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2022年6月11日 (土)

閃石類?(神奈川県南足柄市足柄山地)

珪酸塩鉱物

 

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閃石の類だと思いますが、まあよくわかりませんねw

神奈川県の足柄の山で見つけたものです。こういうきらきらしたいかにも結晶っぽいものを見ることはほとんどないところなので、ちょっと目立っていました。茶色く四角い部分もありますが、普通輝石とかかなぁ? 足柄山地の北側(御殿場線谷峨駅)は、普通輝石のいい標本が採集できた場所があったそうです(今はすっかり固められていたりして、ほとんど見つけられないそうですが)。

場所は、足柄山地中、日本の滝百選にも選ばれている洒水(しゃすい)の滝の上流部、滝沢川の周辺です。足柄山地は南の箱根と、北の酒匂川・鮎沢川にはさまれた、そんなに広くない地域。

現在では滝沢川上流域は、源流の矢倉岳以外、あまり人が入るようなところではありません。矢倉岳は地元のお手軽なハイキング先として(神奈川県西部では)有名な場所です。湘南のあたりから富士山を見ると、その下にきれいな三角形の山が見えますが、それが矢倉岳。南麓の矢倉沢の上流域・地蔵堂は、金太郎・坂田金時の故郷として知られていて、ほんとかどうか知りませんが、生家跡とかいうのもあります。今ではクマと遊んだ金太郎が育ったすごい田舎、というイメージですが、当時の東海道の本道(官道)は箱根ではなく足柄峠を通っており、峠のふもとの矢倉沢は街道沿いでした。富士山の宝永の噴火で荒廃しましたが、早急に整備しなおされ、前回書いた大山詣りの影響もあって、人の行き来も今よりずっと多かったことでしょう(矢倉沢往還という)。

万葉集にも足柄越えの歌が多いし、『更級日記』などでも結構詳細に足柄峠越えの描写がされていますね(『更級日記』には富士山が頂上から煙を出しているさまが描かれていたりして、当時の様子を想像できて面白い)。

現在では滝沢川上流部には登山道すらないですが、廃道跡を作業道にした? らしい沢沿いを登る道が残っていて、どうやら洒水の滝を越えて足柄峠方面に登る経路などもあったようです。江戸時代の馬頭観音が道沿いに残っていました(ちなみに石を拾ったのはこの道沿いです)。関所を通らずに山を越えて駿河と相模をつなぐ間道だったのかな? 文化二(乙丑)(1805) 年ですので、宝永噴火(宝永4〈1707〉年)から約100年後。今でも枝沢には富士山の噴火の名残であるスコリアがいっぱいに残っていて、噴火直後の当時どんな様相だったのか。。。

 

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このあたりはプレート移動で丹沢地塊が日本にくっついた後、伊豆・箱根地塊が押し寄せてきて、激しく隆起した地域です(今でも隆起中?)。この付近の山を歩いていると、断層のような地形を時々見かけます。下の写真は畑沢から鷹落場(山名です)に登る尾根上にあった、尾根を切る断層の表現と思われる場所。ズレてちょっとした二重山稜のようになっていますね。

 

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駿河小山周辺の山(極西丹沢南、足柄山地)に行くと楽しみなのは、道標です。手作りの道標で、そのアクの強さ、やたらとカラフル、自己主張の強さから、目を奪われますw

これは小山在住の、故岩田澗泉(たにいずみ)という人が作って設置したものです。このあたりの山によく足を踏み入れる人には知られていて、最近、それをまとめた本が出版されました。どんどん朽ちてなくなっていて、ちょっとさみしかったので、これはうれしかった(浅井紀子著、三宅岳(写真)『道しるべに会いに行く 丹沢・不老山周辺の岩田澗泉さんの道標』風人社、2020)。

岩田というのは昔からの小山周辺の名士の一族で、明治時代に小山町に富士紡を招聘したのも、岩田蜂三郎という人物でした(道標の岩田さんとの関係は知りません)。今でも駅と一体化したかのような富士紡の大きな工場がありますね。当時は富士紡ありきの町だったようで、人も多く、賑わっていたようです。山北周辺に水力発電所が多いのも、この富士紡の影響という側面があります。

何度要望してもきちんと登山道の整備をしない役所に腹を立てて、小山町町議会議員でもあった地元の山が大好きな岩田さんが、とうとう自分で道標を設置しだしたらしいですが、詳しい経緯については書きません。実際を知らないので。いろいろトラブルもあったみたいです。その正否についても書きません。

でも、この道標が大好きな自分としては、山に行って見かけるのが楽しいのです。今ではいかにも無味乾燥なとってつけたような「サンショウバラの丘」という名称になった場所(浅瀬峠西すぐの、丹沢でも最高に気持ちいい場所のひとつ)も、岩田さんのつけた「樹下の二人」という名前のほうが好き。もうそこにあった道標は残骸のかけらしか残っていないけど。

木製の道標ですから、どんどんと朽ちてなくなりつつあります。朽ちていくままにしておくのがよいのでしょう。そういうもんだし。でも、「樹下の二人」っていう名前だけは、残っててほしいなぁ。

上記の本には掲載されていなかった、足柄峠近くにあった道標の写真をのせておきます。今でもあるかどうかは知りません。

 

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参考文献

筒井正夫『巨大企業と地域社会 富士紡績会社と静岡県小山町』日本経済評論社、2016
浅井紀子、三宅岳(写真)『道しるべに会いに行く 丹沢・不老山周辺の岩田澗泉さんの道標』風人社、2020

 

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