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▽酸化鉱物

2022年11月 6日 (日)

磁鉄鉱(群馬県利根郡川場村川場鉱山)

Magnetite Fe2+Fe3+2O4 酸化鉱物

 

Magnetite_kawabam_01

Magnetite_kawabam_02

 

群馬県川場鉱山(鉱石山)の磁鉄鉱です。正八面体のなかなかきれいな結晶ですね。茶色の母岩は灰鉄柘榴石です(灰鉄柘榴石(群馬県利根郡川場村川場鉱山))。

ありふれた鉱物ですが、きれいな結晶はやっぱりいいですね。探しやすい鉱物の中では、水晶と並んでもっともかっこいい鉱物のひとつだと思います(そんな基準聞いたことないけどw)。鉱石山で採集した柘榴石はネット上でよく紹介されているけれど、磁鉄鉱のことはあまり見かけず、頭になかったので、見つけた時はおおっとなりました。

鉱石山はスカルンですが、その変成の熱源は赤倉谷花崗岩(磁鉄鉱系列)だそうです。花崗岩はマグマが深いところで固まった深成岩なので、このあたりに多い温泉の熱源にもなっているのでしょうか。近くには、塩河原温泉、川場温泉、小住温泉など、いくつかの温泉が点在しています(鉱石山の右側を通る県道64号線は、奥利根ゆけむり街道という別名がある)。

川場温泉は1200年前、弘法大師が見つけた(お湯を出した)という伝説になっていますね。弘法大師にまつわる話はあまりに多すぎるので、それが本当かどうかというのは重要なことではありませんがw とにかくかなり古くから知られていた温泉というのは確かなようです。温泉というものの有用性を考えたら、それがどれだけ貴重なものかわかるというものです(何もないところからあったかいお風呂を用意する難易度の高さを想像してみよう)。

 

空海がらみの話は日本全国にありますが、空海、役の小角、安倍晴明は、日本の(いい意味での)三大心霊的ヒーローですね。悪い意味だと菅原道真、平将門、崇徳上皇で三大怨霊(昔、長銀が健在だったころ仕事で大手町によく行っていましたが、女性社員がいつも将門の首塚に花を供えていたと聞いたことがあります)。

鉱石山は武尊山の前衛です。武尊山はもちろん日本武尊からきていますが、修験道の山でもありました。でも、そんな古い歴史があるわけではないようです。開山は江戸寛政年間とのこと。日本武尊と結びつけられたのも、この時期からでしょうか?(大体どうしたら「武尊」を「ほたか」と読めるのかという) 日本武尊も、地名などの由来の際に引き合いに出されることの多い名前です。大抵は笑って聞いて楽しむ感じの話ですが、たまに、え、これは一体なに? どういう由来が? と怪しむような地名、それにからんだ伝説がありますね。

奥多摩の鳩ノ巣溪谷のあたりに将門神社、将門大橋という場所がありますが、そのさらに奥、奥多摩駅から雲取山に向かって尾根を大分登ったところに、将門馬場(1455m)という山があります。なぜこんな山の上に将門の名が? しかも馬場? 。。。なんでも、東国に逃走した将門が通ったルートだという伝説があるようですけど。。。「実は生きていた」系伝説ですね。

大月の北方、金鉱のあった金山のそばには、「セーメーバン」(1006m)という不可思議な名前の山があります。そのあたりの伝説では、「セーメー」は安倍晴明のことで、「バン」(盤)は鉱山用語の鉱脈のこと、村人に頼まれて水を引こうとした晴明が鬼にだまされて亡くなった場所「晴明盤」である、とか。この場合のバンとはつまり水脈ということでしょうか? 鉱山用語を調べると、「上盤」とは「鉱脈の上側にある岩石の層」、「下盤」は「鉱脈の下側にある岩石の層」と説明されているので、盤には脈という意味が確かにありそうですね(別子鉱山用語集)。一体なにがあったんだ?(ちなみにこの場合の「晴明」とは、安倍晴明本人のことではなく、陰陽道関連の人、という程度の意味じゃないかと思います。)

大体山の上で水脈というのはおかしい気が。。。探すのなら鉱脈か(金山という土地柄もありますし)。陰陽道というのはいうなれば、龍脈を探しそれを活用する知識をもった人のことですから、そこから連想される水脈や鉱脈に対する知識を持っていたというのは、うなずける話ですね。鉱脈を探す際、なんらかの役目を陰陽師がおっていたというのは、ありえそうな気がします。

