最近のトラックバック

無料ブログはココログ

▽珪酸塩鉱物

2022年5月18日 (水)

鉄礬柘榴石(茨城県北茨城市華川町花園)

Almandine Fe2+3Al2(SiO4)3 珪酸塩鉱物

 

Almandine_hanazono_01

Almandine_hanazono_04

Almandine_hanazono_02

 

茨城県花園の鉄礬柘榴石です。あまりこれというものが見つからない中、この柘榴石はなかなか大きくてシャープな結晶で、印象的でした。基本真っ黒で不愛想な見かけですが、ものによっては若干ザクロ色が入ったようなものもありますね。ごく小さい結晶ならば、3枚目のように透明感のあるピンク色できれいなのもあるようですが。

柘榴石はたくさんの種類がありますが、宝石のガーネットといえば、普通はAlmandineのことです。アナトリアの古代都市・アラバンダ(Alabanda)を由来とする名前らしいのですが、アラバンダは産地ではなく、宝飾品としての加工拠点で有名だったところです。産出量の多さ、加工しなくとも美しい結晶形、かなり大きい結晶が出ること、ものによっては透明で美しい深赤色をしていて、古くから宝石として親しまれてきました。日本でも、大きくきれいな形の結晶の産出地があちこちにあります(ただし宝石になるようなレベルのもの、つまり透明度の高いものは日本にはほとんどない)。ちなみに、鉱物弱小県の神奈川県ですら小さいけれど透明できれいなのが出ますw(微細な柘榴石を含む火山灰が県全域に広がっている)

その硬さ(モース硬度7~7.5)から、研磨剤として採掘されていたこともあります。一応宝石なのに研磨剤。。。ガーネットは、「身近な、ありふれた宝石」といえるかもしれませんね。

ところで、劇場版アニメ『時をかける少女』の主題歌にもなった、奥華子の「ガーネット」という曲があります。この曲の歌詞中には「ガーネット」という言葉が出てこないのですが、この「身近な、ありふれた宝石」というのがぴったりな感じの内容で、とてもいい曲だった。自分は奥華子はメジャーデビュー前からお気に入りでよく聞いていたのですが、結局彼女は大きくブレイクはしませんでしたね。でも好きな人にとって、そんなのはどうでもいいのです(本人にとっては大きなことでしょうけど)。音楽とは、それが好きな人にとっては、心に一生残り続けるものだし、音楽の価値というのはそこにこそあるものだから。

 

花園溪谷周辺には何か所かポイントがあったようなのですが、もうあまり人も訪れないのでしょうか、ズリ(だったと思われる場所)も雑草に埋もれてよくわからなくなってたり、林道だったと思われるヤブをかき分けたりと、結構苦労しました。まあはっきりとした場所の情報もないので、このあたりかなぁと何となく雰囲気に任せて探すわけですが、土地勘がまったくないのでもう運任せ的な? それでも、それらしい場所を見つけると、それだけでうれしくて、なんかやり遂げた感があって、肝心の石探しは割とあっさりとすませちゃったりします。

花園神社とその背後の山中の奥宮、なかなか立派な滝など、北関東の山はほとんど経験がないので、石が見つからなくても割と楽しめた記憶があります。茨城県なんて、石に興味なければ多分来ることなかっただろうし。。。(そういえば昔、那珂川にカヤックでツーリングに来たことがあったことを思い出しました)

この辺の沢とか見て回ると、いろいろ見つかりそうだなぁという感じですが(思ったより険しそうな気もしますが)、多分地元の人はくまなく探し回っているのではないかと思います。ほとんど知られていないポイントとかもあるんだろうなぁ。

茨城県北部はさすがに日帰りでは遠いので、花園溪谷のキャンプ場に泊まりました。ここからだと、各ポイントを周るのにも便利でした。でも、他県ナンバーの車は自分たちだけだったと思うw ですよねー、そんな派手な観光地ではないので。でも結構居心地はよかったかな。

 

Hanazono

花園川の様子。渡渉してこのヤブ山のなかを探したw

 

2022年5月 8日 (日)

灰鉄輝石(長野県川上村甲武信鉱山)

Hedenbergite CaFe2+Si2O6  珪酸塩鉱物

 

Hedenbergite_kobushim_02

Hedenbergite_kobushim_04

 

甲武信鉱山の代表的な産物のひとつ、灰鉄輝石です。

ここではcmレベルの大きな結晶がごく普通に見つかるので、とても感動するのです。大きなものほど透明感がなく、黒色の柱状結晶になります。小さいものは緑がかった透明感のある結晶の束になっていることが多いです。

 

この前湯沼鉱泉に行った時、電気が止まっていて、真っ暗でしたw

最初は行く予定ではなく、廻り目平でテントを張るつもりだったんですが、ここは奥秩父・金峰山や小川山などへの登山口であるだけでなく、岩系の人たちの聖地みたいなところでもあって、いつも混んでてにぎわってるんですよねぇ。確かに居心地のいいところです。いっぱいでもう入れなかったので、それじゃあと湯沼鉱泉に行ってみたら昼なのに中は真っ暗。。。(それでも宿泊している人はいたらしい)

それで駐車場にテントを張らせてもらいました(もちろんそれなりのお礼はしてますよ)。おそらく阿鼻叫喚であっただろう廻り目平と違って、実に静かなものでした。ねこやご主人が様子を見に来たりしてw そもそも千曲川の最上流域にある川上村は、標高1200mを越えた高所ですので、夏の居心地は最高なのですよね。

次は普通に泊まりたいですが、正直いつまで営業しているか心配ではあります。

甲武信鉱山近辺は、奥秩父でもほとんど人の訪れない地域で、山登りとしてもちょっと興味があります。下の林道から稜線まで尾根伝いに行ってみたことがあり、岩稜や、ちょっと試しで掘ってみたような跡があったりと、なかなか面白かったのですが。。。標高を上げると、シャクナゲのヤブになってきて、おそろしくやっかいで時間がかかるので、途中であきらめて沢沿いのジグザグの鉱山道に下りたことがあります(下りるのもルート探しが必要ですが)。

シャクナゲのヤブというのは、まあとにかく最低最悪のヤブで、個人的にはその意味でハコネダケ(箱根あたりに密生しているササ)と双璧ですかねw 絶対先に進めさせないぞという強い意志を感じます。花はきれいですけどね。。。

一番上の坑口まで行くことがあったら、そのまま稜線まで割とすぐに登れるので、石探しの合間に行ってみるといいかもしれません。長峰とその北の1978峰(険しい岩のピークなので登るのは大変かも)の間に、地形図にも出ていない小さな岩の突起があって、眺めもよくていいお休みどころになっています。

 

Kobushim_01_20220508204601

甲武信鉱山の上の稜線から、左:金峰山、中央の低い鞍部:八丁平、右:小川山と屋根岩。

 

2022年4月17日 (日)

種山石?(埼玉県飯能市岩井沢鉱山)

Taneyamalite (Na,Ca)Mn2+12(Si,Al)12(O,OH)44 珪酸塩鉱物

Taneyamalite_iwaizawam_01

 

種山石。。。ではないかと思うのですが、はたしてどうか。。。

岩井沢鉱山といえば、ぜひとも見つけたいのがこの種山石。熊本県の種山鉱山と、岩井沢鉱山で発見され、1981年に報告された日本産のマンガン系の新鉱物です。黒緑から茶褐色の繊維状で、脈状に分布することが多いが、種山鉱山のものは鉄分が多くて黒味が強く、岩井沢のものはマンガン成分が多くて黄色が強いとか。

