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▼はじめに

自分にとって、鉱物の魅力は、色、透明感、硬さなどいろいろありますが、やっぱり結晶の幾何学的な形状、そしてそれが分子配列を直接反映している、という点にあります。

石(鉱物)という手にとって見ることができる小さなものから、宇宙の均整と数学的な本質を感じることができるというところに、人はひかれるのかもしれません。簡単な数字の列で世界を表現している、方程式の美しさに通じるものがあると思います。

なかでも、黄鉄鉱は割とどこでもあり、しかも結晶の美しさが際立っています。自然にできたとは到底思えない正方形の輝く結晶から、鉱物の魅力にとりつかれたという人も多いのではないでしょうか。

自分も、いろいろ見てきましたが、やっぱり黄鉄鉱が一番好きです。

 

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 〇産地別リスト

 ▽分類別リスト

 

ここでは、鉱物の、主に顕微鏡で撮った写真をアップしていきます(石ころや岩石も扱います)。

買ったり売ったりは一切なし、山を掘るのもあまり好きではなく(ズリはのぞく)、基本的に沢やズリなどでの表面採取が中心ですので、目をひくような大したものはありません。それでも、顕微鏡を使えば結構いろいろ見つかるものです。

特に南関東~山梨南部~伊豆周辺の山ならば、よほど険しいところでなければ割と歩きなれているので、地形図、地質図などを参考にしながら狙いをさだめ、ちょっと石を拾ってきては顕微鏡で観察をしています。

微細な鉱物ばかりですので、正直鉱物の同定に関しては、まったく自信はありません(硬さを調べることも薬品を使うこともなかなかできないので)。明らかに間違ったおかしなことも書いている自覚はありますので、信用はしないでください。常に迷っているので、その都度追記を加えていきます。古いものは、もうそのままにしてしまっているところもありますし(興味としては、鉱物そのものより地理学に向きつつある)。

何だか分からないものも、積極的に出していきます。まったく見当のつかないもの、こうではないかとアタリをつけた(けれども自信のない)もの、すべて写真として面白いものかどうかを優先しています。よって、間違いも多いと思います。ご承知ください。

本当はスケールも記すべきなんでしょうけど、あくまでも鑑賞用ということで、つけません。スケールをつけるの、大変なんですよねw なかなかうまい方法が見つかりません。基本的に、顕微鏡で20~40倍、さらに撮影した写真の端はトリミングします。ものによっては、ルーペでも確認するのが難しい大きさになります。

色について。ノートパソコンで写真を処理していますが、スマホの画面だと、かなり色が濃い目に見えてしまいますね。濃い目のほうがきれいに見えるので、どうしても処理を強めにしてしまいがちになるということもあります。念のため。

鉱物の分類表記に関しては、デジタル鉱物図鑑を参照しています。

 

2024年4月15日 (月)

桜石(栃木県日光市足尾町庚申川)

Cerasite, Cherry Blossom Stone 菫青石仮晶 珪酸塩鉱物

 

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まるで6枚の桜の花びらのような形をした石。実際には桜の花びらは5枚なんですがね。。。京都亀岡市のもの(国の天然記念物なので採集不可)が有名ですが、栃木県庚申川(渡良瀬川上流)のものも、関東産の桜石として知られています。笹の葉のような白い部分も同様です。

桜石は、(泥質)ホルンフェルス中に含まれる菫青石の仮晶のことです。粘板岩など泥質の岩石が接触変成(熱によって変質)したものが(泥質)ホルンフェルスで、変成時の温度や圧力の具合によって、なかに含まれる鉱物が変わってきます(菫青石のほか、同質異像の、紅柱石、珪線石、藍晶石など)。

でき方としては、

まず高温で安定するインド石(Indialite,  Mg2Al4Si5O18)という鉱物ができる。そのインド石を核として、やや温度が下がった状態で安定する同質異像の菫青石(cordierite,  Mg2Al3(AlSi5O18))の貫入三連双晶が成長。熱水などによってピニ石(Pinite)に変質。風化により、境界部分が明瞭になり、花びらの形になる。

このような過程でできたという説が有力のようです。鉱物種としては、絹雲母、緑泥石などの混合ということになるらしいです。3枚目のきれいな六角形の写真は、あまり風化していない、新鮮な感じに見えますね。下の写真は、笹の葉のような部分の拡大写真です。白、黄色の不透明な部分(緑泥石質?)と、きらきらと輝く部分(雲母質?)でできていることがわかります。

 

Sakuraishi_koshingawa_04

 

桜石は、菅原道真絡みの伝説が有名です。京都湯の花温泉にも、「鬼と桜石伝説」 があるそうです。木内石亭の『雲根志』(後編 巻之一 六十一)(京都大学貴重資料デジタルアーカイブ)にも京都の桜石が紹介されています。けれども、庚申川(渡良瀬川)の桜石に関しては、日光関山の勝道上人によって開山され、庚申信仰の山として信仰されてきた長い歴史がある庚申山近くから産するにも関わらず、特に歴史関連の話はないようですね。

鉱物的には、庚申川上流域には紫水晶の産地があり、さらに当然足尾といえば日本最大の銅山であり、渡良瀬川中流域はマンガン鉱山跡があちこちに点在し、庚申川(渡良瀬川)流域はまさに日本の鉱物の一大産地ということになります。

ちなみに、庚申山の奥には深田久弥の百名山でも知られる皇海(すかい)山がありますが、2024年現在、庚申山荘が老朽化で使用不可のため、最も行きにくい百名山のひとつになっているもようです。登山としても、足尾山地はとても興味ある山域なのでもっといろいろ行きたいのですが、北関東はなかなか遠くてね。。。

 

Koshingawa
庚申川上流の様子。

 

2023年7月28日 (金)

水晶(静岡県湯ヶ島豆州鉱山)

(石英) Quartz SiO2 酸化鉱物

 

Quartz_zushum_01

 

今回は顕微鏡マクロ写真ではなく、普通のレンズで接写したものです。

伊豆の豆州鉱山で拾った水晶。天城の山の中は、あちこちで石英が散らばってる箇所があったりするのですが、ここもそうとは知らずに山歩きに行った際、石英が散らばっているのを見つけて、新しい産地? と早とちりしたところ(登山道があるわけではないところなので)。

あたりをちょっと見て回りましたが、坑道やら鉱山の遺構のようなものは全然見つかりませんでした。坑口がつぶれたような感じの箇所があり、その前がちょっと平らになっていて(かなり狭いが)、いかにもな感じではありました。ただ、範囲はとても狭いです。明確なズリといえるようなものもありません。