東丹沢の菩提峠から二ノ塔に大分登ったあたりには、日本武尊の足跡といわれる石があります。全然足跡には見えないのですが、その周辺の地形は何となく人工的な感じで、まるで遺跡のなかみたいな雰囲気が漂っています。多分、相州大山から現・ヤビツ峠、菩提峠を経由して塔ノ岳方面に登る古い行者道のルートがここを通っていて、宿泊所のような施設があったのではないかと思います。江戸期に流行った相州大山詣りですが、やはり当時信仰登山で流行った鐘ヶ嶽を経由して大山に向かう尾根上(ここも行者道で、現在では弁天御髪尾根と呼ばれる)には、すり鉢広場と呼ばれている窪地があり(空鉢嶽)、ここも、行者たちの宿泊所があったといわれています。八菅修験道の中心地で、近くの経ヶ岳あたりは弘法大師、役の小角の伝説までそろっていて、大盤振る舞いといった感じw

多分、昔からヒーローものって人気あって、人を集めるにはよかったという一面もあったのでしょうね。もちろん、そういう各種逸話のもとになる出来事がなにか実際あって、それが少しずつ姿を変えながら伝わってきたと考えるほうが自然だと思います。どんな怪しげな伝説であっても、必ずなにかその核になるものはあって、完全な創作ってそうそうないんじゃないかなあ。

 

2022年7月 9日 (土)

赤碧玉(東京都西多摩郡奥多摩町鋸山)

Red Jasper SiO2 酸化鉱物

 

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奥多摩・鋸山の赤碧玉です。マンガン鉱山のズリ中、あるいはそばの沢などでごく普通に見かけます。結構きれいなものも簡単に見つかります。碧玉とは、微細な石英の結晶の集まったもので、この辺は碧玉と見わけがつけにくいチャートも多い地域ですが、2枚目の拡大写真のように粗粒の部分もあって、すぐわかると思います。

透明感のある黄緑の部分はなんだろう。カリオピライトかな? 黒いのは軟マンガン鉱か、ブラウン鉱か、よくわかりませんが。。。

多分磨けばきれいになるのでしょう。日本でも古代から勾玉などの装身具に使われてきた、一応宝石の一種といっていいのでしょうか。色鮮やかな、という赤ではありませんが、落ち着いた、まさに古代という感じの色合いです。現代では透明感が重視されるけれど、古代では不透明で色の美しいものが好まれてきたような気がします。透明な水晶なんていくらだって見つけられただろうに、そういうものを使った古代の遺物ってあんまりないような気がするのですが。。。

基本的には目に見えないほど細かい石英の結晶の集合で、瑪瑙、玉髄などと同じですが、不純物が多いため、不透明でさまざまな色がついたものを碧玉という場合が多いようです。一般的な呼び方を以下にまとめてみます。

石英 Quartz(鉱物種名)
 ・肉眼で見える程度に結晶化したもの(顕晶質)
  ・結晶形がはっきりとしているもの:水晶 Quartz
  ・結晶形がない塊状のもの:石英 Quartz
 ・
肉眼では見えないほどの微細な結晶の集合した構造をもつもの(潜晶質)
  ・不純物が少なく(
半透明)模様のないもの:玉髄 Chalcedony
  ・縞状の模様があるもの(部分によって不純物の量は変わる):瑪瑙 Agate
  ・不純物が多く(不透明)模様のないもの:碧玉 Jasper

こんな感じで使われることが多いようです。なかなか難しいですね。。。

もちろん、自然物なので、分けようと思ってもどっちだ? というようなことも多いので、そんな厳密なものではないと思います。

 

ところで現在では 「碧」の字は「青・緑の石」という意味になります。色限定ですか。だとしたら、赤碧玉という言葉はちょっと無理やりっぽい感じがしちゃいますね。「碧」の字そのものは、甲骨文からありますが、三つの玉をつなげた装身具を意味する「王」、輝くという意味の「白」、そして「石」から構成されていて、青・緑といった色の意味は含まれていないと考えられます。字に色の要素が含まれたのは後の時代からでしょうか。あるいは「王」の字の三つの玉は、もともと青・緑の石のことを意味していたのか。

秦~漢代に成立した『山海経』西次二経 には「又西北五十里高山、其上多銀、其下多青碧・雄黄」とあり、わざわざ「青」をつけているので、「碧」の字そのものには色の意味は含まれていないように見えます。後漢代の漢字字書『説文』には「碧、石之青美者」とあり、色要素が含まれているように見えます(青は多分どちらかといえば緑のことかと思います)。うーん、どうなんだろう。

古代では、青や緑というのは、とても好まれたようですね。日本や中国、中南米でもヒスイは非常に珍重されましたし。
まだガラスのなかった古代エジプトでは、ファイアンスという陶器が盛んに作られました。エジプシャン・ブルーともいわれる、はるか古代への憧憬を湧きあがらせるような美しい青緑の陶器です。ファイアンスは、石英(珪石)と石灰(有機性のものが使われることが多かったらしい)、それに緑青(ろくしょう)を粉にして混ぜて焼いたものだそうですが、つまり、ブロシャン銅鉱の青緑色なんですね。