日本では、他にも四国のマンガン鉱山等で産出しますが、日本以外ではアメリカのカリフォルニア周辺でしか見つかっていない珍しい鉱物です。種山石よりも数年前にアメリカで発見されたハウィー石(Howieite: Na(Fe,Mn)10(Fe,Al)2Si12O31(OH)13)という鉱物の仲間ですが、こちらも種山石とほぼ同じ場所でしか見つかっていない鉱物です(こちらは岩井沢では確認されていない?)。

何かは分からないのですが、繊維状ではないが似たような色合い(透明度さまざま)の箇所(大抵脈状に入っている)も多く、ちょっと自信ないですけど。。。

 

子どものころ西武沿線に住んでいたので、奥武蔵は行きやすいということでよく訪れていたのですが、その後引っ越したり山に行かなくなって長いこと離れていました。最近は石への興味もあって、ちょくちょく行くようになったのですが、何となく懐かしく感じたのが、地面を踏む感覚でした。もちろんあちこちから見える武甲山の姿も懐かしい(でもこんなに削れてなかったような記憶。。。)のですが、地面を歩く感触が、たとえば丹沢や奥秩父、伊豆なんかとは全然違うんですよね。言葉にしようとすると難しいのですが、なんとなく乾いているのにじっとりとしていて滑りやすい感じというか。。。ようするにこれはチャート系の感触なんですね。奥多摩なんかでも同じ感触があります。

歩く感触が、その地域の岩質で明らかに違うというのは、間違いなくあるんですが、あまり聞きません。花崗岩の感触と、伊豆の白浜層の岩の感触の違い。。。三浦半島と千葉の鋸山は似てるとか。。。言葉にしずらい、数字で表現できないもので、鉱物の光沢の違いに似ているかもしれない。光沢の表現というのも、なんというか、わかるようなわからないような。。。けっこう謎なところがありますよね。なめて味で判断の一助にするとか、もしかしたらあるんだろうか(まあこれはやらないほうがいいと思いますがw)。触感の違いというのも役にたちそうな気がしないでもない。

もしかしたら犬系の動物だったら、匂いで地域の差、地質の差などを感じているのかもしれない。そのあたりをうまく表現する方法が見つかると、便利だし面白そうですが。。。他人とその差を共有することがはたしてできるのか。

でも、色というのも、はたして他人ときちんとその差異を共有できているのか。左右の目で色がちょっと違って見える人もいますし、自分は左右の耳でかなり聞こえ方が違います。

こう考えていくと、実は人によってまったく認識する世界の姿が違うのではないか、すべての人のコミュニケーションは勘違いによって成り立っているのではないか、という疑問すら出てきてしまうので、ここで話を中断しておこうと思いますw

 

2022年4月 6日 (水)

透閃石?(山梨県南巨摩郡身延町本栖湖周辺)

透閃石 Tremolite ☐Ca2(Mg5.0-4.5Fe2+0.0-0.5)Si8O22(OH)2 珪酸塩鉱物
緑閃石 Actinolite □Ca2(Mg4.5-2.5Fe2+0.5-2.5)Si8O22(OH)2 珪酸塩鉱物

 

Tremolite_motosu_01

Tremolite_motosu_02

Tremolite_motosu_03

 

透閃石とか緑閃石とか、その類ではないかと思うんですが、まあはっきりとはわかりません。

あんまり緑っぽくないし、以前緑閃石は書いたことがあるし、透閃石にしたいかな? まあそうかもしれないことにしとこうかな? 的な。でもきらきらとした繊維状の様子は、なかなか立派です(小さいですが)。酸化して茶色くなってしまっていますが、それもまた趣きがある。

鉄分が少ないと透閃石、鉄分の量が増えると緑閃石になりますが、当然これは分析しないとわかりません。茶色に錆びているところを見ると、これは鉄分が多いのだろうか。だとしたら緑閃石としたほうがいいのかもしれませんが。。。まあいいやw

採集したのは、本栖湖畔・川尻鉱山そばの沢を少し上流に登ったあたり。これがついていた石は黒く緻密でかちかちに硬く、泥質ホルンフェルスのような感じ。鉱山のズリ跡、坑道付近ではまったく見かけない石です。沢では、鉱山産の鉱石様の石は一切見られません。地質図を見ると、「海成層 泥岩 前期中新世後期-中期中新世付加体」とのことなので、多分泥岩が変成されたものなのでしょうか。鉱山跡はすぐそばですが、玄武岩質となっていて、ちょうど地質の境界になっているみたいです。

泥質のホルンフェルスには、菫青石、紅柱石、珪線石などがよく見られるそうです。変成の温度、圧力によって、生み出される鉱物が変わってきます。この石も拡大すると、きらきらした結晶が表面にいっぱい見えますが、なんなのかよくわかりません。とても柔らかいところを見ると、上記の鉱物ではなさそうですが。。。

他にも、黄鉄鉱か黄銅鉱らしき、きれいな円形皮膜状にへばりついた金属光沢の部分も見えます。これは一体どうやって生成されたのだろう。場所によっては多分黄銅鉱が酸化したのか、鮮やかな紫や青に光っているところもあって、にぎやかな石です。

 

Pyrite_motosu_02

 

鉱山跡などから鉱物を探すのがまあ一般的なのでしょうが、個人的には、鉱山というわけではないごく普通の山の沢の石から面白い鉱物を見つけるほうが好きです。なんということもない粒子状ほどの小ささの結晶でも(たとえそれが黄鉄鉱とかごくありふれたものであっても)、思わぬところから見つける方が意外性があって、楽しいです。でもここではこれが産出する、という情報がないので、同定するのが難しいのが困るのですよねぇ。。。

やはり鉱山というのは人為的なもので、それはそれで面白いし楽しみ方も大きいのですが、人の手によらず風雨で山が崩れて沢になり、岩が露出してそこから自然に珍しい鉱物が顔を出す。。。というほうが、自分の好みということなのでしょう。別に変らないだろうと言われても、好みなのでいかんともしがたいのですw 鉱山というのは山を深く掘り、傷つけるものですからね。山の神さまを傷つけているような気もして、いまいち気持ちがもやもやする感じ。

沢には、山の侵食物がすべて集まります。基本的に、沢で石を探すのですが、ポイントがよく分からない時には、上流に向かって遡りながら、分岐ごとに石を調べて追っていったりすることもあります。

現在では堰堤のない沢などほぼ存在しないので、なかなかうまく追っていけないことも多いのですが、この堰堤そのものも、なかなか面白いのですよね。びっくりするような険しいところにも、いろんな堰が作られていて、びっくりします。時代もさまざまだし、石積み、木製、石と木の合わせ技、スリットダム(スリットで、大きな岩だけをせき止める)など、その種類の多さには目を見張るものがあります。ダムを見て回る趣味というのもありますが(ダムカードとかありますよね)、堰堤というのも、そういう対象に十分なりうるものだと思います。

台風などによる土石流の防止機能を担う重要な施設というだけでなく、土砂流出しなくなることによる川原や海浜の消失というような面など、自然と人間の活動のバランスの難しさを感じさせるという点でも、もっと注目されてもよいのではないかと思います。

石に飽きたら、堰堤の写真でも撮って回るのも面白いかなw

 

2022年2月11日 (金)

