephrite)と呼ばれて、宝石の一種となります(石英より少し柔らかい)。

アクチノライトという英名の語源は、ギリシャ語。1794年、アイルランドの地質学者・化学者のリチャード・カーワン(Richard Kirwan、1733-1812)によって命名されました。ακτίνα(aktina:光線)とλίθος(lithos:石)の組み合わせですが、繊維状のイメージからきているんでしょうかね。

ところで、この緑閃石にはもうひとつ属するグループがあります。天然に産するの繊維状珪酸塩鉱物のことを、石綿、アスベストと総称します(上の写真にも、一部繊維状結晶があります)。現代における鉱物三大悪役のひとつ、アスベストですねw でもその歴史は非常に長いようです。

古代エジプト、中国など、はるか古代から燃えない布としてずっと使われてきた石綿ですが、日本でも、かぐや姫が結婚の条件として出した無理難題のひとつが、火山に住む火鼠という幻獣の皮でできた、燃えない衣でした。和名類聚抄には「(巻18・毛群部第29・毛群名第234・20丁表4行目)火鼠 神異記云火鼠[和名比禰須三]取其毛織為布若汚以火焼之更令清潔矣」とあります。汚れたら燃やすと清潔になるらしい。

これは中国では火浣布(かかんぷ)として知られていて、実際は想像上のものでなく、石綿のことと思われます。かぐや姫の話では、苦労してようやく天竺由来の「火鼠のかはごろも」を手に入れた右大臣安倍のみうしが贈ったのですが、本物かどうか火にくべて試したら燃えてしまったので、結婚したくないかぐや様は喜んで「おかわいいこと」と笑った、という。。。(ちょっと違う)。かぐや様はつれないですねぇw

『列子』には、周の穆王が西戎を攻めたときに、西戎が降伏の印として錕鋙の剣と火浣布を献上してきたとあります。また『抱朴子』によると、火浣布には三種類あるらしい。一つは、肅邱という島に生えている、燃やしても灰にならない木があり、この木の花を布に織ったもの、一つは、この木の皮を灰と一緒に煮て布に織ったもの、一つは、毛が三寸ばかりの白鼠が上空の木に住んでいて、この毛は火中で焼けず、集めて布を織ったもの。最後のものがかぐや姫の火鼠のことですね。

江戸時代には、平賀源内が石綿を製作したり、「火浣布説」「火浣布略説」という書を著しています。彼は金山事業の関連で埼玉中津川の秩父鉱山周辺に何度も訪れており、あるいはここで見つけた閃石類を使ったのかもしれません。

西洋では、マルコ・ポーロの『東方見聞録』に「サラマンダーの皮」というものが出てきます。なぜトカゲとかネズミとかが火に強いということになったんでしょうか。多分なにかしら理由があるはずですが。。。

 

現代ではもはや原則生産されていない石綿、アスベストですが、子どものころは理科の実験で、ビーカーを熱する時に下に敷くものとして、まだ使われていました。生産されていないといっても、まだ使われてそのままになっている建築物は多く、その排出量がピークを迎えるのはこれからだそうですが。

アスベストといっても鉱物名ではなく、蛇紋石族のクリソタイル、角閃石族のクロシドライト(リーベック閃石)、アモサイト、アンソフィライト (直閃石)、トレモライト(透閃石)、そしてこのアクチノライト(緑閃石)の、繊維状結晶の総称です。アスベストとして使用されてきたのはほとんどはクリソタイルで、緑閃石はアスベストの原料としては、ほとんど使用されていないようです。緑閃石の鉱山なんて、聞いたことないですし。

大きな結晶だと、淡い緑の半透明がほんとにきれいなんですけどね。

 

2020年11月30日 (月)

コーリンガ石(群馬県藤岡市八塩鉱山)

Coalingite Mg10Fe3+2(CO3)(OH)24・2H2O 炭酸塩鉱物等

 

Coalingite_yashiom_01

Coalingite_yashiom_02

 

群馬県、三波川近くの八塩鉱山のコーリンガ石(赤褐色の部分)だと思います。

ブルース石を含む蛇紋岩の風化によって生成される鉱物で、1年間野外にそれを置いておくと、コーリンガ石ができるそうです(堀秀道『楽しい鉱物図鑑②』草思社、1997)。うちの庭のズリに置いておいて、実験してみますかね。

どちらの写真も上部に青緑の部分があり、これがブルース石ではないかと思います。八塩鉱山の石の多くは、半透明・青緑のきれいな部分がついてますが、全部ブルース石なのかな?