昔はどの国でも、青と緑の文字と実際の色の区別があやふやで、色の認識の問題かと思っていたのですが、そうではなく、単に青緑の色が一般的だったってだけなのかもしれません。今では色を認識するうえで、青緑をポイントにすることはなく、青と緑をまったく別の色として認識のポイントにしたうえで、その中間のどこかとして青緑を考えますが。。。もしかしたらその認識の原点は、信号の色? そういったささいなところから、人間の認識の割と深いところが変わってしまうのかもしれません。

 

2022年1月26日 (水)

鱗珪石(静岡県伊豆の国市城山)

Tridymite SiO2 酸化鉱物

 

Tridymite_jouyama_01

Tridymite_jouyama_02

 

静岡県城山の六角形薄板状の鱗珪石。

石英と同じSiO2、同質異像です。SiO2の鉱物としては、石英、クリストバル石、鱗珪石(それぞれ高温型、低温型)、コーサイト、スティショバイトがあります。いわゆる水晶は低温型の石英の結晶。結晶化する時の温度、圧力の違いなどで、できる鉱物が決まってきます。

ここの鱗珪石は、城山の溶岩が固まる際、珪酸を含んだ火山ガスから直接晶洞内に結晶したもののようです。結晶が大きいものは、高温でできたものが冷えてひび割れが入るのですが、結晶が小さいからか、出来方のせいなのか、ひび割れはあまり見られません。

 

城山は、ロープウェイのある葛城山、発端丈山などと並ぶ、静浦山地南部に属する山(静浦山地の北側は俗に沼津アルプスなどと称されます(鷲頭山や徳倉山など))。標高こそ342mと高くはないのですが、なんといっても麓から見えるその大岩壁の威容で、大変目立つ山です。南北朝時代・戦国時代と、見張り台や城としても使われており、その遺構が山中に残っています。現在ちょうど放映中の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、若き源頼朝が流刑の日々を過ごす北条の領地も、このすぐそばです。城山の姿も出てくるかなと思っていたんですが、出てきませんね。でも、頼朝も城山の姿を見上げていたはず(山梨周辺では必ず信玄がらみだったり、仙台周辺では必ず政宗がらみだったりするように、この辺では大抵頼朝がらみの話がついてまわります。また頼朝かよと思うことしばしばw)。(ところで現在、大河ドラマとほぼ同じ状況を、平家側からアニメ『平家物語』でやっているという。。。大河と違って、おおげさでなく深く美しい演技演出で、一見の価値があります)

城山は、火山の火道で冷えて固まった溶岩が、周りの山体の土壌が侵食されることによって塔状に取り残され露出した、火山岩頸(火山の根)といわれる地形です。伊豆の、特に海岸沿いでは、波によって切り立った塔のようになった火山岩頸があちこちで見られます。城山の隣の葛城山や雲見の烏帽子山、千貫門、下田の街中にそびえる下田富士なども同じで、溶岩が冷やされて規則正しい節理が発達した柱状節理や板状節理があることも多いです。

大きな目立つ火山岩頸は、大抵は白浜層群(約1000万から200万年前)中にあります。プレートに乗って、やがては伊豆半島となる海底が日本本土に近づきながら浅くなり、火山島がいくつも出来て盛んに噴出物を吐き出していた時代ですね。海中で噴出した溶岩は急激に冷やされるので、柱状節理にはなりません。柱状節理があるということは、陸上で溶岩が噴出し、冷やされたということです(海中で溶岩が固まると、前回紹介したような枕状溶岩ができたりします)。

 

これだけ交通の便のいいところにこのような大岩壁があるところはなかなか他にはなく、休日にはクライミングの人で賑わっています。城山の南の大仁から登る登山道がありますが(登山口にジオパークの看板が設置されています)、下の駐車場は岩目当ての人でいつも満員ですね。

この登山道に入って10分も行かないあたり、かなり古い採石場の跡があります。写真の鱗珪石は、その付近で採集したもの。

城山は結構すぐに登れるので、おすすめ(岩を登ったりはしないよ)。頂上からの景色もいいし、岩の様子も興味深いし、稜線のウバメガシの森も非常に美しいです。伊豆といえば、海沿い低山のウバメガシ、内陸高山のブナ・ヒメシャラ。どちらも、個人的にはもっとも好きな森ですね。伊豆の木々は、関東周辺の木々よりも何となく元気な感じがして。。。

 

Jouyama_01

伊豆の代表的なランドマークというにふさわしい、城山の岸壁。大仁側の登山口近くから。

 

2021年9月23日 (木)

玉髄(埼玉県飯能市上名栗武川岳周辺)

Chalcedony SiO2 酸化鉱物

 

Chalcedony_takekawadake_01

 

埼玉県・奥武蔵の武川岳南尾根(名郷からの登山道)上で見つけた玉髄です。

この周辺は後期ジュラ紀から前期白亜紀の付加体層で、石灰石やチャートが散らばります。尾根の東側は石灰の採石場、西側の沢に下りればマンガン鉱山のあった山中のほど近くです(現在名郷からウノタワ、妻坂峠に登る林道・登山道は崩壊のため通行止めになっています。2021年9月現在)。