沸石(神奈川県足柄上郡林道秦野峠・高松鉱山周辺)(菱沸石、濁沸石、輝沸石)

菱沸石 chabazite Ca(Si4Al2)O12・6H2O 珪酸塩鉱物
濁沸石 Laumontite CaAl2Si4O12・4H2O 珪酸塩鉱物
輝沸石 Heulandite (Na,Ca)2-3Al3(al,Si)2Si13O36・12H2O 珪酸塩鉱物

 

Chabazite_hadanotoge_01

Chabazite_hadanotoge_02

 

Heulandite_hadanotoge_01

 

丹沢山地の南部域で採集した沸石です。

1~3枚目は、林道秦野峠付近の産。松田町の寄(やどろぎ)・稲郷と、玄倉をつなぐ林道の峠です。

1、2枚目の、四角くちょっと表面がマットがかったような半透明な菱沸石。見る機会の多いありふれた沸石ですが、これはちょっと他のと違った雰囲気で、表面の質感もてかてかした感じじゃないし、辺はシャープだけれど、面はちょっと膨らんだ感じで、面白い。くずきりみたいですごくおいしそう。

2枚目も同様ですが、先端を斜めにすぱっと切った刀状の小さな結晶は、濁沸石。

3枚目は、輝沸石。球状のかたまりから四方八方に結晶が成長しています。

 


(2022/2/24追記)

この菱沸石としたものですが、方解石ではないかという指摘をいただきました。今度調べてみるつもりですが、とりあえず念のためにここに追記をしておきます。確かに方解石っぽい感じもするのですよね。。。


 

Laumontite_takamatsum_01

 

林道秦野峠から南に延びる稜線を3kmほど辿っていくと、高松山です。高松鉱山近くの沢(以前の忍石海緑石?の項と同じ採集場所)では、4枚目の写真のような濁沸石の結晶がたくさん見られます。

成分式を見るとわかるように、沸石は水分子を多く含んでいますが、濁沸石は他の沸石と違い、空気に触れた状態でこの水分子が抜けてしまうので、放置しておくと白く濁っていき、粉状に分解してぼろぼろに崩れてしまいます。保存するためには水の中に入れておいたりしないといけません。

つまり、濁沸石の多い岩盤というのは、崩れやすいということですね。実際、林道秦野峠あたりの岩はもろくてすぐに崩壊するので、すぐ通行止めになったりします(今もダメかも)。露頭のそばにいても、自然にぽろぽろと小さな岩の欠片が落ちてくるので、結構怖かったり。あれは濁沸石のせいかもしれない。

現在高松山の南麓では新東名のトンネル工事が進められていますが、昨年末(2021年12月)、新東名の工事が難航しており、完成予定が再延長されるというニュースが流れました。もっとも難航しているのが、全長2.9kmの高松トンネル。高松山というか、その南の山上にある高松集落の下あたりを通るトンネルですが、尺里川をさかのぼって高松鉱山に行く途中で工事現場を通ります。

 

Hisarigawa_01

 

トンネルを掘ったあとの大量のズリはどこにあるんだろう、見てみたいなあ、マンガン鉱石とかあるかも! などとのんびり考えながら通り過ぎましたが(笑)、かなり苦労していたのだなあ、すいません。濁沸石の脈とか多そうだし、関係あるのかな?

 

松田町の寄は、沸石の産地として有名なようですね。寄のすぐ北・稲郷にも、マンガンが出た稲郷鉱山があったようです。枕状溶岩が見られる地域でもあります。

寄から山北の八丁地域まで、明治頃まではいくつかの生活道が山を越えて通っていました。花嫁が歩いて通った道ということで、はなじょろ道と言われていましたが、最近廃道になっていた古道が整備され、歩きやすくなったようです。山の上まですべて植林に覆われて暗く、正直登山としては魅力に欠ける山域といわざるを得ないのですが(ただこの周辺の植林は整備が非常にきちんとしていて気持ちはいいのです)、山の中に仏像などの遺構も多く、まあ興味の方向を変えてみれば面白い地域であるといえるのかな。。。でも、高松山の頂上だけは伐採された眺めのいい草原で気持ちいいですよ。

寄も、行政的には「やどりき」という読みのようですが、自分はずっと以前から「やどろぎ」とよんでいました。変な名前ですね。植物のやどりぎからきているのでしょうか。ロウバイ園で有名ですが、見に行ったことはありません。むしろその時期は混むので避けます。ちなみに、町の中を流れる川は、中津川。また中津川か。。。

林道秦野峠は林道上の峠ですが、旧秦野峠はまた別の場所です。峠を越える道は、痕跡はあるけれど辿ったことはないのでどうなっているかわかりません。この周辺は緑のきれいな緑色凝灰岩が多く、激しい崩壊地ばかりです。

個人的には、旧秦野峠から鍋割山までの稜線は、丹沢でも一番のマイフェイバリットですね。伊勢沢の頭の明るい草原、檜岳(ひのきだっか。ドッケなどと同じ岩山を意味する言葉に「岳」をあてたらしい)のブナ林、雨山峠付近から石英閃緑岩域に入り、崩れやすく険しい地形となっていきます。真っ白な岩と、馬酔木やコケの緑が美しい地域。人でごったがえす鍋割山の頂上直前まで、人もそんなに多くなく、変化に富んだ地質と植生が続きます。何度行っても飽きない地域です。

 

Hinokidakka_01

檜岳のブナ林

 

2022年2月 6日 (日)

海緑石?(神奈川県足柄上郡山北町尺里川)

海緑石 Glauconite? K(Fe, Mg, Al)2(Si, Al)4O10(OH)2 珪酸塩鉱物
緑泥石 Chlorite? [ A ][(OH)8|AlSi3O10] 珪酸塩鉱物
セラドン石 Celadonite? KMgFe3+Si4O10(OH)2 珪酸塩鉱物

 

Glauconite_takamatsum_01

Glauconite_takamatsum_02

 

高松鉱山の近くの沢で拾ってきた石を顕微鏡で見ていて、妙な構造物を見つけました(場所としては、以前の忍石と同じですが、今回の石は多分マンガン鉱山としての高松鉱山とは無関係だと思います)。

結構大きくて、最初ぱっと目に入った時はなんか虫関係のように見えて、ビクゥとしました(石を顕微鏡で見ていると、たまに虫がすごいでかく見えてぎゃーとなることってありますよね?)。

これはまた不思議な形。こんなのは見たことないですねぇ。

緑のきれいな透明感のある鉱物の欠片が、白い地にきれいに整列しています。その整列の仕方もいろいろあって、面白い。まるで何らかの生物由来のようにも見える配列です。

この緑の石はなんだろう。緑の石といえば。。。高松鉱山ではクロムをわずかに含んだ透輝石が出るようです。あと、一番最初に思い出したのは、ここは丹沢層大山亜層群ですので、セラドン石。大山の周辺(特に大山の北側)では必ず目にする緑の石です。川音川下流の松田惣領あたりでも多いみたいです(そのあたりはいつも通り過ぎるだけなので、よく知らないのだけれど)。見かけ的にも場所的にも、まあセラドン石でおかしくはない? あとは緑泥石という可能性もあるか。

でもそういえば、高松鉱山は酒匂川支流・尺里川(これで「ひさりがわ」と読みます。多分「久里」がどこかで「尺」になっちゃった?)ですが、そのすぐ西側の皆瀬川では、海緑石が見つかっています。セラドン石と海緑石は、ほとんど見分けがつかないとか。

この構造の白い地はなんだろう。セラドン石は、あちこちでよく見かけますが、こんなのは見たことがないです。ぱっと見、石灰岩とか方解石のように見えるんですが。。。

海緑石は、浅めの海で堆積した泥岩、砂岩、石灰岩などの中で見つかるそうです。化石、石炭、石油などのそばで見つかることが多いなど、どうも有機物との関連があるようなないような。。。海緑石の見つかった皆瀬川も、石灰岩、サンゴや有孔虫の化石が多いところです。それに対してセラドン石は、火山灰が海中で堆積した凝灰岩中でできますので、見かけは似ているけれど、でき方はまるで違いますね。

この整然とした配列がどうしてできたか考えてみました。

その1(有孔虫化石の海緑石化?)