家に帰ってから調べてみて、どうやらここは豆州鉱山のあとらしいと分かりました。豆州鉱山についてネット上で検索してみても、あまり情報はないですね。天正年間から小規模に金銀が採掘されて、黄鉄鉱なども出たらしい。ヤフーオークションで1点だけここの標本が出品されていて(オパール、緑泥石)、その説明文には、「公的記録は有りませんが、磯部鉱石資料館発行の金鉱山総覧には、昭和11年にAu1246g/tの高品位金鉱石1245tが採掘された、と記載されています」とあります。磯部鉱石資料館というのは、千葉にある現・株式会社合同資源の鉱石資料館のことのようです。なかなか面白そうですが、会社の資料館なので、平日のみの見学(要予約)です。一度見学させてもらいたいですね。

現地ではさっと表面のみ見て回りましたが、ほぼ石英くらいしか見当たらず、伊豆によくある、熱水鉱床の透明度が高くきれいではあるが、小さな水晶くらいしか見つかりません。写真の水晶はうっすらと紫が入っているように見えます。そういえばすぐ近くの浄蓮鉱山でも、紫石英はけっこう見かけますね(浄蓮鉱山ではなぜか紫の水晶はまったく見ませんが)。すぐ近くの別の沢でも石英の散らばっているところがあり、地図上でほぼ線でつながるので、すべて同じ一続きの脈なのかもしれません。

 

Quartz_zushum_02

 

あとこの水晶、長波のUVをあてると、うす水色に蛍光します。これがとてもきれいなのです。

石油まじりの水晶は水色に蛍光するみたいですが、これもそうなのかどうかはわかりません。。。でも、透明度が高くてきれいだし、うす紫だし、さらに蛍光するなんて、なかなかやるね!

(以前紹介した、水色に蛍光する玉髄。玉髄(埼玉県飯能市上名栗武川岳周辺)

一番きれいに蛍光していた部分の写真も下に載せておきます。

 

Quartz_zushum_03

 

Zushum_01

現地の様子。尾根上、石英の塊が、コケに覆われて落ちている。自然林メインの美しい尾根。

 

2023年5月10日 (水)

剥沸石(静岡県賀茂郡大沢里)

Epistilbite Ca3[Si18Al6O48]・16H2O 珪酸塩鉱物



Epistilbite_osori_01

西天城から松崎に流れ込む仁科川の上流域・大沢里(おおそうり)の河原で見つけた剥沸石です。

多分湯ヶ島層のだろうと思いますが、緑色凝灰岩中に晶洞が点在し、その中にありました。他に緑簾石らしい結晶などもついていました。西伊豆で見られる緑色凝灰岩の中でも良質なものは、伊豆石、若草石などと呼ばれ、耐火性に優れており、建材や温泉の浴槽なんかに使われてきました(「伊豆石」と呼ばれるものは、凝灰岩ではなく、例えば真鶴あたりでとれる安山岩のものも含まれます)

剥沸石は沸石の中でも割と珍しいほうに入るかもしれません。写真でも、封筒のような特徴的な形の結晶であることがわかります(というか結晶の形でしか判別できませんけど)。伊豆だと雲見のあたりに有名な産地がありますね。

なかなかきれいな結晶がついていて、下の写真のような、小さな結晶がつながった橋もありました。きれいですね。これは沸石なのか、あるいは魚眼石かもしれません。輝沸石っぽい結晶もあって、場所柄、もしかしたら湯河原沸石がついてたりしないかな?! と淡い期待を持って観察してみましたが、どうやらありませんでした(伊豆の湯河原沸石の産地は、白浜層でしたかね?)。

 

Epistilbite_osori_02

 

大沢里というと、最上流部には天城鉱山跡があり、あまり沸石というイメージがなかったのですが。。。実際、河原では、上流の鉱山跡から流れてきた石英の塊もちょこちょこと見かけます。

伊豆天城鉱山跡付近は鉱石の欠片は多く転がっていて、伊豆っぽい熱水鉱床系の小さい水晶がいっぱいついた晶洞のある石も多いのですが、他にはそれほど物珍しい鉱物がなさそうで、鉱物的にはいまいち興味がわきません。でも、ちょっとしたハイキングとして歩くのはなかなか楽しいのです(大きな滝もある)。この周辺は自分的にはいろいろ歩き回っていて、あんまり知られてほしくない穴場もあったり(鉱物的な意味ではない)、大好きな地域です。

伊豆天城鉱山は、中外鉱業、伊豆鉱山などによって、平成の時代まで操業していたようなのですが、詳しいことは分かりません。そこまで古いものには見えない鉱山軌道のバッテリー機関車も放置されたままです(今でもあるかどうかは分からない)。

 

Amagikozan_01

2023年2月19日 (日)

沸石(山梨県南巨摩郡身延町草間鉱山)(モルデン沸石)

Mordenite (Na2,Ca,K2)4(Al8Si40)O96・28H2O 珪酸塩鉱物

 

Mordenite_simobe_02

Mordenite_simobe_01

 

山梨県下部川の上流、草間鉱山付近で採集した、モルデン沸石です。緑簾石の緑とあいまって、さわやかな沸石の透明感ある白がきれいですね。

ここは、銅やマンガンの鉱床と、太平洋岸一体に広がる海洋中の火山岩由来の鉱物がでるようです。

伊豆のようにきれいで大きな結晶ではありませんが、ここに行った時、工事中で現場に行けず、ちょっと下の河原で見つけたので、まあ十分でしょう(現在現場がどうなっているかはしらない)。

 

下部川は富士川の支流で、まわりには金山が多くあったところです。湯之奥金山博物館も、下部にありますね。

富士川水系は日本でも有数の山岳地帯を源流に持つことでわかるように、非常に勾配のきつい川で、激流でも有名です。日本の標高1位と2位を源流にもっていることになります(富士山と南アルプスの北岳)。ちなみに、「源流」とされるのは、やはり南アルプスの険しい岩稜地帯として有名な、鋸岳。さらに八ヶ岳、奥秩父・甲武信岳の清廉な水を集め(笛吹川)、日本三大急流のひとつにふさわしい河川といえます(三大のあとふたつは球磨川と最上川)。下部川の源流は天子山地の毛無山です。(ところで富士山周辺には「毛無山」という珍しい名前の山はふたつあります。もうひとつの毛無山は西湖・本栖湖のそばにあって、そちらは柘榴石の産地として知られていますね。→鉄礬柘榴石(山梨県富士河口湖町毛無山)