この石は小さな水晶、緑簾石がついていて、山に登る途中で見つけて拾ってきたものです。石英か方解石か調べようと長波UVをあてていて、光るところがあるのに気づきました。青くきれいに光ります。

 

Chalcedony_takekawadake_02

 

きれいですねー。蛍光する玉髄は初めて拾いました。

玉髄は微細な石英が繊維組織をとったもので、自体は蛍光はしないのですが、内部に不純物が含まれているとそれが光ります。ウランが含まれていると緑に、鉱物油などが含まれていると青く、他にもランタノイド系の元素が含まれていると黄に、マンガンが含まれていて青緑に光るなどいろいろな場合があるようです(蛍光鉱物一辺倒 石英の項)。玉髄の破面はスポンジ状をしていて微細な孔があいており、そこに水などが含まれることによって、水晶とは若干異なる化学的性質を持つのだそうです(比重、屈折率がちょっと違う)。

写真は青く光っているので、石油とか、メタンとか、樹脂のようなものが含まれているのかな? ここらへんの地層は海成なので、メタンの気泡でも含んでいるのか? よくわかりませんが、写真を見る限り、何か入ってそうな見かけはしてますねw

 

奥武蔵のこのあたり(から秩父にかけて)は、石灰採石場、マンガン鉱山があちこちにあります。小松鉱山のようにバナジウム系の鉱物が産出するところもありますが、詳しい場所はわかりません(このあたりじゃないかと思う場所はあるが、まあ見つけるのは無理かなw)。

武川岳から稜線を歩いて鳥首峠から名郷に戻りましたが、峠の下、石灰を採掘していた武蔵白岩鉱山の廃墟が残っていました。2015年まで稼働していたそうですが、今でもズリに飲み込まれつつある村の廃墟、軌道のレールなどを見ることができます。子どものころは西武沿線に住んでいたのでこの近辺もよく来ていたのだけれど、当時はまだ稼働していたんだなぁ。

 

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武川岳南尾根。尾根上には石灰岩が多く、よじ登るような場面もあるよ。

Okumusasi_02
白岩集落の廃墟。その裏手は真っ白い石灰のズリが迫ってきている。

 

Okumusasi_03
白岩集落跡から林道まで続く軌道のレール。

 

石灰といえば、最近SDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)に対応しているという、石灰を使った紙の代替品が話題になっています。木や水を使用しないということで、エコだということなんですが、それに対する批判もあって、どうもよくわかりません。

木の伐採をしなくてすむし水も使わない、石灰は世界中に文字通り山ほどあるってことですね。

反対意見としては、木は植えれば再生できるし、水は消費しているわけでなく利用しているだけ、むしろ石灰は再生できない、ということのようです。

まあでも石灰は、海に生物の死骸が堆積しプレートが動いている限り、現在進行形で生成され続けている(数百万年単位だがw)ので、資源として限りがあるということはないですよね。

でも石灰採掘で山(と森)が崩されるというのも確かです。石灰だけでなく、クリーンエネルギーといわれる水力、風力、太陽光発電も、そういう意味ではクリーンとはとてもいえない。水力なんて環境負荷は表面だけを見ても甚大です。

風力、太陽光発電も、狭い日本では大抵平野ではなく山中に作りますが、作るためにはそれ自体の用地だけでなく、道路(林道)をいっぱい作らなければなりません(植林でもそうですが)。山というのは重力という絶え間ない力に常に抵抗しているわけで、もともと崩れるものですが、道路というのは山の斜面を切っているので大規模な崩壊のきっかけになることが非常に多いのです(伊豆大島の大雨による土石流もそうでした)。山中で皆伐したあとに作られた太陽光発電の場所にでくわすと、土砂が流れ出ていたりするのを見たりもします。山の自然の侵食を加速している、というイメージですね。

さらにいうなら(日本での)植林というのは、自然林を皆伐して杉・檜の単層林にしているわけで、非常に広い範囲にわたって生態系を完全に変えているわけです。特に昭和の拡大造林政策によって、昔からの里山だけでなく、さらに奥の稜線の上まで植林にされました。今でもとっくに崩れた林道の奥、まったく手入れをなされていない植林をよく見かけたりします。最近シカの食害がーとかいろいろ言われて悪役にされますが、一番影響を直接受けたのがこのシカです。というか、環境に対するシカの影響など、人間による影響と比べたらないようなもので、ようするに「自然」環境に対する悪役ではなく、人間の経済活動に対する悪役なのですね。

 

ようするに何が言いたいのかというと、何が自然環境により良いのか、より悪いのか、なんてことを理解するレベルに人間はまだ達していないのではないか、ということ。さらに、そのレベルに達することはないのではないか、ということです。

やはり最近悪役にされるプラスチックですが、本当に環境負荷が高いのかどうか。そもそも海にビニール袋が捨てられているのは、樹脂が悪いわけでなく、そこらへんに捨てる人間が悪いんじゃ。。。その代替として紙が使われるほうが負荷が高いんじゃないか、さらにその代替として石灰が使われるほうが負荷が高いんじゃないか、さらにその代替として。。。

昔、内分泌かく乱物質(環境ホルモン)ってのがかなり話題・問題になりましたが、現在ではその影響はないとされていたり、まったく解明されていなかったり、ようするに一時の流行でしかなかった。甘味料のチクロも毒だといって世界中で規制されたけれど、結局それを示すような実験結果はひとつもないし(ちなみに日本では今も規制されてる)。これも一時の流行です。新コロのワクチンも似たようなものでは?