貝殻の化石が、緑泥石、海緑石に交代された例があるようです。上の写真も、何かの生物の殻の模様のようにも見えなくもない?(鈴木清一、疋田吉識、上木原明美「緑泥石および"海緑石"に交代された化石貝殻微細構造」日本地質学会学術大会講演要旨194 第99年学術大会〈92熊本〉、1992、https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosocabst/1992/0/1992_301/_pdf/-char/ja)。詳細がわからないのですが、この論文の本文には写真など出ているのでしょうか。見てみたいなあ。殻の部分の多くは方解石になっているということですが。。。例えばここに出ている、有孔虫、Elphidiumエルフィディウムの写真を見ると、非常に似てるような気がするのですが、どうなんでしょう(島根半島・宍道湖中海ジオパーク (https://kunibiki-geopark.jp/)> 有孔虫について)。1枚目の写真の構造物の大きさは直径約1mmで、有孔虫の大きさですね。

その2(破壊の瞬間が保存された?)

フィリピン海プレートにのった伊豆地塊が日本本土に近づくにつれ、どんどん間の海は浅くなっていきます。それと同時に現在の丹沢にあたる地域が隆起し、そこから流出する土砂が海に流れ込み、さらに浅海化が進みます(足柄層)。やがて海は完全になくなり、伊豆が半島となります。浅い海であったところは土砂に埋まり、さらに伊豆の移動で強い圧力を受けて、石灰岩か砂岩、泥岩中に海緑石が生成されます。

プレートの移動はさらに続き、丹沢の隆起は続きますが、やがて圧力に耐えきれず、その昔は浅海であった境界付近はぐちゃぐちゃに破砕されることになります(神縄断層)。海緑石も強く圧力を受けますが、まずその周囲の柔らかい石灰岩か砂岩、泥岩が岩の中で細かく砂のように破壊され、粘度の高い液状化したような状態になり、海緑石もその中で強い圧力を受けて破裂。けれども砂の中で破片はばらばらにならず、破壊の瞬間の状態が保存され、やがてそのかたちのまま、再び固まった。。。とか?

 

という感じで、白い地の部分を考慮して、海緑石か緑泥石ではないかと考え、記事のタイトルも「海緑石?」としました。緑泥石はもう取り上げているので、別の鉱物名にしたいですからね(笑)。

個人的には、その1(有孔虫化石の海緑石化?)が正解ではないかと思っていますが、どうなんでしょうか。。。

 

2021年12月19日 (日)

沸石(山梨県大月市九鬼山周辺)(小沢鉱山の遺構?)

輝沸石 Heulandite (Na,Ca)2-3Al3(al,Si)2Si13O36・12H2O 珪酸塩鉱物

濁沸石 Laumontite CaAl2Si4O12・4H2O 珪酸塩鉱物

 

Heulandite_kukisan_01

Laumontite_kukisan_01

 

中央線大月駅の東隣、猿橋から南に小沢川に沿って山の中に入ると、小沢地区。さらに奥に行けば朝日小沢という地域で、その裏山が九鬼山です(この辺、頭に「朝日」がつく地名がいくつかありますね。朝日曽雌、朝日馬場など、どういう謂れがあるのだろう)。そのまま山を越えれば都留。小沢地域の沢で見つけた沸石です(1枚目:輝沸石、2枚目:濁沸石だろうと思います)。大月を挟んで隣の高川山は沸石や魚眼石で有名ですが、この辺の山では、そこまで立派でなくとも、大抵何かしらの沸石はあります。地質的には、丹沢のトーナル岩体を取り囲む丹沢層大山亜層群の続きにあたり、海洋起源の玄武岩の層です。

 

TrekGEOの「山梨県の鉱物」には、大月市の小沢鉱山という場所が載っています。銅の二次鉱物などが産出すると記されていますが、多分この九鬼山のある小沢のことだろうなあとちょっと気になっていました。このリストを見るに、銅を採掘していたのだろうか。でも検索などしてみても、ほとんど、というかまったくヒットしないんですよね。地形図を見ると怪しげなところは何か所かあって、正確な場所も、いつの時代なのかもわかりません。以前一度だけ「朝日小沢鉱山」でヒットしたことがあって、奥の方だろうとは思っていたのですが(今検索してみても、その時見たサイトは見つからない)。。。それで、一度九鬼山に登るついでにちょっと様子を見てこようと思い、でかけてみました(最近大月周辺の山に凝っています)。

とりあえず一番奥の方から探してみようと、まず朝日小沢の諏訪神社(地形図上の神社記号)脇から出ている林道に行ってみました(地形図には出ていませんが、ここから九鬼山に登る登山道もある)。すると、林道の奥には、現在は植林されていますが、どう見ても鉱山跡と思えるような石組と平場が、結構広い範囲にわたっていました! 下の地図の地点0です(地図をクリックすると拡大します)。

Ozawam_map

いきなり見つけた! と思って、流木と一緒に多数転がっている石をいろいろ見てみたのですが、どうやら沢の上流から流れてきたもので、まあようするにこの辺の山で普通に見られるようなものばかり。鉱石っぽい感じの石はもちろん、銅の二次鉱物など欠片も見つかりません。ズリっぽいところや坑口などもなさげ。ここではないのか? それとももうすっかり整理してしまったのか。

Ozawam_01
地点0の石組あと。

 

仕方なくあきらめ、少し戻って九鬼山に向かいました(写真の沸石は、その途中の沢と山の斜面で見つけたものです)。

九鬼山は、大月市秀麗富嶽十二景のひとつにも選ばれていて、割とお手軽なので、結構ハイキングで賑わう山です。でも、交通の便の悪い小沢方面から登る人はほとんどいないようです。大抵は猿橋から御前山、あるいは大月から菊花山に登り、そのあと九鬼山まで縦走して、都留側の田野倉方面に下山をする人が多いようです(あるいはその逆)。

自分も九鬼山頂上からそのまま北に向かい(地図では道が描いてありますが、現在道はない)、トラバース道と合流すると、ちょっと平坦な場所に着きます。紺屋の休場といわれている場所で、西側がなぜか伐採されており、三つ峠、高川山、小金沢連嶺などがよく見える気持ちのよいお休み場所です。そこを過ぎてすぐのところで、道の脇に放置された古い空中索道の鉄塔がふたつ並んで建っているのに出くわしました(地点5)。まさかの空中索道!(まあ鉱山のものと決まったわけではなく、林業用のものだったのかもしれないわけですけど)銘板のようなものは、少なくとも目につくところにはついていません。事前にヤマレコなどでここを通った記録をいくつか見ていましたが、この鉄塔について書いている人は全然いませんでした。気づかないとは思えないのだけれど。

 


(2021/12/27追記)

