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2022年7月に作成された記事

2022年7月23日 (土)

明礬石(山梨県北杜市増富鉱山)

Alunite KAl3(SO4)2(OH)6 硫酸塩鉱物等

 

Alunite_masutomim_01

Alunite_masutomim_02

 

奥秩父・増富鉱山の、透明な六角形の薄板状結晶。明礬石ではないかと思います。黄色いのは硫黄成分でしょうか? それとも明礬石そのものの色?

ミョウバンを採取した鉱石だから明礬石という名称です(Aluniteの語源はラテン語でミョウバンを意味する言葉から)。ミョウバンは紀元前の昔から現在にいたるまで、さまざまな用途に使われてきました。日干し煉瓦や陶器の材料から、殺菌作用を目的とした洗浄材、発色をよくするための染色材、浄水にも使われます。水の濁りの原因である微細粒子を凝集させ、沈殿しやすくします。理科の実験で経験のある人もいるのでは。

食品用の薬品として、一般に売られていますね。日本では、ナス(の漬物)の色素を安定させるために使われることが多いでしょう。他にもイモ類の煮崩れを防いだり、根菜類の歯ごたえをよくしたりするらしい。

アルミニウムは、ミョウバンから発見されました。アルミニウムという名前は、ミョウバンからきています。非常に軽くまるで銀のような輝きを持つ金属なので(日本では以前は「軽銀」と呼ばれた)、当初はかなり高価なものだったようなのですが、現在ではもっとも手軽な金属のひとつになりました。1円硬貨は、純度100%アルミ製です。

こんなふうに色々便利に使えるミョウバン(明礬石)は、火山性ガスや熱水により生成されることが多いので、火山の多い地域で多く見られます。もちろん日本も例外ではありません。伊豆の宇久須のソーダ明礬石は、ガラスの原材料として採掘されてきました(明礬石のカリウムがカルシウムに置換されたのがソーダ明礬石)。

 

増富鉱山の歴史は詳しくはわかりませんが、昭和の初期には硫砒銅鉱を中心に採掘が行われていたようです。明礬石が採掘の対象であったかどうかはわかりません。鉱物としては、銅藍が有名ですが、自分はルーペでもよく見えないくらいの、ほんの小さなものしか見つけられませんでした。ポイントが違うのか、もうそれほど残っていないのかはわかりません。

この近辺には武田信玄のころの金鉱跡もあちこちに点在します。増富鉱山跡のすぐ北にある金山(かなやま)という地名を見ればすぐわかりますね。金山には、現在金山山荘とキャンプ村がありますが、ここの裏山(魔子の山)の中腹には、信玄時代と言われる坑口、昭和になってから掘った坑口などが残っていて、さらに広大なズリも広がっています(ちょっと見てみたけど、増富鉱山とは石質は全然違うみたいで、銅の雰囲気は全然感じない)。瑞牆山に行くことでもあったら、ちょっと寄ってみるのもよいでしょう(周囲には魔子の山、五里山といった、とても静かだけど個性の強い小さな山が多い)。瑞牆山登山口の瑞牆山荘周辺は、休日ともなればちょっとした都会並みの人出になりますが、金山周辺は静かなもので、何だかほっとします。

(ネット上では、銅藍の増富鉱山と、金山平裏の金鉱がごっちゃになっているところもありますね。ややこしいなあ。須玉金山という呼び方もあるらしいです)

ちなみに、金山山荘の今のご主人の父君は、昔は増富鉱山で働いていたとのこと。当時はどんな様子だったんでしょうねぇ。もうちょっといろいろ聞いてみればよかったかな? ここのキャンプ場は今風のでなく、昔ながらといった感じで自分には居心地いいです。

あと、金山山荘の裏から金鉱跡に続く経路の途中に、小暮理太郎の碑、レリーフがあります。金山山荘の隣に以前は有井館という宿・そば屋があり、小暮理太郎や田部重治が常宿としていたといいます(2018年に営業をやめている)。確かに、小暮理太郎の秩父本には、当時の金山平の部落の写真が掲載されていますね。レリーフのある場所は、昔は瑞牆山、金峰山の眺めがいいところだったようですが、現在は木々が育って見通しはきかないけれど、美しい静かな森になっています。

 

Masutomim_01
増富鉱山の遺構。

 