 

多分、人間は最終的に何が正解なのか、理解しきることは不可能なんでしょう。わかることはないのだ、と理解することが大事なんじゃないかなあ。そこからどう行動したほうがいいか、見えてくるような気がします(ここで「しなければいけない」と言うと、一気に間違ったほうに進んでしまう)。ソクラテスですね。ソクラテスの「無知の知」というのは、「知らないということを知る」「だからもっと調べなければならない、勉強しなくちゃいけない」ということではありません。後半が違うと思う。

なんか、えらく話が大きくなってしまったので、ここでおしまいw

 

2021年4月28日 (水)

軟マンガン鉱(静岡県下田市高根山鉱山)

Pyrolusite MnO2 酸化鉱物

 

Pyrolusite_takaneyamam_01

 

伊豆下田の高根山鉱山で見つけた、グラデーションがうつくしい微細な水晶(玉髄)。

表面に、なんか膜状のコケのようなものがついていました。こちらも色の変化がおもしろいです。

左上の黒っぽい部分を拡大してみると。。。

 

Pyrolusite_takaneyamam_03

 

金属的な光沢の、黒っぽい鉱物。多分軟マンガン鉱ではないかと思います。

表面がいろんな色に変化しているのはあんまり見たことがないけれど、酸化して被膜がついているんでしょうか。

 

Pyrolusite_takaneyamam_05

 

こんなのもありました。表面が金属光沢できらきらしている腎臓状集合の裏側が見えていて、炭のように黒くくすんだ光沢のない様子がわかります。

高根山鉱山では、やはりマンガン系の鉱物で、ありふれた軟マンガン鉱より珍しいバーネス鉱というのもでるらしいですが、この裏側のような、地味な感じみたいです。

 

Pyrolusite_takaneyamam_06

 

こんな結晶っぽいところもありました。細かい柱状結晶が集合しているように見えます。そういえばすぐ近くの寝姿山では、ラムスデル鉱の針状あるいは柱状結晶がありました(ラムスデル鉱(静岡県下田市寝姿山))。直線距離で1kmほどしか離れていません。

 

どうもマンガン鉱物というのは、人間がもっとも古くから使用してきた鉱物である可能性があるようです。

現生人類種との関係はまだ明確ではないけれど、ヨーロッパにいたネアンデルタール人は、マンガンを顔料とし、また粉末にして火をつけるための材料として使用していたようです。現生人種が欧州に到達するはるか昔、ネアンデルタール人が暮らしていたというフランスのペシュ・ド・ラゼ洞窟から、クレヨンのような二酸化マンガンの固まりが見つかっています(ナショナルジオグラフィックマガジン2008年10月号 ネアンデルタール人 その絶滅の謎)。

なるほど、軟マンガン鉱は触るだけで指が黒くなるから筆記用具になりますね。マンガン鉱床には大抵どこにでもあるありふれた鉱物で、手に入れるのも比較的容易ですし(といっても、何も情報がないところからいざ探すとなったらえらく大変ですけど)。あるいは、描ける便利な黒い石が採れるから、そこに住むようになったということもあるのか(ペシュ・ド・ラゼ洞窟で見つかったマンガンがどこで採取されたものかは知りませんが)。

ネアンデルタール人の系統が現生人類と分岐し分かれた時期はよくわかっていないようで、説によって何十万年もの差がありますが、先に故郷のアフリカから広い新世界に向けて出発した先輩であることは間違いないようです。約4万5000~3万年前にはヨーロッパあたりで両者の分布域が重なっていたので、もしかしたら何らかの接触があって、現生人類もマンガンを使っていたかもしれません。混血があったという説もあるみたいです。

その後、ネアンデルタール人は絶滅したとされます。その理由は分かっていません。

ネアンデルタール人というと現生人類より文化的に劣っていたと考えがちですが、どうしても身びいきになってしまうもので(自分が一番優れていて特別なんだと思いたいですよねw)、もしかしたら逆にこちらがいろいろ学んだ(あるいは奪った)のかもしれません。マンガンの探し方とか、使い方とか。。。その後、人間はマンガンのさまざまな使い道を発見します。大プリニウスの『博物誌』には、黒い(軟マンガン鉱の)粉末を使ってガラスを無色透明にすると記してありますし、さらに19世紀にはマンガンを使った電池が発明されました。