特に2枚目の写真は、青緑を含む上部(ピントがあってないところ)は採集した時割って出てきた面で、コーリンガ石がついているのは露出していた表面のみでした。ズリに転がっているうちに、コーリンガ石になってしまったんですね。黒い粒々は、クロム鉄鉱だと思います。

上記の本にも書いてありますが、たった1年で違う種類になってしまうとは、なんとまあいそがしい鉱物ですねw(マンガン系もそうですが)

コーリンガ石には、大気中の炭酸ガスを吸収する作用があります。二酸化炭素は現在ではなにやら大変な悪者的扱いになってしまっていますが、地球上に普通に存在する、絶対に必要なものでもあります。実際に炭酸ガスが増えているのか、それを原因とした影響がはっきり現れているのか、それが人間の活動によるものなのか、ということは別として、冷静に考えることが必要かなと思います(正直にいうと、政治的影響が大きすぎて、どの立場の話もそっくりそのまま信用していいのかどうか疑問を感じないでもないこともなくはないこともない←態度を明確にできないということを表現していますよw)。

 

カリフォルニア州のコーリンガ近くの蛇紋岩のアスベスト鉱床で最初に発見(報告)されたことから、この名前がつきました。ネットや本で調べると、コーリンガ石とコーリング石2種類の表記があったので、どっちがいいのだろうと調べていたら、以下のような事情があることが分かりました。

元々はコーリングという地名だったようですが、サザン・パシフィック鉄道(Southern Pacific Railroad)の駅Coaling Station Aという表記を省略してCoaling Aと書いていたのが定着して、コーリンガ(Coalinga)になってしまったようです。だからまあ、どっちでもいいのかなw(Coalingiteに「a」は入ってないですし)

 

2020年11月 8日 (日)

水苦土石(群馬県藤岡市八塩鉱山)

Hydromagnesite Mg5(CO3)4(OH)2・4H2O 炭酸塩鉱物等

 

Hydromagnesite_yashiom_03

Hydromagnesite_yashiom_02

Hydromagnesite_yashiom_01

 

水苦土石は、学名やそれを直訳した日本語名の通り、水とマグネシウムを主要な成分とする鉱物です(苦土はマグネシウムのこと)。

写真の通り、薄い板状で先の尖ったソードのような透明結晶が放射状または球顆状に集合することが多く、蛇紋岩中に産し、表面にいっぱいへばりついているのはなかなか見映えのするものです。

ここでは他に似たような鉱物として、アルチニー石やあられ石もありますが、先の尖った形ですぐに見分けがつくと思います(かなり小さいですけど)。あられ石もやっぱり放射状の白い結晶が石にへばりついていますが、水苦土石とはサイズが違い、数センチレベルの大きさがあります。自分が見た限りでは、大きいのは大体あられ石ですね。あと水苦土石は純白ですが、あられ石はちょっと濁っていて光沢がない感じ。

下2枚の写真の部分は先端の形をはっきり確認できないのですが、すべて板状の結晶の集合のように見えるので、水苦土石としています。アルチニー石は針状・繊維状になるとのこと、見たことないけど、モルデン沸石みたいな感じでしょうかね? もしかしたら下2枚はアルチニー石の可能性もなきにしもあらず?

 

クロムやあられ石を採掘していたという八塩鉱山跡は、群馬県と埼玉県の県境にあります。利根川の支流のひとつ、神流川沿いの八塩温泉、その上の御倉御子神社の背後の山の中にちょっと入ったところです(川向うは埼玉県)。下に弁天山・桜山ハイキングコースのための駐車場もあり(付近のコース地図も置いてあった)、ポイントは弁天山展望台のすぐそばなので、それほど遠くもなく、便利もよいです(神社の駐車場まではうちの車では入れなかったし、使わない方がいいと思う。歩いても大した距離じゃないです)。

すぐ南には、神流川の支流で地質学的には名の知れた三波川があります。日本最大の広域変成帯のひとつである三波川変成帯はこの周辺を東限として、中央構造線に沿って、西に向かって紀伊半島、四国、九州と日本列島を横断して続いています(このブログでも、オンファス輝石角閃石岩(愛媛県四国中央市関川流域)でとりあげています)。

実際、鉱山に行く途中の林道中、きらきら輝く膜のへばりついた石英の塊がよく落ちているのですが、それを見たとき、四国・別子鉱山の近くの渓谷で見た石とそっくりだなぁと思ったのです(もしかしたらこのあたりの沢とかで、藍晶石とか見つかりませんかね?)。ちなみに、下の駐車場にも大きな石英がころがっていたり、ポイントに行く途中、滑石の露頭があったりと、鉱山そのもの以外でも興味深いものが多く見られます(どちらも鉱山のズリにはまったくない)。神社の石段にも、石英の脈が走っていたり、さすが三波川(周辺には他にいくつも鉱山跡があります)。