コメントの書き込みのおかげで、この鉄塔が、鹿留水力発電所から新宿戸塚変電所(現・目白変電所)まで結んでいた、日本初の長距離送電線(谷村線)の鉄塔であるらしいとわかりました。道理で空中索道にしては鉄柱が細かったわけだ。。。写真を見ると、少なくとも稜線にあるもの以外の鉄塔は、もっとも古い大正期のものと同型をしています。思ったよりももっと古い遺構でした。


 

Ozawam_07
地点5の稜線上の鉄塔

 

場所的に、先ほど見た鉱山跡?とは関係なく、明らかに北東の沢(札金峠から東に下った沢)に向かっているものと思われました。沢沿いになだらかな地形が広がっていて、地図を見て一番怪しいと思った場所です。ここか! これで、次に探す場所が決定しました。

その日は、昔はかなり人の通りがあったらしく切通しになっている札金峠、御前山経由で猿橋に戻りました。

日を改めて、次は直接札金峠東の沢に向かいます。林道に入ってしばらく進むと、なだらかな沢沿いは全域植林されていますが、まるで広い集落があったかのように、沢の両岸に何段も長い石組が並び、平場が作られていました。これが鉱山跡だとしたら、相当大規模だったようですね。。。鉱山で働く人の住宅などもあったのかなぁ? ここが小沢鉱山の中心地であったとして間違いないかな?(さらにまったく別の場所にある可能性も?)

Ozawam_02
札金峠東の沢の石組

 

両岸をぐるっと回って、いくつか流れ込んでいる枝沢などものぞいてみましたが、ズリはもちろん、坑口なども見つからず。落ちている石をちょっと探してみましたが、ほとんどはこの辺の山にある石ばかりでした。ひとかけだけ、石英のついた鉱石っぽい顔つきの小さな石があり、試しに割ってみたら、小さな晶洞の中に微細な水晶やきれいな三角形のチタン鉄鉱? の結晶などが見つかりましたが、銅を思わせるようなものは何ひとつありません。鉱山であったとしても、どうやらもうきれいさっぱり掃除済みのようです。。。小沢川は、桂川、相模川と続いており、有害物質の流出などに関しては、特に横浜市あたりがうるさそうですしね。しかし、これでは石に興味ある人は誰も見向きもしなくて当然という感じです。残念でした!

ただ、歩き回っているうち、うす暗い植林の中に、木に紛れて鉄塔が実にわかりにくく建っているのを見つけました。やはり空中索道の起点はここだったようです(地点1)。石もないので、とりあえず索道のあとを追ってみることにしました。

地点1と地点5を結ぶ尾根上には、多分管理道の痕跡と思われる道のあとが残っています。あるいは、現在でも林業の作業道として使われているかもしれません(山の上にはパッチワーク的に植林地がある)。そして、尾根上には、その道跡に沿って3つの鉄塔が残っていました(地図の1~5が鉄塔です)。

 

Ozawam_03Ozawam_04
左:地点1、沢沿いの植林内に残る鉄塔。右:地点2、尾根上の最初の鉄塔。

 

Ozawam_05Ozawam_06
左:地点3、尾根上の鉄塔、ここの直前から道は尾根をずれる。右:地点4、斜面に建つ鉄塔。

 

地点4を過ぎると、道の痕跡は急に不明瞭になります。しばらくまっすぐ進んでみましたが、鉄塔はもうなさそう。多分地点4から道は尾根に登り、最後の稜線上の地点5まで尾根伝いに行くのだと思います。

稜線上の鉄塔(地点5)は、二つ並んで建っています。ここで、下り用の索道にわざわざ積み替えたのだろうか。もしかしたら紺屋の休場というのは、鉱山用の何らかの施設があった場所なのかもしれません。あと鉄塔の鉄柱がずいぶん細く、弱そうな感じがするのですが、どうなのでしょう。もしかしたら資源のない戦時中のころ建てられたものとか? 

ちなみに、反対の都留方面にそのまままっすぐ路線を延ばしてみると、尾根をひとつ乗っ越したあと、現在富士急・禾生(かせい)駅から九鬼山に登る登山道とほぼ経路を同じくし、駒橋発電所の落合水路橋付近にたどり着きます。1907(明治40)年、東京電燈株式会社(現・東京電力)により建設され運用が開始された水力発電用の、煉瓦造りの水路橋です。日本初の長距離送電のための設備で(東京まで60km送電した)、なんと今も現役で稼働中の有形文化財。

索道の動力源は駒橋発電所だったのでしょうか。現在の禾生駅からの登山道は、当時の鉄塔の管理道をもとにしているのかもしれません(現在の東電の鉄塔管理道がそのまま登山道になっている例は結構あります)。都留側はまだ行ったことがないのですが、もしかしたら山中に鉄塔がまだ残ってるかも? 禾生駅から現・富士急行線で鉱石を運んでいたのか(富士急の歴史は長く、明治の都留馬車鉄道富士馬車鉄道から始まります)。沿線沿いには富士鉱山、ちょっと線路から離れるけれど宝鉱山など、かなり規模の大きな鉱山も点在していました。

札金峠の名前も、ちょっと気になります。もっと昔(信玄時代?)には、あるいは金山があり、運び出す経路だったという可能性? 鉱山と麓での荷の運搬時、勝手に採掘物を持ち出せないよう、札を峠に掲示したとか、そういった謂れがありそうな気がします(丹沢の札掛が幕府御林の当番の札をかけた場所からきた地名だったのと同じような)。切り通しになっているような峠は、今では通る人が少なくとも、昔は街道沿いだったり地元でよく使われるルートだったりと、人通りが多かったところが多いです。今と昔では、人の流れの経路が全然違うので。

疑問ばかりですね。地域の年史など、いろいろ調べてみると面白そうですが、個人的には鉱物的に見るべきところが少ないので、まあここまでですかね。。。

とりあえず、その経過だけ、書き残すことにしました。でも、探してる間は実に面白かったのです。それに索道のあった尾根はなかなか明るいいい尾根だったから、得した気分(笑)。

 

Ozawam_08
切り通しになった札金峠。現在では、登山道のある稜線を通る人は多いが、峠を越える人はほとんどいない。

 

2021年11月14日 (日)

満礬柘榴石(栃木県日光市足尾町久良沢鉱山)

Spessartine Mn2+3Al2(SiO4)3 珪酸塩鉱物

 

Spessartine_kyurasawam_01

Spessartine_kyurasawam_05

Spessartine_kyurasawam_04

 

足尾の久良沢鉱山の満礬柘榴石です。有名産地ですね。有名で、しかも今でも割と確実に目当ての鉱物が見つかるし、ズリも広くて石が多いので、探すのがとても楽しいところです。鉱山あとはどこに行ってもあまり人とは会いませんが、ここでは珍しく石拾いに来た人と会いました。さすが有名ポイント。

ここを地質図Naviで調べると、もうちょい南西の標高950から1000m付近、石倉山の文字の右側に「久良沢鉱山」と表記されていて、道路沿いにある有名なポイントとは場所が違います。どうやらこのポイントは実際には久良沢鉱山ではなく大岩鉱山という名前だったようですが、ややこしいのでここでは久良沢鉱山で通します。ちなみに実際の「久良沢鉱山」の場所には行っていません。この付近になるとさすがに家から遠いので、時間が見えづらい探索は気軽にできません。でもちょっと見に行ってみたい。鉱物の豊富な足尾山地の鉱山跡なのだから、何かあるだろうし。