人間は、はるか過去から現代まで、マンガンのお世話になりっぱなしですね。

 

2021年4月 5日 (月)

鉄重石(茨城県城里町錫高野)

Ferberite Fe2+(WO4) 酸化鉱物

 

Ferberite_suzukoya_01

 

錫高野(高取鉱山)の代表的な鉱物のひとつ、鉄重石です。

上の写真はカメラ本体のみでのマクロ写真。重石というだけあって、ずっしりと重いです。

下は細長いノリのような小さな鉄重石を顕微鏡で拡大したもの。どちらも母岩は石英。

 

Ferberite_suzukoya_02

 

錫高野は天正年間末(1590年)ごろ砂錫が発見され(豊臣秀吉が関白の位についたのが1591年、天正19年のこと)、以降、江戸時代には錫が採掘されてきた古い鉱山です。

明治41年には鉄マンガン重石が発見され、錫高野から高取山をはさんで西側の高取鉱山でタングステン、銅、錫が採掘されてきました。昭和60年以降現在まで、休山しています。

成分的には、鉄を多く含む部分とマンガンを多く含む部分が混じっているようで、以前は鉄マンガン重石といわれていましたが、現在では鉄成分のほうが主なので鉄重石といわれています(マンガン成分のほうが多ければマンガン重石となる。固溶体の50%ルールといったりします)。

普通、鉱山あとでは採掘していた鉱物はズリにほとんど残っていないものですが(それが目当てで採掘していたんだから当たり前、ズリはいらない石の捨て場)、錫高野では鉄重石も錫も結構よく見かけます。高取鉱山の中心地(塩子川)は錫高野(桂川)と高取山を挟んで若干離れていて、明治以降は錫高野側ではあまり採掘されていなかったんでしょうか。一応坑道跡は残っているんですが(錫高野と高取鉱山の坑道は繋がっているらしい)。

タングステンは、硬度の高さ、比重の大きさ、熱膨張率の低さなどから、超硬度の合金として切削用工具などに使われ、また武器の装甲、弾芯(装甲を貫く徹甲弾など)としても使用されることが多いようです。第二次世界大戦時の艦砲用の徹甲弾にも使われたのでしょうか。一般的には電球のフィラメントのイメージですが、最近はLEDが普及してきたので、かなり減ってきているようですね(ただし、高取鉱山のタングステンは不純物の除去が難しく、フィラメントとしては使えなかったという話も。。。)。

タングステンは現在ではほとんど中国からの輸入に頼っているそうですが、天然資源としては日本にもまだ存在しているということですね。

ただ、鉱山というのは基本大変な重労働で、環境問題にも大きく関わってくるので、まったく採算に合わないということなのでしょう。汚いやばいところは他の国にやってもらって、金持ち国はお金を出して、環境問題を大きく叫ぶってわけですねw 二酸化炭素排出量なんかと同じく。

 

Ferberiteの名前は、ドイツ・チューリンゲンはゲラ出身のテキスタイル商人で、アマチュア鉱物学者のモリッツ・ルドルフ・フェルバー(Moritz Rudolph Ferber: 1805-1875)にちなんでつけられました。1872年、彼は膨大な鉱物コレクションを有するイエナの「Großherzoglichen Societät für die gesamte Mineralogie」(〈ワイマール〉大公国全鉱物学協会とでも訳すか?)の会長に選任され、イエナ大学から博士号を授与されています。ゲーテも会長だったことがある組織です。

 

2021年1月29日 (金)

パウ石(静岡県下田市稲生沢川流域)

Poughite Fe3+2(Te4+O3)2(SO4)・3H2O 酸化鉱物

 

Poughite_rendaiji_01

 

またまた稀産鉱物の宝庫、河津鉱山由来の、珍しい鉱物です(多分)。

最初微細な水晶の晶洞の中に見つけた時はキントレ石かと思ったのですが、キントレ石はもっと錆びて赤茶けた水晶などにくっついているイメージなので、ちょっと違和感がありました。さらにいろいろ調べているうちに、見つけました。それまでまったく聞いたことのなかった名前です。河津鉱山の黄色い鉱物ということで、やはりテルル系。

模式地は、テルル鉱物を多産したメキシコのモクテスマ(Moctezuma)鉱山。モクテスマというのは、アステカの国王の名前で、ナワトル語で「若き君主」の意だそうですが、モクテスマという町の名前がどのような経緯でついたかはわかりません。1968年、ゲインズ(Richard Venable Gaines)により、アメリカの鉱物学者・パウ(Frederick Harvey Pough、1906-2006 )に因んで命名されました。パウは、アメリカのいくつかの博物館長を務めた人で、Peterson Field Guide to Rocks and Minerals などの著作があります。

日本では河津鉱山のほか、北海道の手稲鉱山、小別沢鉱山で産出するようです。

 