勾配のきつさだけでいえば、北アルプスから発して富山湾にそそぐ常願寺川に次いで、日本でも2番目。「川でなく滝だ」という言葉を残したのは、明治のお雇い外国人のデ・レーケ(Johannis de Rijke、1842-1913)で、常願寺川を見て言った言葉とされてきましたが、日本の川すべてに当てはめるのはちょっと無理筋ですねw でも、富士川には明らかに通用する言葉です。笛吹川合流より上流では釜無川という名前ですが、水害の多い荒れ川であったことは、武田信玄の有名な治水事業からもうかがうことができます。
(「川でなく滝だ」という言葉については、今では同じオランダ人のムルデルが早月川について言ったということになっていますが、ずっとデ・レーケの言葉と言われてきた話ですので、ここではこれで通します。逸話の形成というのは、それだけの意味があると思うので)

自分は昔、川や海をファルト・カヤックでツーリングしたりしていましたが、富士川はえらく大変だということで、行ったことはありませんでした。上級者用のコースということになってましたね。

最上流から河口まで、さまざまな鉱物的、地質的みどころが多い水系です。

 

2023年1月14日 (土)

赤鉄鉱(静岡県河津町沼ノ川)

Hematite Fe2O3 酸化鉱

 

Hematite_numanokawa_01

Hematite_numanokawa_02

 

伊豆の河津川は、天城山の東西それぞれを源流とする本谷川、荻の入川が河津七滝で合流し(出合滝)、相模湾に流れ込んでいます。荻の入川の支流のひとつが、沼ノ川。地形図には今も沼ノ川沿いに破線が続き、天城西稜線の沼野川峠まで登っているのですが、すでに廃道です。一部道形がわずかに残っていますが、沢沿いの廃道なので痕跡は消え、基本単なる沢になっています。この廃道を沼ノ川歩道というのですが、その道中に鉱山の坑口が残されています(標高640m付近)。坑口の前は、多分ズリを積み上げて作られた平場になっていて、鉱石らしい石が散乱していました。とくに目立つのが、白い石と黒い石。

黒い石は、重くて金属っぽい石です。拡大してみると、写真のような仏頭状集合になっていました。多分赤鉄鉱ですかね? ひとかかえもあるような大きなものも転がっていました。

白っぽい石は、石英の塊です。晶洞には微細な水晶が生えていて、伊豆でよく見られるのと似ていますが、結晶はとても小さいので、ルーペで見ないとよくわかりません。2枚目の写真のように、ちょくちょく両錘の水晶が見られます。

石英はところどころ黄色~オレンジになっていて、これは石英を覆った鉄分の被膜ですかね? 時々オレンジの部分が集まっていたり、微細なオレンジの針のようなものも見えるのですが、小さすぎてよくわかりません。伊豆には針水晶もよくありますし。硫黄とか? テルル系の鉱物なんてことはないか(河津鉱山とは大分離れているし)。

 

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いろいろ調べてみたのですが、該当の鉱山にあたるような資料は見つけられませんでした(大した資料もないのだけれども)。鉱山に詳しい方ならば、掘り方を見れば時代を推測することもできるのでしょうが、自分にはわかりません、鉄を採掘していた? 今ではほとんど入る人もいない山奥ですが、沼ノ川歩道というからには、昔はここを通る人もいたのでしょう。ただ、沢から登りつめた稜線の沼野川峠は、現在林道が越えている諸坪峠から1kmも離れていないところなので、ここを通る必然性はずいぶん低いように思われますが。。。

あるいは、沼ノ川歩道はもともとこの鉱山に行くための道だったという可能性も?

ちなみにこのあたりの山は岩がちで、かなり険しい箇所が随所にあります。

 

Numanokawa_04
沼ノ川上流の鉱山跡の坑口。前は平場になっているので、試掘などでなく、かなり採掘はされていたように思える。

 

沼ノ川と荻の入川の合流地点南には、東伊豆火山群・沼ノ川火山列の噴火口のひとつがあります(いくつかの火口が火口列を形成している。約5万3000年前噴火と推定)。そこから川に流れた溶岩流の跡は地形図でもはっきりわかります(現在林道がジグザグに通っている)。溶岩流が川に到達した地点には、きれいな柱状節理の崖が見られます。河津七滝にも立派な柱状節理がありますが、そちらは河津川東の登り尾火山によるものです。

沼ノ川沿いには現在わさび田がずっと上流まで続いていますが、その途中、煉瓦の洞と呼ばれている遺構が残っています。弘化2(1845)年から明治維新前後にかけて稼働していた、日本でもっとも古い耐火煉瓦工場の跡です。屋根がつけられ保全された遺構の周辺には、当時の煉瓦の残骸と思われる白いかけらが散らばっていますが、今ではヤブ山の中に飲み込まれそうです。本格的な操業は明治6(1873)~16(1883)年で、工部省によって行われた官営の工場だったそうです。

東京駅などの煉瓦は赤煉瓦ですが、ここのものは熱に強い白い煉瓦で、製鉄所の溶鉱炉などで使われることが多かったようです。有名な伊豆・韮山反射炉の煉瓦もここで作られたものです。その材料は、珪素成分(つまり石英)が多い陶土ということになりますね。

あれ? ということは、沼ノ川上流の鉱山跡は、もしかしたらこの煉瓦用に石英を採掘していたあとということかな? 同時に、反射炉で使う鉄の鉱石も、同じ場所で採掘していたという可能性もある? 伊豆って金銀マンガン鉱山がメインで、あと河津や奥山鉱山には銅がありますが、鉄が採れるところって、そんなにない気がするのですが。。。どうなのでしょうか。

 

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荻の入川沿いの、沼ノ川火山の溶岩による柱状節理。

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煉瓦の洞の登り窯A。

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沼ノ川歩道沿いには、古いわさび田の跡や炭焼き場の跡が残っていて、陶器なども散らばり、人の生活が感じられる。

 

2022年12月28日 (水)

硫砒鉄鉱(埼玉県秩父市秩父鉱山)

Arsenopyrite FeAsS 硫化鉱物

 

Arsenopyrite_chichibum_01

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秩父鉱山の大黒川原で採集した硫砒鉄鉱。シャープな結晶がたまりませんね。こんな標本が、ちょっと探しただけで割と簡単に見つかってしまうのが、秩父鉱山の楽しいところです(大黒では硫砒鉄鉱はそんなに多くないそうですが)。大黒川原は(車があって林道が通行できれば)簡単に行け、運がよければ車骨鉱や毛鉱なども見つかる良ポイントです。