ここの満礬柘榴石は成長丘が発達しているものが多く、その描き出す幾何学的模様がたまりません。3枚目の写真は結晶を二酸化マンガンの被膜が覆って真っ黒くなっていて、これがまたちょっとメタリックみがあって、きれいなのです。24面体、あるいは36面体の結晶です。

日本で採集できるガーネットは、宝石になるようなものはほとんどないようですが、それでもその結晶の美しさ、かなりの大きさのものが見つけられること、割とどこでもあることなど、鉱物採集の楽しさがつまっていますね。自然の石の中に、こんなに幾何学的な形状のものが入っているのを見ると、驚異を感ぜずにはいられません。

こういう感覚は、お店で買うのではあまり得られないんじゃないでしょうか。自分で現地に行って、山なり海岸なりでそこらへんに転がってる石から探して見つけてこそ、得られる感覚な気がします(それが売られているような立派な標本でなくとも)。それに現地に行って、そこの地形や地質、石ころ、植生、空気、あるいは鉱山跡であればその歴史などまで感じ認識することが、鉱物そのものよりも大事ではないかと思うのは、多分自分にとっては、鉱物学よりも地理学のほうに興味の対象が向いているせいかもしれません。

 

鉱物学というのは正直かなり狭い専門的な分野ではないかと思うのですが、地理学というのは、地質、地形、気象、歴史、民俗、さらには政治、経済などまで含む総合学です。そういった文系理系というジャンル分け・考え方がむしろ邪魔になるものではないかと思います。もともとジャンル分けというのが好きではない自分には、すごく居心地がいいというか。。。(音楽でも、ジャンル分けなんてCD屋さんの都合でしかないと思ってましたからw)

そういったジャンルというのは取り扱いが便利だからとりあえずしただけのもので、実際にはそれらの事象は分類分け関係なく、すべて関係しあっているのであって、ジャンル分けのせいでその関係性がよく見えなくなってしまっているような気がします。地理学は、むしろその関係性をメインの対象としているといえるかもしれません。だから、たとえば「鉱山」というものを全体的に取り扱えるのは、地理学しかない。そこに絡んでくる(そして密接に関係しあっている)自然科学と人文科学の両方を取り扱う学問は、地理学しかないから。

以前も書いた気がしますが、最近は学校でGIS(地理情報システム)やフィールドワークなどを使った授業をしているのが、ほんとにうらやましい。自分が学生のころはそういうの一切なかったです。

 

最近はこの地理学が結構一般的になってきたと感じます。その最大の原因はタモリ(笑)

まさか昔はフリージャズ界のアイドル(狭っ!)だったタモリが、地理学のアイドルになるとは思いませんでしたよ。。。何をやらせても器用にこなす人ですが、「ブラタモリ」でのタモリの博識と知識欲にはびっくりですよねぇ。案内の人たちは、カメラの回ってないところではできるだけタモリのそばにはいないようにスタッフから言われるそうです。そばにいると、タモリがすごい勢いでいろいろ質問してきちゃうから、疑問を出してタモリに考え答えてもらうという番組の趣旨が成り立たなくなってしまうとか。

デビュー当時は(芸風的に)絶対NHKには出られないと言われていたタモリが、今ではNHKの顔みたいになっちゃってるのも笑えます。でも、四か国語麻雀とかまた見てみたいなあとか思っちゃうんですけど。。。まあ今のような息のしづらい世の中でも、あっさり適応してしまう器用さが、タモリの才能なんでしょうね。

 

2021年10月27日 (水)

透輝石(山梨県道志村道志川流域)(丹沢の地名について2)

Diopside CaMgSi2O6 珪酸塩鉱物

 

Diopside_doshi_02

Diopside_doshi_01

 

道志のペグマタイトで拾った石。先の尖った板状結晶。写真中のボケた緑の部分は、すべて緑簾石です。あんまり緑が入ってないけど、これも透輝石・・・でいいのかなぁ?
先端が一方にちょっと偏った剣先のような形は、まるで有名な洞戸鉱山の透輝石の結晶みたいです。まあ見たことないんですけどね。
組成が純粋なほど無色透明、Feが多いほど緑が濃くなるそうですが、もうちょとはっきりとした色形を持ってほしいもんです。どうもよくわかりません。
少なくとも、道志では初めて見る形の透輝石らしき結晶ですね。ほんのちょっと場所が違うと、色形が全然変わってしまうのでしょうか。

ちなみにこれを採集したのは、城ヶ尾峠の割と近くです。
山を越えて神奈川に行くと、はっきりとしたペグマタイトはすっかり姿を隠してしまうのですが、どうにも納得できません。すぐそばなのに(県境と直線距離にして100mくらいしか離れていない)、大又沢流域では長石や水晶はほとんど見ません。

昔、城ヶ尾峠を通って相州と甲斐をつなぐ間道(関所を通らず通行できる道)がありました。
今回はその古道、サカセ道と信玄平について、ちょっと書いてみました。

 

(丹沢の地名について2)
現在の道の駅・道志のあたりから、神奈川県・中川上の原に至る、サカセ古道といわれる道がありました。今でも、その一部は登山道、あるいは廃道として痕跡が残っています。少なくとも南北朝時代から、地蔵平に集落があったころ(昭和40年ころ)までは、現役だったと思われます。
足利尊氏と相争った新田義興(1331-1358)が鎌倉から甲斐に逃げる際に砦を構築したと伝わる城ヶ尾(以下、城ヶ尾山南尾根のことを城ヶ尾(根)と書きます)、武田信玄が小田原を攻める際に陣を敷いたという信玄平などがあり、非常に歴史ある道です。
その経路がどういうルートであったか、信玄平がどこだったのか、『甲斐国志』『新編相模国風土記稿』などからちょっと考えてみました。

Omatasawamap
(クリックで拡大)
出典:関東森林管理局Webサイト、施業実施計画図(2万分の1) 神奈川4-2地図(林班図)に筆者追記(文字・赤線)
(https://www.rinya.maff.go.jp/kanto/attach/pdf/R20700_keikaku_zumen-144.pdf)

 

『甲斐国志 巻之三十六』
「山之部
一 加古坂
(略)三ヶ脊[みつがせ]山ニ至ル又入會山ヨリ峯分レテ一里余東ニ行テ高叉(ザス)山ニ至ル此山間相州小田原ヘ出ル間道アリサカゼ沢通ト云寒[塞?]地ヨリ溪水ニ添テ南ニ行サカセ峠ニ上リ嶺上ヲ東ニ行キ廿町[約2km]許ニシテ峯ヲ掘破シ趾アリ堀切ト云峯ヲ下テ相州ニ入少シ平地アリ信玄平ト云是ヨリ相州ヨヅク村ニ下ル此間二里[約4km弱](略)高叉(ザス)ヨリ巳ニ峯ツヽキ殿ムレ山ト云峯ヨリ二町許リ北ニ聳ヘタル孤峯アリ城山ト云」
[ ]筆者注、〈 〉割注
山梨デジタルアーカイブ 甲斐国志 17 資料番号0000359918 35~36ページ
http://digi.lib.pref.yamanashi.jp/da/detail?tilcod=0000000019-YMNS1000116

 

『甲斐国志 巻之三十七』
「川之部
一 道志川
(略)板橋善ノ木ヲ過テ南岸サカセ川ト會此川南龍ノ沢[山之部では瀧ノ沢]ヨリ北ニ流レ出又高又山[山之部では高叉山]ノ西谷ヨリ出テ西流シテサカセ沢ニ至テ瀧ノ沢水ト會西北一里[約2km弱]許ニシテ此[道志川]ニ入(略)」

山梨デジタルアーカイブ 甲斐国志 18 資料番号0000359919 36ページ
http://digi.lib.pref.yamanashi.jp/da/detail?tilcod=0000000019-YMNS1000117

三ヶ脊山=菰釣山?  高叉山=大界木山?  殿ムレ山=鳥ノ胸(とんのむね)山?  城山=秋葉山?  サカセ峠=城ヶ尾峠?