それにしても、河津鉱山(蓮台寺川)の多彩な産出っぷりは、まったくびっくりします。ちょっと川原から拾ってきた石を、とにかく細かく割って顕微鏡でじっくり見ていくのが、ほんとうに楽しい。何かしら見つかります(もちろん、どういう石を拾うかが重要なんですが)。

ふと思ったんですが、蓮台寺川は下田市で、河津町からは結構離れているのに、 どうして「河津」鉱山なんでしょうかね。おかしくないですか。かなり範囲が広いとはいっても、蓮台寺川流域は全部下田市の範囲だし、車で県道414号を河津に向かっても、かなり距離があります(現在、新しくトンネルが掘られて、バイパスが建設されていますね)。どう考えても、ここを河津鉱山というのはおかしい。個人的には、河津といったら天城の南麓という感じで(登り尾、猿山、三筋山など、つまり河津川流域)、南伊豆の下田とははっきり別地域というイメージなんですよね。

1600年ころにはもう掘られていたようですが、昔はこのあたりも河津と呼ばれていたんでしょうか。やはり古い縄地鉱山あたりとまとめて認識されて、一緒に河津呼ばわりされていたとか? あるいは、昔はもっとずっと広い範囲で採掘されていて、河津川の周辺まで鉱山地域が広がっていたのか? もしそうならば、蓮台寺と河津の間の山間部、特に稲梓の西側周辺の山では石関連の話を聞きません(加増野や青野まで行けば鉱山跡があります)が、ちょっと気になりますね。。。

 

2020年11月12日 (木)

磁鉄鉱(埼玉県秩父市秩父鉱山)

Magnetite Fe2+Fe3+2O4 酸化鉱物

 

Magnetite_chichibum_01

Magnetite_chichibum_02

 

秩父鉱山は橋掛沢の、きれいな十二面体の磁鉄鉱です。

磁鉄鉱自体はもうどこにでもある鉱物ですが、黄鉄鉱と同じで、ありふれているからこそそのきれいな結晶が際立っていると思います。大抵はかたまり状か八面体の結晶ですが、肉眼で結晶という不思議を見ることができるのはやはり魅力的ですね。磁石を近づけると、すごい勢いで吸いつきます。

黄鉄鉱はあまり役にたちませんが、磁鉄鉱(の風化した砂鉄)は、たたら製鉄の原材料として、日本ではもっとも重要な鉱物のひとつでした。ちなみに「たたら」とは元々ふいごのことですが、次第に砂鉄と木炭を熱して鉄の原料を作る際の炉、さらには製鉄場のこともたたらといわれるようになりました。語源は、サンスクリット語の「熱」を意味するタータラ、ダッタン語の「猛火」を意味するタタトルからきているなどといろいろな説がありますが、いずれにせよインド・中央アジアあたりから伝わったもののようです。

磁鉄鉱といえば、自然の鉱物の中で最も磁気が強いものですが、それでも磁石といえるほどの強さはありません。さらに磁性が強くなって自ら砂鉄などを引き寄せるようになったものを天然磁石・ロードストーン(Lodestone、Loadstone)といいます。落雷の電流によって生成されるともいわれていますし、または磁鉄鉱が酸化・風化によって磁赤鉄鉱(Maghemite)となると、天然磁石になります。

ロードは道とか進路という意味で、リード(lead)と同じ語源を持ちます。人を導いてくれる羅針盤などからついた名前でしょう。

 

Magnetiteの語源ははっきりとはしていないのですが、ひとつは、古代ギリシャ・テッサリアのマグネシア(Μαγνησία)で磁鉄鉱がとれたので名前がついたという説があります(マグネテス人という人々が住んでいたらしい)。ただ、マグネシアには滑石の鉱山もあり、滑石からできた白い粉をマグネシアと呼んだ→マグネシウムの由来、という話もあり、実にややこしいことになっています。ここでは磁鉄鉱、滑石だけでなく、マンガンなども産出したようですね。さらに、ギリシャのマグネシアの人々が小アジアに移住し、現在のトルコにもマグネシアという地名が2か所あります。そして、そのうちの1か所からも磁鉄鉱は産出したようです。質が悪くあまりくっつかないという話が残っているので、多分ロードストーンではなくまさに磁鉄鉱だったんですね。

もうひとつ、プリニウスの「博物誌」には、ギリシャの詩人ニカンドロスによると、マグネスという羊飼いが放牧をしている時、偶然発見したので、その名前から命名されたという話が載っています。

。。。まあとにかくあのあたりが語源ってことですね(あやふや)。

羅針盤が作られたのは中国ですが(11世紀、宋の時代)、磁石は紀元前から「慈石」として知られていました。どうやら石が引き合うさまを、親子の慈しみになぞらえたようです。現在の中国河北省には磁県という地名がありますが、これは慈石が採れた慈石山という山があり、そこから慈州→磁州→磁県と変わってきたらしいです。

 

硫黄と同様、世界の磁鉄鉱史もかなり面白そうですね。多分調べれば調べるだけいろいろと出てきそうですが、きりがないので、このへんにしときます。

 

2020年10月12日 (月)

テルル石?(静岡県下田市稲生沢川流域)

Tellurite? TeO2 酸化鉱物

 

Tellurite_rendaiji_01

Tellurite_rendaiji_02

 

伊豆下田、河津鉱山のズリ跡からと思われる石です。

石英の小さな晶洞中にあった無色透明の板状の結晶。周囲の小さな水晶はオレンジ色に染まっています。普通に錆びがついているのか、それともテルルの色なのか、わかりません。その中で、この結晶だけは無色透明を保っていて、とても目立ちます。なんだろう?