以前、明治時代の横浜で日本茶を中心に取り扱っていたヨーロッパ商人の研究書を見たことがありますが、その商人が気に入っていた日本の産物が、水晶とねずみ獲りだったとか。もしかしたらそのねずみ獲りは、硫砒鉄鉱から抽出した亜ヒ酸だったかもしれません。昔は硫砒鉄鉱は毒砂と呼ばれ、江戸時代から石見銀山のねずみ獲りは有名でした。

硫砒鉄鉱(亜ヒ酸)はまさに毒の王様で、多くの公害や歴史上の殺人・暗殺(と伝わる事件)にその名前が関わってきます。無味無臭で使いやすく、硫砒鉄鉱が割とありふれた鉱物で、手に入りやすかったから、というのがその大きな理由です。鉱物採集という点でも、硫砒鉄鉱は目にする機会も多く、気をつけなければならない鉱物のひとつといえます。鉱石を触った指をなめたり、割った時の粉塵などをできるだけ吸わないようにする必要があります。砒素の多い鉱山のズリでは、時に白い粉をふいたような硫砒鉄鉱の鉱石が見つかりますが、間違ってもなめたりしないようにします。

そんな負のイメージの強い鉱物ですが(だからこそ?)、その結晶は鋭角的で実に魅力的ですね。

 

肉眼で十分見られるような標本は確かにすごいけれど、そんなものは今の日本ではそうそうないですし、なんというか、風雅に欠けますねw(意味がわからない)接眼鏡をじっと息をひそめてのぞき込むと、思いもよらないような世界が広がっているほうが、楽しいのだ(まあこの写真の結晶は十分肉眼でも見えるのだけれども)。

山中の、人のほとんど行かないようなところを歩いていると、まれになんの話も聞いたことがないようなところで、自然の露頭なのか鉱山跡のズリなのか、石英を多く含んだ鉱石が散らばっているのを見つけることがあります(先日も伊豆の滑沢溪谷付近で一か所見つけました)。大抵は小さな水晶とかで、ここに載せるようなものではないのだけれど、思いもよらない場所で見つけるそれは、とても輝いてみえます。そういうものも、顕微鏡で見ると、やたらときれいだったり。

秩父鉱山のある中津川溪谷周辺も本当はいろいろ探し回ってみたいし、数回地図を頼りに歩いてみたけれど、あのあたりはイメージとして両神山とか赤岩とか、険しい岩山なので、そうそう容易くふらふらできない感じ。林道もすぐ通行止めになるし、土日通行可などといっておきながら、急遽工事がはじまって、奥から帰れなくなったりすることもあります(これは本当にやめてほしいなぁ)。

でも探せば、絶対なにか見つかる場所でもあります。八丁峠までの道の途中、なんかあるかなと思いながら石ころを見ながら歩いていると、いともたやすく小さな水晶が転がっていたりするのを見つけることができました(大したものではない)。峠から両神山に向かうとすぐ、鉱山の空中索道の跡地もあります。名も知らない小さな沢に入っても、おや? と思うものがあったりします。

埼玉県と長野県を結ぶ唯一の道路である中津川林道沿いにある中津川村キャンプ場は、なかなかよいキャンプ場で(冬は営業停止)、特に別料金などなく、温泉に入れるのでおすすめ。茶色く濁ったお湯で、強い鉄の匂いがします。伊香保とか、浅間山の天狗温泉に近い感じですね。キャンプ場の対岸の沢が真っ赤な水が流れていて(この水を沸かしたのかな?)、この点でも天狗温泉を思わせるのですが、どうやらこの沢の上流にも鉄鉱床があるようです。ウズノ沢も近いので、まあなにかしらはあるんでしょう(笑)

ちなみにキャンプ場の裏山は、秩父槍ヶ岳。マイナーですが、マニアックな登山者を惹きつける山です。とても気軽に歩けるところではありません。岩が落ちてきそうで通るのが怖い中津川林道をさらに奥に進むと、王冠のキャンプ場があって、その先、三国峠・川上村までは現在通行止めです。一度でいいから、川上村に抜けてみたいのだけれど、はたして通れるようになる日がくるのか。。。ちなみに最奥の沢は金蔵沢といいます。ね、いかにも何かありそうでしょう?w

 

2022年12月 1日 (木)

セラドン石(神奈川県愛甲郡清川村煤ヶ谷)

Celadonite KMgFe3+Si4O10(OH)2 珪酸塩鉱物

Celadonite_susugaya_01

Celadonite_susugaya_02

 

南関東、伊豆や千葉などでよく見ることのできる、青緑の石です。相模川中流から下のあたりで緑のきれいな石があったら、大抵はこのセラドン石だと思います。その産地の中心は、厚木で相模川に合流する中津川・小鮎川流域の、いわゆる東丹沢地域。とりわけ、七沢、煤ヶ谷に多く感じられます。丹沢層煤ヶ谷亜層群にあたる地域ですね。この標本は、小鮎川の支流・谷太郎川流域で拾ったものです。

特に珍しい石というわけではなく、川に普通に転がっています。探す必要もなく、すぐに見つかります。乾燥しているとちょっとくすんだ色だけれども、濡れると緑が鮮やかになって見違えるほど美しさが際立つので、川の中にあるととても目立ちます。東丹沢では薄い緑がかった凝灰岩が多く、コケの緑も多いのですが、濃い緑のセラドン石は目を引きますね。相州大山から宮ヶ瀬の山中では、ちょくちょく細かいセラドン石が散らばった露頭に行きあうことも多いです。

ただし、春から秋の間にこの辺の山に行くのは、お勧めしません。当地の気温が10度以上になる、特に雨上がりは、自分は近寄りません。。。

厚木や伊勢原の弥生~古墳時代の遺跡から、このセラドン石を加工した装飾品が出土しています。昔の人も、やっぱり気になったんでしょうね。こう言ってしまうとちょっとあれですが、ヒスイの代用品みたいな感じかもしれません。昔の人はきれいな緑の石が大好きですから。。。ただし、ヒスイに比べると、かなりやわいです(モース硬度は2、加工がしやすいということでもある)。

伊豆・河津では、このセラドン石の表面を細かい輝沸石が覆い、透明できらめく緑の宝石のような状態になったものがあり、とてもきれいです(玉髄(静岡県河津町やんだ)参照)。インドでも、セラドン石で緑に見える輝沸石や魚眼石が産出するようです。

 

Celadonite_susugaya_03
川の中に転がる、セラドン石(濃い青緑部分)を含む火山礫凝灰岩(七沢石)