 

三ヶ瀬川は現・道志の森キャンプ場で西沢と東沢に分かれます。龍ノ沢(瀧ノ沢)は西沢のことでしょう。源流は菰釣山。東沢は大界木山、浦安峠を源流とし、西流して水晶橋を経て西沢と合流します。サカセ峠は城ヶ尾峠のことであるとされているので、サカセ道は、東沢に沿っていたと考えられます。現在の東沢林道→城ヶ尾峠登山道とほぼ同じルートですね。
次に、サカセ峠から「嶺上ヲ東ニ行キ廿町」で堀切があるという記述です。この堀切とは、「掘破シ趾」ということは人為的なもの、陣の跡でしょうか。
ただ、方向的にちょっとおかしいのですよね。城ヶ尾峠から稜線を東に行けば、大界木山の頂上を経て忘路峠(犬峠)のあたりに行ってしまい、現在サカセ古道といわれているルート、信玄平といわれている場所からまるきりはずれてしまいます。ここで東ではなく、南に行かないと城ヶ尾(根)に乗れない(道自体は峠からまず南西方向に向かう)。
記述の間違いか、あるいはサカセ峠は現・城ヶ尾峠のことではないのか。城ヶ尾峠以西で思い当たるような場所は、現在菰釣山避難小屋のあるそばのブナ沢乗越(現在登山道あり)、あるいはブナ沢乗越と城ヶ尾峠の間の稜線上はそれほど起伏が激しいわけではないので、どこかに登りつめていたのか。でも稜線上を古道が通っていたとは思えないし、やはり記述の間違いと考えるのが妥当でしょうか。
相州側の記述はどうなっているでしょうか。

 

『新編相模国風土記稿. 第1輯』
「中川村(奈可加波牟良[なかがはむら])[その1]
・山  当村四囲総山ナリ。中ニ就テ西北ノ方甲州堺ニ城ヶ尾ト云ヘルアリ。一ニ信玄屋舗トモ。信玄平トモ唱フ。〈甲斐国志ニ見エタル所。下ニ注記ス。〉土人伝テ村内小名上野原ヨリ。津久井県センヌキ[現・道志善之木か?]辺ヘノ古道此地ニ在シト云。又甲州道志村〈都留郡の属。〉ノ山中ヲ経テ。当村ニ出ル間道ヲ。サカセ古道ト唱フ。旧甲州ヨリ。小田原ニ到ル。捷径ナリト云モ。此辺ノ事ナリ。〈甲斐国志サカセ古道ノ条ニ。道志村塞地ノ山中サカセ入ト云地ヨリ。山ヲ越テ相州西郡ノ内。中川村ニ出ル間道アリ。此間凡二里半。古小田原ヘノ通路ナリ云々。其下ニ少シ平ナル所ヲ。信玄屋舗ト云伝フ。永禄中小田原ヘ責入時。信玄此道ヲ通行シ。山中ニ宿陣アリシトナリ。小田原ヘノ行程此道甚近シ云々。又加古坂ノ条ニ。サカセ峠ニ上リ。嶺上ヲ行二十町許ニシテ峯ヲ掘破シ趾アリ。堀切ト云。峯ヲ下リテ相州ニ入。少シ平地アリ。信玄平ト云。是ヨリ相州世附村ニ下ル云々トモ見エタリ〉。(略)」
国立国会図書館デジタルコレクション
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763967
コマ番号287~290

 

後半、『甲斐国史』からの引用になっているのですが、「嶺上ヲ東ニ行キ廿町」が、「嶺上ヲ行二十町許」となっていて、「東ニ」がなくなってますね。。。こちらの記述だけ見れば、矛盾がなくなってる。
もしかしたら、『相模国風土記稿』では、現地をあらたに調査して、『甲斐国史』を引用するにあたって、矛盾が出ないように記述した?

ちなみに『甲斐国史』の完成は文化11(1814)年。『相模国風土記稿』は天保12(1841)年。この天保12(1841)年から、甲斐(平野村)と相模(世附村)の間で、国境紛争が始まっています(決着がついたのは弘化4年(1847)年)。紛争にあたってこの周辺の調査が行われたようですし、『甲斐国史』も参考にされたはず。甲斐側が国境はどこであると捉えていたのか、まさにその記述があるわけですからね。国境紛争の始まった年と、『相模国風土記稿』の完成年が同じなのは、ちょっと気になるところです。。。

とりあえず、『甲斐国史』の「東ニ」は間違いだとして、現・城ヶ尾峠をサカセ峠と考えて、話を進めます。
城ヶ尾根は特に信玄平の下はなだらかで広く、馬でも十分通行できただろうなと思える尾根です。現在の登山道は、城ヶ尾峠からまず西側にある城ヶ尾山の山腹をトラバースし、尾根上に出てしばらく進むと、現在信玄平とされているところに出ます(昔の峠越えの道はどこもこのような経路どりをしていることが多く、現在の登山道と古道が大体同じルートであろうと予想できます。ちなみに今はトラバース部分で崩壊して登山道としては通行止め)。信玄平とされている箇所は、尾根上の道と、奥野歩道、白石歩道の十字路になっています(これらの道がいつごろからあったものなのかはわかりません。現・信玄平は尾根上の平場ですが、正直軍勢が滞在できるほど広くはないし、水を用意するのも大変そう)。
方向はともかく、どちらの文献でも峠から堀切まで約二十町となっていますが、実際には峠から現・信玄平まで1km程度です。
さらに、まず堀切があり、そのあと峯を下って相州に入り、そこに信玄平があるという記述は、現在の地形と考え合わせると、かなり違和感がある。尾根の途中にある場所を、「峯ヲ下リテ」と表現するでしょうか。信玄平から北、ちょっとした登りになりますが(1084峰)、「峯ヲ下リテ」というほどのピークではありません。それをいうなら、尾根はずっと下ってるのだし。
信玄平が国境というのもちょっと変かも? 尾根の途中、特にはっきりとした目印のない場所に国境があったことになってしまいます。普通、国境は稜線、尾根、沢などの地形的に境界となるような線をなぞるものではないか。
現在の登山道では、峠から約2.5km尾根を下ったあと、東に斜面をジグザクに沢まで降りて、地蔵平に着きます。
普通に文献を読んで辿っていくならば、地蔵平がすなわち信玄平であると考えるのが自然ではないでしょうか。「峯ヲ下リテ」は「沢まで下りて」と解釈するのが自然。軍勢のような多人数が宿陣するには、地蔵平のような沢沿いで水もすぐ手に入り、広い平地こそが適当でしょう。地蔵平の集落が信玄がきっかけでできたのか、もっと昔からあるのかはわかりませんが、昭和まで信玄の書状を保管していた家もあったそうです。