鉱山直上には弁財天、山の神の祠と展望台がありますが、展望台にも青緑に縞模様の入った三波川の結晶片岩・三波石が置かれているので、ついでに見に行くといいかも?(天気が良ければ日光の山々、筑波山とちょこっと赤城山も見えてお休みどころですが、工場の音がうるさいかもしれない。。。)

 

Yashiom_01

八塩鉱山の坑口。坑口前の広場にはトロッコのレールや石組が多く残っている。

 

2020年10月30日 (金)

バラ輝石(群馬県桐生市菱町茂倉沢鉱山)

Rhodonite Mn2+SiO3 珪酸塩鉱物

 

Rhodonite_mogurasawam_03

Rhodonite_mogurasawam_01

Rhodonite_mogurasawam_02

 

茂倉沢のバラ輝石です。以前は輝石の仲間だと思われていたのですが、実際には輝石とは違い、準輝石という構造であることがわかっています。今ではバラ輝石族という集合が作られています。名前は見たとおり、バラの色をしているということで、古代ギリシャ語のバラを意味する「ῥόδον(rhodon)」からつけられました。ラテン語だと「rosa」で、どちらももともとは古代ペルシャあたりからきた言葉をもとにしているようです(バラそのものの起源はヒマラヤのあたりではないかといわれている)。

たいていのマンガン鉱床にはよく見られるもので、特に珍しいものではありませんが、磨いてちょっとした宝石として使われることもあります(マンガン鉱石としては価値は低い)。珪酸塩系なので、石英と一緒になっていることが多いです。

かたまりになっていることが多いのですが、ここのバラ輝石は拡大すると、結構透明できれいですね。3枚目の写真は色が濃く紫色ですが、どうも成分の違いによるもののようです。マグネシウムが含まれていると、紫系の色になることが多いようです。

空気や水、光に触れると徐々に黒くなっていきます。だから、沢に落ちているものは、大抵表面は真っ黒です。とても硬いのですが、苦労して割るとこの鮮やかなピンク~紫の面があらわれて、とても感動します。

「バラの下(sub rosa)」というと、ラテン語圏では「秘密」という意味。まさに真っ黒な表面に隠された美しい「秘密」ですね。

(「バラ」というのはさまざまな象徴、暗喩があって、意味ありげにする時に便利なのですw 『薔薇の名前』を書いたウンベルト・エーコもそんなことを言っていたような。。。)

 

2020年10月 7日 (水)

鈴木石(群馬県桐生市菱町茂倉沢鉱山)

Suzukiite BaV4+Si2O7 珪酸塩鉱物

 

Suzukiite_mogurazawam_01

Suzukiite_mogurazawam_02

Suzukiite_mogurazawam_03

 

群馬県・茂倉沢鉱山の鈴木石。。。ではないかと思うのですが、どうでしょうね。

かなり珍しい鉱物だと思いますし、1回しか行っていないところでこんなに簡単に見つかるもんかと疑心暗鬼にもなりますが、分析できるわけもなく、見かけ上はそっくりですので、ここは鈴木石ということにさせてもらおうかと思います。

鈴木石はバリウムとバナジウムが主成分で、まさにここ茂倉沢で発見された鉱物です。発見年も書こうと思ったのですが、なぜか様々なサイトで発見年がばらばらなのはなぜ?(最初の発見地についても、何だかあやふやなところがあります) まあめんどうなので、そのあたりのことは追求するのはやめておきます。いろんな事情があるのでしょう。その事情に興味はあまりないので。

そんなことより、この石の美しさを愛でるほうが、より意味があるのではないかと思います。淡いピンクのバラ輝石の中で、鮮やかなエメラルドグリーンが目にしみます。

ところで、これが鈴木石なのかどうか疑問を感じる理由がもうひとつあって、それは、この石の片割れの方に孔雀石がついていたからです。質感は違いますが、どちらも緑色で、孔雀石はさまざまな姿をとることのある鉱物ですから、これも孔雀石なんじゃないかという疑問があったのです。下の写真は、その孔雀石。

 

Malachite_mogurazawam_01

 

これは明らかに孔雀石ですよね。茂倉沢の孔雀石はどうやらかなり稀産らしく、まあこれはこれでうれしいのですが、やはりどこでも見つかるものよりは初めての鉱物のほうがうれしいのは仕方ない。

こうやって写真に撮ってじっくり眺めていると、その違いもはっきり見えてくるような気がします。孔雀石の方は母岩の表面にへばりついているように見えるけれど、鈴木石のほうはむしろ母岩の中に埋もれているように見えますね。3枚目の写真の鈴木石は、ちょっと孔雀石の部分も混じっているようにも見える。。。

こうやって悩むのも、鉱物の楽しみのひとつかもしれません。