含銅アロフェン(山梨県都留市宝鉱山)
Allophane Al2O3(SiO2)1.3-2.0・2.5-3.0H2O 珪酸塩鉱物
鶴ヶ鳥屋山、本社ヶ丸、三つ峠などに囲まれた谷間に、宝鉱山跡はあります。
有名な三つ峠は、御坂峠側、富士急大月線の三つ峠駅、そしてこの宝鉱山側の三方向からの登山道がありますが、それぞれ難易度はC<B<A級といった感じです。御坂峠側からだと、軽く登ってたらなんかいつの間にかついちゃった的な山ですが、宝鉱山側からだと、標高差、険しさともに、相当なものがあります(もっと変なルートもいくつもあって、すごく面白いところなのですが)。で、苦労して山頂に着くと、軽いハイキング気分の人がいっぱいいて、がっくりくるわけですw
宝鉱山はその三つ峠側でなく、本社が丸側にあります。もともとは黒鉱(海底の熱水噴出孔で生成された金属鉱床)だったそうですが、現在ではその痕跡も見つからず、ただ、封鎖された坑道口などの遺構、掘った部分が陥没して窪地になった露頭(黄鉄鉱などが多い)などが見られます。
その遺構のひとつに、明治時代の、採掘・精錬したあとの残りかす(カラミ)捨て場があります。まるで縄状溶岩のような、流れた跡がそのまま固まったさまや、溶けたカラミを入れていた容器の形がそのまま残ったものなどを見ることができます。
この銅を含んだカラミが風雨にさらされて、緑の孔雀石、水色の含銅アロフェンなどが生成されています。
アロフェンは粘土鉱物です。まあようするにごく小さな粒々でできた、粘土ってことで、ちょっと触るとぼろぼろ落ちてしまいます。でも、赤茶けたカラミの上にところどころ付着している、鮮やかな水色ははっとするくらいきれいなものです。
宝鉱山の丁度上の稜線、鶴ヶ鳥屋山から本社ヶ丸に向かう途中に、索道のヤグラが残っています。鉱山と笹子駅を繋いでいた空中索道の遺構です。
車輪のプレートには、「玉村式」という文字が読み取れます。
玉村式索道は、日本の索道草創期の技師、玉村勇助によるもので、もとは足尾銅山の技師でしたが、明治40(1907)年に独立して、玉村工務所を開設しています。鉱山における空中索道の専門家です(宝鉱山が精錬を中止し、空中索道で笹子駅まで鉱材を運ぶようになったのは明治42(1909)年)。
「足尾の産業遺跡47 玉村勇助と玉村式架空索道」『広報あしお』平成17年9月号。PDF 日光市足尾総合支所「足尾電脳博物館」https://www.city.nikko.lg.jp/hisho/gyousei/kouhou/backnumber/ashio/documents/1709.pdf(2021.11.23リンク更新)
3ページ目の稼働中の索道の写真は、宝鉱山のものと同じものに見えます。
このさびついた車輪は、手をかけると今でも実になめらかに回ります。こういう優れた技師たちが、日本の鉱山を支えていたんだと、実感する瞬間です。
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