最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« 2022年12月 | トップページ | 2023年2月 »

2023年1月に作成された記事

2023年1月14日 (土)

赤鉄鉱(静岡県河津町沼ノ川)

Hematite Fe2O3 酸化鉱

 

Hematite_numanokawa_01

Hematite_numanokawa_02

 

伊豆の河津川は、天城山の東西それぞれを源流とする本谷川、荻の入川が河津七滝で合流し(出合滝)、相模湾に流れ込んでいます。荻の入川の支流のひとつが、沼ノ川。地形図には今も沼ノ川沿いに破線が続き、天城西稜線の沼野川峠まで登っているのですが、すでに廃道です。一部道形がわずかに残っていますが、沢沿いの廃道なので痕跡は消え、基本単なる沢になっています。この廃道を沼ノ川歩道というのですが、その道中に鉱山の坑口が残されています(標高640m付近)。坑口の前は、多分ズリを積み上げて作られた平場になっていて、鉱石らしい石が散乱していました。とくに目立つのが、白い石と黒い石。

黒い石は、重くて金属っぽい石です。拡大してみると、写真のような仏頭状集合になっていました。多分赤鉄鉱ですかね? ひとかかえもあるような大きなものも転がっていました。

白っぽい石は、石英の塊です。晶洞には微細な水晶が生えていて、伊豆でよく見られるのと似ていますが、結晶はとても小さいので、ルーペで見ないとよくわかりません。2枚目の写真のように、ちょくちょく両錘の水晶が見られます。

石英はところどころ黄色~オレンジになっていて、これは石英を覆った鉄分の被膜ですかね? 時々オレンジの部分が集まっていたり、微細なオレンジの針のようなものも見えるのですが、小さすぎてよくわかりません。伊豆には針水晶もよくありますし。硫黄とか? テルル系の鉱物なんてことはないか(河津鉱山とは大分離れているし)。

 

000_numanokawa_03

 

いろいろ調べてみたのですが、該当の鉱山にあたるような資料は見つけられませんでした(大した資料もないのだけれども)。鉱山に詳しい方ならば、掘り方を見れば時代を推測することもできるのでしょうが、自分にはわかりません、鉄を採掘していた? 今ではほとんど入る人もいない山奥ですが、沼ノ川歩道というからには、昔はここを通る人もいたのでしょう。ただ、沢から登りつめた稜線の沼野川峠は、現在林道が越えている諸坪峠から1kmも離れていないところなので、ここを通る必然性はずいぶん低いように思われますが。。。

あるいは、沼ノ川歩道はもともとこの鉱山に行くための道だったという可能性も?

ちなみにこのあたりの山は岩がちで、かなり険しい箇所が随所にあります。

 

Numanokawa_04
沼ノ川上流の鉱山跡の坑口。前は平場になっているので、試掘などでなく、かなり採掘はされていたように思える。

 

沼ノ川と荻の入川の合流地点南には、東伊豆火山群・沼ノ川火山列の噴火口のひとつがあります(いくつかの火口が火口列を形成している。約5万3000年前噴火と推定)。そこから川に流れた溶岩流の跡は地形図でもはっきりわかります(現在林道がジグザグに通っている)。溶岩流が川に到達した地点には、きれいな柱状節理の崖が見られます。河津七滝にも立派な柱状節理がありますが、そちらは河津川東の登り尾火山によるものです。

沼ノ川沿いには現在わさび田がずっと上流まで続いていますが、その途中、煉瓦の洞と呼ばれている遺構が残っています。弘化2(1845)年から明治維新前後にかけて稼働していた、日本でもっとも古い耐火煉瓦工場の跡です。屋根がつけられ保全された遺構の周辺には、当時の煉瓦の残骸と思われる白いかけらが散らばっていますが、今ではヤブ山の中に飲み込まれそうです。本格的な操業は明治6(1873)~16(1883)年で、工部省によって行われた官営の工場だったそうです。

東京駅などの煉瓦は赤煉瓦ですが、ここのものは熱に強い白い煉瓦で、製鉄所の溶鉱炉などで使われることが多かったようです。有名な伊豆・韮山反射炉の煉瓦もここで作られたものです。その材料は、珪素成分(つまり石英)が多い陶土ということになりますね。

あれ? ということは、沼ノ川上流の鉱山跡は、もしかしたらこの煉瓦用に石英を採掘していたあとということかな? 同時に、反射炉で使う鉄の鉱石も、同じ場所で採掘していたという可能性もある? 伊豆って金銀マンガン鉱山がメインで、あと河津や奥山鉱山には銅がありますが、鉄が採れるところって、そんなにない気がするのですが。。。どうなのでしょうか。

 

Numanokawa_01
荻の入川沿いの、沼ノ川火山の溶岩による柱状節理。

Numanokawa_02
煉瓦の洞の登り窯A。

Numanokawa_03
沼ノ川歩道沿いには、古いわさび田の跡や炭焼き場の跡が残っていて、陶器なども散らばり、人の生活が感じられる。

 

« 2022年12月 | トップページ | 2023年2月 »