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2020年9月26日 (土)

自然蒼鉛(長野県茅野市向谷鉱山)

Bismuth Bi 元素鉱物

 

Bismuth_mukaidanim_01

 

前回のヘドレイ鉱のすぐそばにあった、やはりヘドレイ鉱と思われる集合です(きらきら光沢のある黒い部分)。

その中央部に、周囲とちょっと違う質感の銀色のかたまりがあるのに気づきました。この部分が、自然蒼鉛(ビスマス)だと思います。

ところどころついている黄色いのは、蒼鉛土でしょうか。

『鉱物ウォーキングガイド』の向谷鉱山の項に、以下のような記述があります。

「自然蒼鉛は銀白色(錆びるとピンク色を帯びる)でやや粗粒の石英中におもにヘドレイ鉱を伴って産する。集合体の中心部が自然蒼鉛で、周囲がヘドレイ鉱という場合が多い」(松原聰著『鉱物ウォーキングガイド 関東甲信越版』丸善出版、平成24年)

この説明のとおりの産状ですね。割ってそれほど経っていない時の写真で新鮮なので、まだピンク色を帯びてはいません。

自然蒼鉛の左下のはじが階段状になって虹色に光っているのが、人工的なビスマスの結晶を思い起こさせます(ビスマスは融点が271.3℃と低低く扱いやすいので、一度溶かしてから再結晶させて、アクセサリーにしたりする。ビスマス、結晶で検索するとたくさん出てきます)。

「蒼」という字で青っぽい感じがしますが、蒼鉛は別に青いわけではありません。「蒼」は、青というより緑ですが、「古色蒼然」「鬱蒼」といった熟語からわかるように、深い色、薄暗い色、という意味合いが含まれているようです。

 

宮沢賢治に「永訣の朝」という有名な詩があります。死を目前にして喉がかわいた妹に頼まれ、お椀に雪を取りに外に出る、という内容ですが、そこに「蒼鉛いろの 暗い雲から/みぞれは びちょびちょ 沈んでくる」という一節があります。宮沢賢治は鉱物マニアで、多くの作品にたくさん鉱物やら地学用語が出てきますから、当然蒼鉛も知っていて、実物の自然蒼鉛の色と、字面のイメージから、こう表現したのです。

何節か前では、「うすあかく いっさう 陰惨な 雲から/みぞれは びちょびちょ ふってくる 」と書かれています。上の引用にもあったように、自然蒼鉛は錆びるとちょっとピンク味を帯びます。だから、ここでは「蒼鉛いろ」がまったく正しいわけです。それに、たとえば「鉛いろの暗い雲」では重苦しすぎるけれども、「蒼」の字が入るとちょっとイメージが変わってきますよね。

「雲外蒼天」という四文字熟語があります。雲の上には蒼い空が広がっているということからたとえて、困難(雲)を乗り越えれば必ず道は開ける(蒼天)という意味の熟語です。

蒼鉛の「蒼」という字に触発されたかのように、この後、「蒼天」、つまり「銀河や 太陽、気圏などと よばれたせかいの/そらから おちた 雪の さいごの ひとわんを…… 」という一節が現われ、雲の上まで意識が飛びます。賢治らしく急に意識が宇宙にまで広がり、妹の死というまったく一個人的な世界と、人間の世界をはるかに超越した広い世界が対比され、細々とした人間関係の生々しさがかき消されて、純粋な「生命の終焉」という現象への思いに蒸留されるかのようです。そこから賢治独特の硬質な情感が生まれてくる。

なんだかいささか理屈っぽい説明で、自分でも嫌になってきましたがw 「銀河鉄道の夜」の雰囲気も、まさにこれと同じですね。賢治にとって、鉱物の無機質さ、透明な存在感は、有機交流電燈である人間の魂の理想形だったのかもしれません。この硬質な肌触りが、賢治の一番の魅力ですね。この詩が、単なる一個人の感情の吐露に終わらず、誰しもが共感できる美しい表現となっている所以かと思います。

ところで、春の修羅の「屈折率」という詩では、雲を「亜鉛の雲」と表現してます。こういう細かい表現の違いは、鉱物好きでなければ分からないでしょう。

まさに賢治も、自分にとってはゲーテと同じく、偉大な先輩のひとりですね。

 

ところで全然関係ないのですが、『蒼き鋼のアルペジオ』で金剛が使ってた剣みたいの、デジタル鉱物図鑑の自然蒼鉛、2枚目の写真の、樹木のような形の結晶に似てますねw いや、ふと思い出しただけw

 

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