 

セラドン石は雲母族の鉱物。500万年前に丹沢地域が本州に接触する以前、まだ太平洋の海だった1500万年前頃に、噴火した火山の火山灰や火山礫などの噴出物が海の底に堆積して堆積岩となり、それがさらに熱(マグマ、熱水など)を受けて、変成してできました。海中の成分と反応して青緑になる(鉄成分による?)といわれていますが、詳しくは知りません。海緑石とは見分けがつかないほど似ているので、産地で判断するしかありません。

地図を見ると、小鮎川上流から宮ヶ瀬湖にかけて、まっすぐな線を引けるような地形になっているのがわかると思います。これがかつてのプレート境界線であった、牧馬-煤ヶ谷構造線。その北側、相模川に沿った線は、藤野木-愛川構造線といい、やはりかつてのプレート境界です。丹沢山域を中心にして、楕円(の上半分)を幾重にも囲むようにつながる線です(楕円の下にあたるのが国府津-神縄断層)。

プレートの沈み込み帯だけあって、煤ヶ谷のあたりの山は激しい地殻変動のあとが残されていて、本来は地面に平行なはずの地層が、垂直に立ってしまったと思われるさまなども見られます(そのうち紹介するかも)。

 

ところでまったく関係ないのですが、うちのねこは、煤ヶ谷の出身です。子ねこの時、山のなかで死にそうになっていたそうで、引き取った時も、弱弱しくて心配しましたが、今では元気すぎて困るのだ。懐かしい煤ヶ谷の石に反応するかなと思ったけど、まったくそんなことはなかった(当たり前w)。

 

2022年11月20日 (日)

板状節理(静岡県伊豆の国市葛城山)

Platy Joint

 

Platyjoint_katsuragiyama_01

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以前紹介した鱗珪石(静岡県伊豆の国市城山)のとなりの山、葛城山でみられる板状節理。

伊豆の国市の街からロープウェイで登れる山で、駿河湾や富士山の眺めがすばらしいところです。その裏側(南側)に登山道があって、この板状節理のなかを登っていくことになります。ただし、ちょっとマイナーなルートで、小さな山だと思って軽くみていると、なかなか険しいのであせることになるかも。でも、なかなか壮観なのです。

となりの城山と同じく、この葛城山も、火山の火道で固まった溶岩が周りの土壌が侵食されたあとも残った火山岩頸(火山の根)です。この板状節理も、溶岩が冷えて固まる時の体積収縮によって形成されたものとされています。ようするに、冷えて縮む時に、規則正しくひび割れができたってことですね。「柱状節理の六角の柱は、冷却面に直角に発達する。板状節理の板の方向は、溶岩の流理面を代表している」(森本良平『日本の火山』創元社、1958)とのことですが、流理面ということは、流れた方向ということ? 火道の溶岩は上下に流れていただろうから、この写真の場合、もし固まったあとに90度ひっくり返ったのでなければ、流れに垂直に板が発達するということ? よくわかりません。

節理が板状になるか、柱状になるか、その違いはどこにあるのでしょうか。これも面白い問題ですね。溶岩の質なのか、できるときの環境の違いなのか。あるいは偶然に選択されるのか。そういう研究してる人はいるのかな?

そういえば、草津白根山にある鏡池(先の噴火の火口すぐそば)は、亀甲状構造で有名です(現在でも立ち入り禁止になっているようです。草津白根山湯釜の噴火警戒レベルは現在1なはずだけれど、気象庁って各自治体に信用ないんでしょうか? とりあえず禁止しとけば余計な手間はかからないっていうやつ?)。土壌の水分が凍結融解を繰り返してできるとされる構造ですが、こういう自然界に見られる「結晶」状構造とでもいう現象は、とても興味深いものがあります。出来方はそれぞれいろいろ違うようですが、なにかしらの共通項があったら面白いのに。構造土とかそういう類のものは、氷河地形や火山地形などの、いうなれば極端な環境でできた地形に多くみられる気がします。

 

城山と葛城山、あとは西伊豆の海が見下ろせる発端丈山の、静浦山地南部三山は、お手軽にもかかわらずなかなか面白いところなので、まとめておすすめです。伊豆がまさに火山でできた地域であることを感じることができます。伊豆の低山を代表するウバメガシの森(日本の北限)の美しさも捨てがたいですね。中部山岳地帯では見られない植生と、溶岩と白浜層の岩で構成された独特の景観・雰囲気が、この周辺の特徴です。

 

Karsuragiyama

発端丈山の山頂から、東を望む。葛城山(左)。その横に小さく頭をのぞかせているのは城山。右の遠景は、天城・遠笠山の裾野。その途中に頭を出しているのは、東伊豆の代表的な火山岩頸・矢筈山。すべて火山ですね。

 

2022年11月 6日 (日)

磁鉄鉱(群馬県利根郡川場村川場鉱山)

Magnetite Fe2+Fe3+2O4 酸化鉱物

 

Magnetite_kawabam_01

Magnetite_kawabam_02

 

群馬県川場鉱山(鉱石山)の磁鉄鉱です。正八面体のなかなかきれいな結晶ですね。茶色の母岩は灰鉄柘榴石です(灰鉄柘榴石(群馬県利根郡川場村川場鉱山))。

ありふれた鉱物ですが、きれいな結晶はやっぱりいいですね。探しやすい鉱物の中では、水晶と並んでもっともかっこいい鉱物のひとつだと思います(そんな基準聞いたことないけどw)。鉱石山で採集した柘榴石はネット上でよく紹介されているけれど、磁鉄鉱のことはあまり見かけず、頭になかったので、見つけた時はおおっとなりました。

鉱石山はスカルンですが、その変成の熱源は赤倉谷花崗岩(磁鉄鉱系列)だそうです。花崗岩はマグマが深いところで固まった深成岩なので、このあたりに多い温泉の熱源にもなっているのでしょうか。近くには、塩河原温泉、川場温泉、小住温泉など、いくつかの温泉が点在しています(鉱石山の右側を通る県道64号線は、奥利根ゆけむり街道という別名がある)。

川場温泉は1200年前、弘法大師が見つけた(お湯を出した)という伝説になっていますね。弘法大師にまつわる話はあまりに多すぎるので、それが本当かどうかというのは重要なことではありませんがw とにかくかなり古くから知られていた温泉というのは確かなようです。温泉というものの有用性を考えたら、それがどれだけ貴重なものかわかるというものです(何もないところからあったかいお風呂を用意する難易度の高さを想像してみよう)。

 