いずれにせよ、尾根上に「堀切」といわれたところがあったはずなのですが、そういうものを思わせるものは現在では残っていないようです(自分は気づかなかった)。
ちなみに、地蔵平から尾根上に登らず、城ヶ尾根東側山腹をトラバースする道のあとが現在でも残っています。ところどころ古い石垣も残っていて、山仕事の作業道とは思えないのですが、しばらく行くと崩壊して消えてなくなってしまうので、どこまで続いていたかはわかりません。昔の峠道は、尾根上ではなく山腹を切って行くことも多いことを考えると、こちらが昔のサカセ古道のあとと考えることもできるかもしれません。

 

城ヶ尾(根)の西側の沢は白水沢といいますが、実際に水が白い(流れたあとが白くなっている)沢です。信玄が宿陣した際にお米を大量にといだので白くなったという言い伝えがあります。
鉱物的には黄銅鉱が多く見られ、なんとなく南の世附川沿いの峯坂沢(やはり白い沢で粒子状の黄銅鉱・黄鉄鉱が多い)を思い起こします。ただ、白水沢の黄銅鉱は粒子状ばかりではなく、かなり粗粒。これは丹沢層の南北の差の特徴といっていいのかな。
さらに白水沢の西隣の沢は白石沢といいます。白石沢といえば、加入道山のスカルンの白石沢を思い出しますよね。。。
以前書いた水晶沢も含め、信玄はこの周辺にかなり興味を持っていたのかも?(鉱物的な意味で)。

ところで、現・信玄平から奥野歩道が東に分岐しており、水晶沢などを通過して相州の大滝峠まで通じています。大滝峠から山を下れば、中川温泉近くに着きます。
信玄平から東の赤沢(ほんとに赤い岩が目立つ沢)に下りるのに便利じゃん! と思ってちょっと歩いてみたことがあるんですが、もう「ルート」とはいえませんね、ここ。まじで死ぬかと思った。昔は東海自然歩道として立派な登山道だったのかな。。。もう二度と行きたくないw

 

追記(2021/10/31)
ところで『相模国風土記稿』中川村の項には、土人の伝として、新田義興は中川村に城郭を置いていたが保ち続けられず、当村の奥帚沢より山越して甲斐に逃げたとあります。だとすると、サカセ道ではなく、大滝峠を越したのかもしれません。大滝沢を通って大滝峠をこえる道も古く、地蔵平に抜けることができます(『相模国風土記稿』に記述のある中川村北寄りにある大嶽沢というのが、大滝沢のことではないか。ワリ沢という枝沢〈複数あるらしい〉に大岳橋というのがあったようですが、詳細は不明。『風土記稿』世附村の項に南方にある大嶽というのも出てきますが、これは別の山のことかな?)。大滝沢中流域の、現在一軒家避難小屋のあるあたりは、赤軍派の隠れ家があって爆弾作ってたところですが、もともと以前は集落があって、昭和初期にはここの子どもたちは山を越えて地蔵平の分校に通っていたそうな。

いずれにせよ、今では神奈川の奥地で登山者しかいかないような奥地ですが、昔は割と行き来があったのかもしれませんね。

 

追記(2021/11/04)
大又沢上流辺の尾根を登ると気づくのが、ほとんどの尾根の途中に、必ずといっていいほどとてもなだらかで広いところがあることです。場所によってはテント数百張りもできそうな平場が広がっています。地形図を見ると、最上流部付近では標高1000から1100m、大滝橋付近では900から1000m、地蔵平周辺では800から900mあたりと、南に行くほどその平場の標高が下がっているのがわかります。現・信玄平もその平場のひとつですね。沢から急な傾斜で登り、なだらかな平場が続いたあと、また急に傾斜が強くなって稜線にたどり着く。まあ尾根ではよくあるパターンですが、この周辺の平場は特に広くてなだらかで気持ち良いので、とても印象的なのです。
多分昔は、この辺一帯、なだらかに南に傾いた広い高原が広がっていたのだと思います。そこを幾本もの沢が浸食して深い谷を作り、それぞれの尾根上には高原の名残であるなだらかな平場が残ったのが現在の姿なのでしょう。
丹沢の南の足柄山地周辺は、もともとプレート境界の深い海溝であったのが、200万年くらいのうちに、主に丹沢からの土砂で急速に埋まり、その堆積層の厚みは5000メートル以上にもなります。これらの膨大な土砂の産出地のひとつがこの大又沢です。
地蔵平の集落は、関東大震災時の山津波で壊滅しました(残ったのは今もある山の神さまのお社だけだったとか)。ここの気持ち良い平地を作ったのも壊すのも、この土砂です。隆起と侵食のダイナミクスを直に感じることのできる場所ですね。

 

(参考サイト:山の子yk =世附山あれこれ=

 

2021年10月17日 (日)

沸石(千葉県南房総市平久里川流域)2

方沸石 Analcime Na(AlSi2O6)・H2O 珪酸塩鉱物

トムソン沸石 Thomsonite-Ca NaCa2Al5Si5O20・6H2O 珪酸塩鉱物

 

千葉県平久里(荒川)の沸石類、続きです。

(前回はソーダ沸石 沸石(千葉県南房総市平久里川流域)2

 

Analcime_heguri_01

Analcime_heguri_02

 

片側が押しつぶされたような、左右対称の幅の広い菱形が見えるので、方沸石の偏菱24面体の結晶だと思います。この面の形を凧型といったりしますね。西洋凧の形です。ザクロ石もこの形をとるものが多いです。

写真では判別しにくいのですが、白くてちょっと濁ったような光沢のものと、透明度が高くて少し青っぽい光沢のものがまじりあっています。2枚目の写真で、ところどころ天地左右が対称の幅の狭い菱形の光が見えるので、多分青っぽい透明なものは魚眼石ではないかと思うんですがどうでしょうか。。。

方沸石は長石に近い性質を持っていて、準長石という扱いをされることもあるそうです。分類の境界線上にある感じでしょうか。準長石とは、長石に似ているが、長石よりも珪酸分が少ない鉱物のグループで、石英とは共存しないそうです。確かに平久里では石英って見ないですね。。。石英ができるほど珪酸分が多ければ、方沸石ではなく長石ができるとか。

準長石には、他には霞石や白榴石などがありましたが、白榴石は現在では沸石に分類されています。白榴石というのはあまり聞かないですが、日本での産出は(まだ)確認されていないようです。結晶形は偏菱24面体で方沸石やザクロ石と同じですが、実際に見たことはないです。

 

Thomsonite_heguri_01

 

3枚目の写真は、上部に方沸石が、下部に柱状の結晶が見えます。ソーダ沸石にも似ているのですが、断面が正方形ではなく長方形、ちょっと厚めの板状になっていて、トムソン沸石ではないかと思います。平久里では、これが母岩にへばりつくようにびっしりついているのをよく見かけますね。

 

Thomsonite_heguri_02

 

こちらもトムソン沸石の、球状の集合体ではないかと思います。トムソン沸石というと、むしろこういう集合した姿のほうが一般的かもしれません。「トムソン沸石」で画像検索すると、板状結晶の写真はほとんど出てこず、球状集合ばかりです。断面がどうなっているのか、切ってみたいですね(まあ画像検索すればそういうのも出てきますけど)。

トムソン沸石のグループにはCaを含んだ灰トムソン沸石と、Stを含んだストロンチウムトムソン沸石の2種類があります。日本で産出するトムソン沸石のほとんどは灰トムソン沸石なので、わざわざ「灰」はつけないことが多いようです。

 

より以前の記事一覧