Masutomim_03 Masutomim_04

Masutomim_02
左上:金山の昭和時代の金鉱跡。右上:金山の信玄時代のものといわれる金鉱跡
下:金鉱跡に行く道は、広いズリの斜面を横切ってつけられている。

 

2022年7月 9日 (土)

赤碧玉(東京都西多摩郡奥多摩町鋸山)

Red Jasper SiO2 酸化鉱物

 

Redjasper_nokogiriyama_01

Redjasper_nokogiriyama_02

 

奥多摩・鋸山の赤碧玉です。マンガン鉱山のズリ中、あるいはそばの沢などでごく普通に見かけます。結構きれいなものも簡単に見つかります。碧玉とは、微細な石英の結晶の集まったもので、この辺は碧玉と見わけがつけにくいチャートも多い地域ですが、2枚目の拡大写真のように粗粒の部分もあって、すぐわかると思います。

透明感のある黄緑の部分はなんだろう。カリオピライトかな? 黒いのは軟マンガン鉱か、ブラウン鉱か、よくわかりませんが。。。

多分磨けばきれいになるのでしょう。日本でも古代から勾玉などの装身具に使われてきた、一応宝石の一種といっていいのでしょうか。色鮮やかな、という赤ではありませんが、落ち着いた、まさに古代という感じの色合いです。現代では透明感が重視されるけれど、古代では不透明で色の美しいものが好まれてきたような気がします。透明な水晶なんていくらだって見つけられただろうに、そういうものを使った古代の遺物ってあんまりないような気がするのですが。。。

基本的には目に見えないほど細かい石英の結晶の集合で、瑪瑙、玉髄などと同じですが、不純物が多いため、不透明でさまざまな色がついたものを碧玉という場合が多いようです。一般的な呼び方を以下にまとめてみます。

石英 Quartz(鉱物種名)
 ・肉眼で見える程度に結晶化したもの(顕晶質)
  ・結晶形がはっきりとしているもの:水晶 Quartz
  ・結晶形がない塊状のもの:石英 Quartz
 ・
肉眼では見えないほどの微細な結晶の集合した構造をもつもの(潜晶質)
  ・不純物が少なく(
半透明)模様のないもの:玉髄 Chalcedony
  ・縞状の模様があるもの(部分によって不純物の量は変わる):瑪瑙 Agate
  ・不純物が多く(不透明)模様のないもの:碧玉 Jasper

こんな感じで使われることが多いようです。なかなか難しいですね。。。

もちろん、自然物なので、分けようと思ってもどっちだ? というようなことも多いので、そんな厳密なものではないと思います。

 

ところで現在では 「碧」の字は「青・緑の石」という意味になります。色限定ですか。だとしたら、赤碧玉という言葉はちょっと無理やりっぽい感じがしちゃいますね。「碧」の字そのものは、甲骨文からありますが、三つの玉をつなげた装身具を意味する「王」、輝くという意味の「白」、そして「石」から構成されていて、青・緑といった色の意味は含まれていないと考えられます。字に色の要素が含まれたのは後の時代からでしょうか。あるいは「王」の字の三つの玉は、もともと青・緑の石のことを意味していたのか。

秦~漢代に成立した『山海経』西次二経 には「又西北五十里高山、其上多銀、其下多青碧・雄黄」とあり、わざわざ「青」をつけているので、「碧」の字そのものには色の意味は含まれていないように見えます。後漢代の漢字字書『説文』には「碧、石之青美者」とあり、色要素が含まれているように見えます(青は多分どちらかといえば緑のことかと思います)。うーん、どうなんだろう。

古代では、青や緑というのは、とても好まれたようですね。日本や中国、中南米でもヒスイは非常に珍重されましたし。
まだガラスのなかった古代エジプトでは、ファイアンスという陶器が盛んに作られました。エジプシャン・ブルーともいわれる、はるか古代への憧憬を湧きあがらせるような美しい青緑の陶器です。ファイアンスは、石英(珪石)と石灰(有機性のものが使われることが多かったらしい)、それに緑青(ろくしょう)を粉にして混ぜて焼いたものだそうですが、つまり、ブロシャン銅鉱の青緑色なんですね。