空海がらみの話は日本全国にありますが、空海、役の小角、安倍晴明は、日本の(いい意味での)三大心霊的ヒーローですね。悪い意味だと菅原道真、平将門、崇徳上皇で三大怨霊(昔、長銀が健在だったころ仕事で大手町によく行っていましたが、女性社員がいつも将門の首塚に花を供えていたと聞いたことがあります)。

鉱石山は武尊山の前衛です。武尊山はもちろん日本武尊からきていますが、修験道の山でもありました。でも、そんな古い歴史があるわけではないようです。開山は江戸寛政年間とのこと。日本武尊と結びつけられたのも、この時期からでしょうか?(大体どうしたら「武尊」を「ほたか」と読めるのかという) 日本武尊も、地名などの由来の際に引き合いに出されることの多い名前です。大抵は笑って聞いて楽しむ感じの話ですが、たまに、え、これは一体なに? どういう由来が? と怪しむような地名、それにからんだ伝説がありますね。

奥多摩の鳩ノ巣溪谷のあたりに将門神社、将門大橋という場所がありますが、そのさらに奥、奥多摩駅から雲取山に向かって尾根を大分登ったところに、将門馬場(1455m)という山があります。なぜこんな山の上に将門の名が? しかも馬場? 。。。なんでも、東国に逃走した将門が通ったルートだという伝説があるようですけど。。。「実は生きていた」系伝説ですね。

大月の北方、金鉱のあった金山のそばには、「セーメーバン」(1006m)という不可思議な名前の山があります。そのあたりの伝説では、「セーメー」は安倍晴明のことで、「バン」(盤)は鉱山用語の鉱脈のこと、村人に頼まれて水を引こうとした晴明が鬼にだまされて亡くなった場所「晴明盤」である、とか。この場合のバンとはつまり水脈ということでしょうか? 鉱山用語を調べると、「上盤」とは「鉱脈の上側にある岩石の層」、「下盤」は「鉱脈の下側にある岩石の層」と説明されているので、盤には脈という意味が確かにありそうですね(別子鉱山用語集)。一体なにがあったんだ?(ちなみにこの場合の「晴明」とは、安倍晴明本人のことではなく、陰陽道関連の人、という程度の意味じゃないかと思います。)

大体山の上で水脈というのはおかしい気が。。。探すのなら鉱脈か(金山という土地柄もありますし)。陰陽道というのはいうなれば、龍脈を探しそれを活用する知識をもった人のことですから、そこから連想される水脈や鉱脈に対する知識を持っていたというのは、うなずける話ですね。鉱脈を探す際、なんらかの役目を陰陽師がおっていたというのは、ありえそうな気がします。

東丹沢の菩提峠から二ノ塔に大分登ったあたりには、日本武尊の足跡といわれる石があります。全然足跡には見えないのですが、その周辺の地形は何となく人工的な感じで、まるで遺跡のなかみたいな雰囲気が漂っています。多分、相州大山から現・ヤビツ峠、菩提峠を経由して塔ノ岳方面に登る古い行者道のルートがここを通っていて、宿泊所のような施設があったのではないかと思います。江戸期に流行った相州大山詣りですが、やはり当時信仰登山で流行った鐘ヶ嶽を経由して大山に向かう尾根上(ここも行者道で、現在では弁天御髪尾根と呼ばれる)には、すり鉢広場と呼ばれている窪地があり(空鉢嶽)、ここも、行者たちの宿泊所があったといわれています。八菅修験道の中心地で、近くの経ヶ岳あたりは弘法大師、役の小角の伝説までそろっていて、大盤振る舞いといった感じw

多分、昔からヒーローものって人気あって、人を集めるにはよかったという一面もあったのでしょうね。もちろん、そういう各種逸話のもとになる出来事がなにか実際あって、それが少しずつ姿を変えながら伝わってきたと考えるほうが自然だと思います。どんな怪しげな伝説であっても、必ずなにかその核になるものはあって、完全な創作ってそうそうないんじゃないかなあ。

 

2022年10月30日 (日)

重晶石(群馬県甘楽郡下仁田町中丸鉱山)

Baryte Ba(SO4) 硫酸塩鉱物等

 

Baryte_nakamarum_01

Barite_nakamarum_02

 

下仁田・中丸鉱山の重晶石です。

国道254号線沿い、荒船湖近くのとんかつ屋さんの駐車場をお借りして、行きました。次の日の帰り(荒船山に行った)、このお店に寄って食べていこうと思ったら休みでした。残念! 近くに温泉施設もあるので、そこに駐車して、温泉に入っていくのもいいかも?

(20221106追記 メインの写真をアップするのを忘れていましたw)

橋から沢に下りられるので、沢を遡上していってもいいのですが、駐車場の裏手、沢の左岸沿いに踏み跡があるので、そこを登った方が楽だと思います。しばらく行って沢に下りて急な箇所に来たら、今度は右岸沿いにジグザグに登る踏み跡があるので、そこを登りきると、坑口に出ます(登る途中の斜面にも、分かりづらいけれど、抗口の跡らしい穴がありました)。坑口の上が下の写真のようなズリになっていて、その上にも平場があったので、そこがメインの坑道だったのかな?

山ほどあるズリの石を割って探していけば、多分ここに来る人の一番のターゲットである輝安鉱は見つかるでしょう(そのうち取り上げます)。そうやっているうちに見つけたのが、写真の重晶石です。こちらはそのまま落ちていたので、すぐ目につきました。

 

Nakamarum
中丸鉱山のズリ。写真で見るよりは急斜面なので、複数で行くときは落石注意ですね(鉱山跡は大抵そうだけど)。

 

 

地図を見ると、荒船湖、中丸鉱山すぐそばを南北に電線が走っているのがわかります。

この電線は西群馬幹線といって、静岡から群馬までを走る長い電線で、平均で100mを超える巨大鉄塔群が延々と立ち並んでいます。

人家を避けるためか、山の中を通っていて、関東近辺の山に行く機会の多い自分には、とても馴染みが深い幹線です。よくこの鉄塔の管理道も利用させてもらったりもするのです。鉄塔は尾根上、稜線上に作られることが多いので、尾根歩きがメインだと、出会うことも多いのです。林道から尾根にあがる時、擁壁になっていたり、とても登れない崖だったりすることも多く、管理道というのは尾根の取り付きに便利なのですね。プラスチック製の階段があるのが東電管理道の目印。