自分としては、とりあえずこれはテルル石ではないかとしておきたい(まあ願望ですねw)。

ネット上で見られるテルル石の写真は、濃度の違いこそあれ、すべて黄色~オレンジ色をしているけれども、いろいろな本の説明では無色・白色~黄~橙となっています。

河津鉱山の産出鉱物の一覧(TrekGEO)の中で、こういう結晶になりうるものは他にあるのかどうか。正直、初めて見る名前がいくつも出ているのですが、この中だと、重晶石か、石膏か、輝沸石とか? あるいは2枚目の写真だったら、双晶で板状になっちゃった水晶とか? どれもイヤだなあw せっかく何とか探して手にした河津鉱山の石なんだから、テルル石の結晶にしておいてよ…

…という気分なのですw

もし本当の正体が判明すればそれにこしたことはないですが、不明である今はとりあえず、「テルル石?」という地位に置いておこうかと思います。

このブログではもともと「なんだかよくわからないもの」もどんどん載せていこうと思っていたので、まあお許しください。

 

大体鉱物というものは図鑑等を見ても、そっくりそのままのものが出てくることのほうが少ないですね。生物とはそこが違うところです。

ちょっと違う成分が入れば色もどんどん変わりますし、理想的な結晶の形をしているほうが珍しい。というか、差がはっきりしていないのが普通といっていいみたいです。

たとえば、キノコなんかに、ちょっと似ている気がします。キノコも、同じ名前のつくものであっても、地域によってちょっと違っていたりするような気がします。似た別種のキノコであっても、実ははっきりと分かれているのではなく、鉱物と同様にグラデーションのようにその間が連続しているのではないかと思うことがあります。

めんどくさいことに、名前も地域差があって、これがえらく紛らわしいことになっていたり。イッポンシメジというと、普通は毒キノコですが、地域(山梨や栃木など〈の一部地域?〉)によっては食べられるウラベニホテイシメジのことをイッポンシメジといったり(実際この2つはとても似ている)。それらとやっぱり似ている毒キノコ・クサウラベニタケのことを、ツキヨタケといったり(まったく別の毒キノコ)。ツキヨタケは日本で一番被害の多い毒キノコです(見た目、すごくおいしそうで大きいのです)。

でも鉱物は同定を誤っても、キノコみたいに苦しんだり死んだりしないので、まあ気楽ですねw

 

2020年9月16日 (水)

水晶(日本式双晶など)(長野県茅野市金鶏金山)2

石英 Quartz SiO2 酸化鉱物

 

長野の金鶏金山で見つけた水晶です。日本式双晶を中心にまとめました。その2。

 

Quartz_kinkeim_04

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V字型の双晶2つ。1枚目の写真の水晶は、採集した中でも一番大きいもので、肉眼でも見えるサイズです。

双晶ができる原因は一体なんなのでしょう。不純物で双晶ができやすいといいます。双晶が多い地方に共通するものが多分あるのでしょうが、まだ解明されきっていないのかもしれません。その原因についてかっちり説明してくれるものが、なかなか見当たらないので。

普通はいくら水晶がたくさんあっても双晶なんて見られないのに、あるところにはたくさんあるのが面白いです。その原因が化学物質なのか、環境なのかわかりませんが、何か決定的な原因があるはず。金鶏金山であればビスマスとかクロムとか、そういった特徴的な要素が何か影響していたりするのか。。。

 

ところで、ネットで検索していて、面白いところを見つけました。水晶デバイスの開発の歴史をまとめたサイトです(「微の歴史 QMEMSストーリー」)。とりわけ、第4回、戦後の工業における水晶をめぐる状況や、人工水晶の開発の経緯など、なかなか興味深いものがありますね。ちなみに双晶は水晶デバイスには使用できないそうです。

このサイトはセイコーエプソンのHP内にあります(クオーツ式腕時計を世界で最初に開発したのが、諏訪精工舎=セイコー)。そういえば、金鶏金山に行く途中だったか、エプソンの工場の前を通ったような。。。まあ諏訪がまさに本場ですもんね。

 

Quartz_kinkeim_06

両錘の水晶です。2つの水晶の先端に挟まれています。2つの水晶の間に「種」が挟まり、その種から両側に成長していったということでしょうか。こうやってできるんですねぇ。というか、この水晶自体も貫入双晶になってる?