昔はどの国でも、青と緑の文字と実際の色の区別があやふやで、色の認識の問題かと思っていたのですが、そうではなく、単に青緑の色が一般的だったってだけなのかもしれません。今では色を認識するうえで、青緑をポイントにすることはなく、青と緑をまったく別の色として認識のポイントにしたうえで、その中間のどこかとして青緑を考えますが。。。もしかしたらその認識の原点は、信号の色? そういったささいなところから、人間の認識の割と深いところが変わってしまうのかもしれません。

 

2022年7月 4日 (月)

硫酸鉛鉱(群馬県甘楽郡下仁田町中丸鉱山)

Anglesite Pb(SO4) 硫酸塩鉱物等

 

Anglesite_nakamarum_01

Anglesite_nakamarum_02

 

下仁田の中丸鉱山で採集した硫酸鉛鉱です。

群馬県下仁田から長野県佐久に関東山地中を抜ける国道254号線、荒船湖の北あたりにあり、輝安鉱で有名な中丸鉱山です。最初、ズリできれいな劈開の石を見つけて、よく見もせず方鉛鉱かなと思い何気なく拾った石ですが、あとでよくよく見てみれば、確かに方鉛鉱の部分もあるのだけれども、多くは透明な草色になっていました。内側できれいな虹色に光っている部分もあちこちにあり、実にきれいなもんです。方鉛鉱仮晶ということになるのでしょうか。まるで宝石のようですが、モース硬度3なので、宝石にはなれません。

方鉛鉱が酸化して、硫酸鉛鉱になります(PbS+2O2→PbSO4)。写真中の銀色の部分が方鉛鉱でしょう。明確な境界で区切られ変化しているさまがよくわかります。金属質のものがこんな透明なものに変化するとは面白いですね。この境界はどのように決まるんでしょうか。まったくランダムなのか、成分の違いなのか、環境の違いなのか、興味あります。

屈折率が高い(1.88-1.89)ので、輝きが強く、虹色に光る部分が多いのもそのせいかな? 長波UVで、濃い目のオレンジ色に光ります。Anglesiteという名前は、イギリス・ウェールズのアングルシー島で1783年に発見されたことに由来します。アングルシー島では、ローマ帝国時代から、鉛や亜鉛、鉄などの採掘が盛んだったといいます。

この方鉛鉱と硫酸鉛鉱に接する感じで、小さな水晶がついていましたが、なんか違和感がある。。。光り方が水晶とちょっと違っていて、ガラス光沢と樹脂光沢の中間のような感じ。あと、頭の角度が水晶とちょっと違うような。水晶よりとんがりが小さい。

 

Anglesite_nakamarum_03

 

これも、色は全然違いますが、硫酸鉛鉱の結晶かと思います。こちらは長波UVで光りません。硫酸鉛鉱はさらに風化して白鉛鉱に変質するらしいので、もしかしたら白鉛鉱になっているのかもしれません。光り方、透明の質感などは、そういえば何となく白鉛鉱っぽい気もしますが、まあ分からないので、このまま硫酸鉛鉱ということにしておきましょう。

 

下仁田といえばまあネギでしょうが(コンニャクも特産品でおいしい)、2011年には下仁田町全域がジオパークに認定されています。妙義山や荒船山といった、低いけれど非常に特徴のある山もあり、鉱山としては中小坂鉄山もジオパークの一角とされていますね。そのおかげでちゃんと鉱山へ行く人のための駐車場まで作られているのですが、どうやらヒルでいっぱいらしい。。。江戸時代末期に発見された鉱床のため、幕末から明治にかけての歴史にも大いに関わってきます。

中丸鉱山のほうは、歴史はよくわかりません。八幡鉱山と呼ばれていた、1954(昭和29)年には野上鉱業によりアンチモンを中心に銅、鉛、亜鉛などが採掘されていたが、1955年1月27日に落盤事故があり、1959年(昭和34年)頃には閉山した、等々。いつ見つかったかは分かりません。時代を考えると、戦時中資源輸入が止まり、各地で小さな鉱山が探し出され採掘が行われましたが、ここもそういった小規模鉱山のひとつでしょうか?

自分は荒船山に行った時に、その途中ということで寄りました。坑口もズリもしっかり残っているので、なかなか面白いところでした。下仁田の道の駅はジオパークということで、鉱物の標本セットも売られていたのですが、その中に前回の川場・鉱石山の柘榴石も入っていました。でもいまいちの標本だった。もっときれいなの、すぐ見つかるのになぁ(こういうセットから興味が目覚めるってよくありますしね)。

 

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