辰砂(東京都西多摩郡奥多摩町鋸山)
Cinnabar HgS 硫化鉱物
奥多摩駅からほど近い、鋸山のマンガン鉱山跡のズリから見つけた辰砂です。
奥多摩駅からすぐそばにそびえるのが愛宕山。頂上に愛宕神社があります。そこから岩場などのある稜線を登ると、鋸山です。頂上は植林の中で展望などはまったくなく、途中の岩場の付近は明るくまあまあ面白い道で、鋸山から先、稜線は大岳山、御岳山などにつながっています。
鋸山の頂上のすぐ下に大ダワという峠があり、鋸山林道が山を越えていますが、その林道沿いにズリ跡(植林地になっている)があります。真っ黒いマンガン鉱石や、時に微細な水晶を含む赤碧玉などがごろごろしています。碧玉というと普通は石英の一種のことだと思うのですが、参考にしたサイトでは、「チャートが変成してできた」と書かれていました(「東京都奥多摩町鋸山鉱山のマンガン鉱石中に見られる辰砂」)。
黒いマンガン鉱石を割ると、たまに真っ赤な辰砂が見つかります。大きな結晶といったものはほとんどでないようで、大体粒状みたいですが、それでも奥多摩の手軽な場所で辰砂が採集できるのはうれしいですね。
中国の辰州(現在の湖南省あたり)で多くとれたので、辰砂と呼ばれました。古代から丹(に)と呼ばれ、赤の顔料として使われてきた、由緒ある鉱物です。練丹術というのは、まさにこの丹を使って不老不死の仙薬などを作ろうという方術で、おそらく、水銀の防腐剤としての効能や、赤=血液、赤=神聖な色、という連想からきたものではないかと思います。水銀をめぐる歴史・文化なども、調べていけばかなり深そうな気がします。
古い言葉といえば、鋸山のそばの大ダワ。タワとかタオ(タヲ)というのは峠や、山の低くなったくびれたところを意味し、今でもあちこちに地名として残っています。普通に暮らしていたら知らないかもしれませんが、登山に行く人ならば、すぐにいくつか思い出せるでしょう。「撓み」からきているのだと思いますが、万葉集の大伴家持の歌にも「… 山のたをりに 立つ雲の …」(19・4169)とあるように、古くからの言葉です。峠は「タヲ越え」あたりからきているのでしょうか。
峠は、タムケ(手向け)からきているという説(道祖神などに手向けて祀った)もあるようですが、峠に必ず道祖神、山の神等があるわけではなく、また峠以外にも道祖神などはあるのだから、ちょっと納得しがたいです。峠というのは地形であって、山とか川とかと同等なもの。地形を表現する名は、人の行為を表現する名前より、より基本的なものと考えるべきで、それが逆転している「タムケ」説はないと思います。
道祖神、山の神等は、何らかの「境界」にあるものだと思います。峠も数ある境界のひとつなだけで、イコールでは結べません。
鉱山用語も、古い日本語が残っているようです。この前テレビのニュースで、沖縄では洞窟のことをガマというのだと知ったのですが、石好きの人ならなるほどーと思うはずです。そう、晶洞(鉱物の結晶が大きく育っている岩の中の空間)のことをガマといいます。多分、非常に古い言葉なのでしょう。一番端の沖縄と、かなり狭くて特殊な鉱山用語の中にだけ、残ったんですね。柳田国男の『蝸牛考』や、比較音楽学者クルト・ザックスの音楽の伝播に関する説なども、参考になるはず。
もうひとつ、丹沢(特に札掛周辺を中心とした地域)のどこかに、辰砂を産する沢があるのではないかと、個人的に期待しているのです。もしあれば、それこそ「丹沢」の語源であるといえるんじゃないかなと。。。丹沢にはマンガン鉱床は割とあちこちにありますし、特に東丹沢は修験道が盛んだった地域であり、その関係からも辰砂の産出が注目されてもおかしくはないのでは。
もともと「丹沢」という地名は、札掛周辺付近のことだったらしいですし、藤熊川、大日鉱山、行者道の重なる、菩提峠から三の塔、行者岳、大日岳周辺が怪しいと勝手に考えていますw 可能性は決して低くないのでは。
もし辰砂が出れば、他の丹沢語源説はすべて霞んじゃうレベルなんだけどなぁ。。。
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