この幹線の出発は、群馬・四万温泉手前の四万湖そばの、西群馬開閉所。ここから大月の東山梨変電所を経由して、静岡県駿河小山の新富士変電所まで延々と続いています。群馬から山梨までで140km近く、200以上の深い山中の鉄塔が、わずか5年程度で作られたというのは、ちょっと信じられません。

鉱山がらみでその経路をざっと説明wすると。。。新潟の柏崎刈羽原子力発電所や福島の第一第二原発(まあ今はああなってしまいましたが)からの電気を西群馬開閉所で集め、八ッ場ダムそばで吾妻川を越え、関東山地の深い山中を通って、中丸鉱山、荒船湖すぐわきを通過。双晶水晶で有名な三ッ岩岳西方、御座山(この周辺が人里離れ山深いのは、あの航空機墜落で有名な御巣鷹山の周辺ということでわかると思います)、御陵山そばを通過して長野県川上村を越え、奥秩父に入ります。瑞牆山の西から、増富鉱山のほぼ直上を通って徐々に東に進路を変え、黒平北方、乙女鉱山のある琴川ダムのそばを通り、笛吹川を越えてから竹森・鈴庫鉱山、黄金沢鉱山のすぐそばを通過、大菩薩湖に近づくとまた進路を南に変え、日川沿いに走り、門井沢のペグマタイト直上を通って、笹子雁ヶ腹摺山を越えて、大月の東山梨変電所にたどり着きます。

東山梨変電所から本社ヶ丸稜線を越え、宝鉱山直上を通り(宝鉱山から本社ヶ丸に登る登山道は、この幹線鉄塔の管理道です)、三つ峠・湯の沢鉱山そばを通って都留・桂川を越え、道志と丹沢をつなぐ山伏峠、オリンピックの自転車コースにもなった明神峠を通って、西丹沢南麓・富士スピードウェイそばの新富士変電所にようやく到着です(ちなみにこのすぐそばの須川上流にも鉱山があったという話が。。。)。

すごいですね。西丹沢から荒船湖、さらに四万まで全部つながってるって、実にわくわくします。各所で自分のよく行く場所とかぶることも多いので、とてもなじみ深い電線なのです。また君か、って感じで。電気になれるスタンドがいたら、あっという間に移動できるわw(レッド・ホット・チリ・ペッパー)。

普通は山登りでは景観的には鉄塔と電線は邪魔ものなのかもしれませんが、個人的には場所の特定やルートどりという点で、大変お世話になっている存在です。この鉄塔群全部を周るとか、そういう趣味もありなのかも?(いやないかw)

 

264208
左:神奈川・西丹沢ヒモシ峠の264号鉄塔。右:山梨・笹子雁ヶ腹摺山北尾根の208号鉄塔。

 

147_
左:山梨・増富・五里山の147号鉄塔。右:山梨・鈴庫山から見た竹森の西群馬幹線。左下の鉄塔のすぐ向こう側に黄金沢鉱山がある。鈴庫鉱山は画面下の尾根の向こう側。

 

213
本社ヶ丸から見た東山梨変電所。その右上の尾根上のひときわ大きいのが213号鉄塔。上の三角の山は笹子雁ヶ腹摺山。

 

2022年10月10日 (月)

珪灰石(茨城県笠間市柊山)

Wollastonite CaSiO3 珪酸塩鉱物

 

Wollastonite_hiiragiyama_01

Wollastonite_hiiragiyama_02

 

柊山は、稲田石で有名な稲田にあります。稲田石は白っぽい御影石、つまり花崗岩で、白っぽいということはつまり長石の構成比率が高いということになります。柊山はスカルン鉱物で知られているところですね。珪灰石は、石灰岩がマグマなどの接触により熱変成してできる、もっとも普通に見られるスカルン鉱物のひとつです。

真っ白い柱状の結晶の集まりで、なかなかうまく写真にとれません。。。沸石などもそうですが、白い鉱物は難しいですね。この写真も、色のコントラストをぐっと上げて調整して、ようやく表面の雰囲気がなんとなく出てきました。いつもは、写真の調整は最低限にするようにしているのですが。

 

柊山は稲田、福原駅のそばにある低い山で、頂上のそばのピークで大山祇神社や聖徳太子の碑などがあり、公園になっています。ちゃんと整備が継続されているわけではない感じで、車で林道経由で公園まで行けるものの、なんかヤブっぽいなぁ。。。あんまり人は訪れない感じがひしひしと伝わってきます(公園から北側の林道は、倒木等で車両通行不能でした)。公園や林道をちょっと散歩すると、石英の塊などがちらほら落ちていて、なんかありそう感は漂ってきます。でも、山の中はヤブが濃いので、正直あんまり入りたくない。。。

公園は開けていて、東側の眺めがあります。公園ピークの一角に珪灰石でできた大岩があったので、その周囲で転石を探して、採集しました(露頭をハンマーで叩くのはあんまり好きではないので、小さな転石を探して済ますことが多いです。ましてや山神社のある近くでは、はばかられますね)。多分、昔は近くの採石場などで探させてもらえたのかなぁ? 正直、人里離れた山奥ではない、こういう里山はいまいち苦手です。

 

公園の中をぶらぶらしていて、ちょっと季節外れな感じの、ギンリョウソウを見つけました。山に行くとあちこちで時折見かけるギンリョウソウですが、これだけもこもことたくさん寄り集まってるのはなかなか見たことないですね。

 

Hiiragiyama_01

 

ギンリョウソウは腐生植物です。光合成をせず、菌類と共生して栄養をとっている植物で、基本葉っぱはなく、一種異様な見かけをしていることが多い不思議植物。もっとも普通に見かけるのがギンリョウソウで、まれにツチアケビやシャクジョウソウなどを見つけることもあります。「腐生」といっても、別に死骸などに生えるわけではなく、菌類と共生していることを表現しているのでしょう。

普段の生活圏ではほとんど目にすることがなく、湿った暗い森の中で、真っ白なギンリョウソウが顔をのぞかせている姿を見つけると、とても印象なので、つい写真に撮りたくなってしまいます。

ちなみにランなども、葉っぱも葉緑素もありますが、菌類に依存している植物です。やっぱりちょっと不思議な形をした花が印象的ですよね。こういう印象がどこからくるのか考えて見ると、「菌類との共生」という生活様式が、ヒトからずいぶん遠いところにあるということが関係しているような気がします(こういう環境、生活様式からくる形態のことを「生活形」といいます)。鉱物の結晶と環境の間には、こういう関係はないんでしょうかねぇ?

 

2022年10月 4日 (火)

蛍石(福島県南会津郡蛍鉱山)

Fluorite CaF2 ハロゲン化鉱物

 

Fluorite_hotarum_01

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Fluorite_hotarum_03

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蛍石で知られる、福島県会津の蛍鉱山で採集した蛍石です。センチ単位の結構大きな塊(というより、寄り集まっている感じかな)も見つけることができますが、顕微鏡で見て面白かったものをいくつか。やはり鉱物はミクロの世界のほうが面白い。

3枚目の写真は、蛍石の上に、針のような水晶が生えていますね。この細かな水晶がとても多いのですが、不用意に素手で石を持つと、刺さりますw ここでは蛍石(基本無色、灰色、緑で、まれに紫のものもある)と、この水晶が見られますが、他にどういう鉱物がでるかはわかりません。でも、群生した水晶もなかなかきれいで、まれに紫水晶や松茸水晶も産出するらしく、なかなか楽しい場所ですね。

蛍石は、UVライトを持っていけばすぐに見つかると思います。ここの蛍石は、きちんと青く光ります。沢沿いのズリでも見つかるし、稜線近くにある坑口(いくつかある)の近くまで登れば、立派なものも見つかりやすい気がします。自分は会津の山に行ったついでに、ちょっと寄ってみたのですが、まさかのUVライト忘れw でも普通に肉眼で見ても、サイズが大きいので、劈開面や形、色、光沢で蛍石だとわかります。

 

南会津の山奥、檜枝岐の西にひとつ山を越えた、湿原で有名な田代山や帝釈山を源流とする西根川流域が、蛍鉱山の現場(というかこの辺は稜線がなだらかで湿原になっている山が多い)。昭和12(1937)年から19(1944)年まで操業していたようです。

星きのこ園というところで、きのこ、鉱物1日採取権を購入します(1日2000円)。そういえば星製薬の創業者(星新一のご先祖さま)も会津出身でしたね。この辺はきのこ採取が生計の重要な一部になっているようで、無断立ち入り禁止の看板が多いので、こういう形で正式に認められての採集は、むしろ大変ありがたいです。多分ふらふらと山の中をさまよっていると、きのこ泥棒と間違われるでしょう。きのこも探せばいろいろ取れそう。自分たちが行った時も、ひとかかえもあるマイタケを採ってきた人が、「今日はこれしか採れなかった」などと言ってましたw 自慢か!

ポイントは何か所かあるようです。きのこ園の方が軽トラで林道の終点まで送ってくれ、場所を教えてもらったので、まあそんな苦労もなくたどり着けました(きれいな道があるわけではない)。ヘルメットを持った、坑道の中に入るらしい集団もいました。鉱物が目当てなのか、地下探検が目的なのかはわかりませんが、なんでもかんでも「危険! 禁止!」ばっかりの今の時代、まだまだこういう人たちも活動できるというのは、何だかほっとします。きのこ園に戻ってきて、果物などをふるまってもらいながら、お話など聞くことができました。南会津に行ったらぜひどうぞ(まあそこまで行くのがえらく大変なわけだが)。

 

Aidukomagatake_01Mousengoke_01
左:檜枝岐の会津駒ヶ岳。右:湿原は、モウセンゴケの大群生地。赤い絨毯のように見える。

 

2022年9月23日 (金)

菫泥石(千葉県鴨川市八岡海岸)

kammererite(クリノクロア:clinochlore Mg5Al(AlSi3O10)(OH)8) 珪酸塩鉱物


Kammererite_youka_01

Kammererite_youka_02

 

千葉県八岡海岸で採集したもの。非常に小さくて細かいのですが、1枚目の写真には、美しい紫色のきらめく微結晶がなんとか見えると思います。

八岡海岸南の山(巾着山)では、大正9(1920)年まで鴨川鉱山が操業していて、ニッケルや銅などを採掘していたといいます(太海とか浜貝渚〈はまかいすか〉など、いろいろ地名が錯綜していてよくわからないのですが)。嶺岡オフィオライトといわれる構造で、この場所については以前「孔雀石(千葉県鴨川市八岡海岸)」でも書きました。蛇紋岩中のニッケル鉱床が採掘対象だったのではないかと思いますが、それならば、菫泥石があってもおかしくはないですよねぇ? この紫色と場所を考えあわせて菫泥石としました。ちなみにこの石にも、孔雀石がついています。

以前群馬のクロム鉱山あとである八塩鉱山で探し、なんだか石の一部が紫っぽいけどもしかしたらこれが菫泥石かなぁ? という中途半端な採集をしたことはあるのですが、まさか千葉で小さいけれども結晶質のそれ(かもしれないもの)を見つけるとは思いませんでした。でも顕微鏡で見ても、小さくて結晶形はよく判別できません。実は実体顕微鏡以外も、大昔の大きな木箱に入った顕微鏡があるんですが、出すのが面倒くさくてねw 実体顕微鏡に慣れてしまうと、そうでないものは、立体感が重要な鉱物では面白くなくて。。。

菫泥石は正式な鉱物名ではなく、クリノクロア(緑泥石)のアルミニウムの一部がクロムで置換された変種です(記事冒頭の化学式はクリノクロアです)。そのまんま、クロム緑泥石とも呼ばれます。ありふれた緑泥石の地味な緑(といっても拡大すればきれいなんですけど)と比べると、紫の鉱物はそうそうないですし、きれいで心惹かれますね。

 

八岡海岸そばには車を置けるような場所があまりないので、自分は少し山に入ったところにある魚見塚一戦場公園の駐車場に停めました(鴨川漁港にも駐車できるでしょう)。

面白い名前の公園ですが、石橋山合戦のあと千葉に逃げてきた頼朝が、ここで地元の豪族と戦った戦場あとらしいです。千葉の歴史の舞台といえば、頼朝関係と里見関係くらいしか見かけませんが、だからといって富山にある伏姫がこもったという洞窟が、なかば史実みたいな感じで扱われているのは笑いますw まあ江戸時代から聖地巡礼されてきたという意味では、歴史的遺物といっていいんでしょうけど、なんか腑に落ちないな。。。でもこういうの嫌いじゃない。ちなみに、嶺岡オフィオライトは富山近くまで伸びています。

 

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八岡海岸。鴨川鉱山は写真の右側にあった。右手の広い磯場はもしかしたら全部ズリ由来なのか?

 

2022年9月18日 (日)

???(埼玉県秩父市秩父鉱山)

???

 

000_chichibum_01

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秩父鉱山の大黒の河原で見つけたもの。最初ちっちゃな羽虫の羽かなんかがくっついているのかと思ったら、薄板状の鉱物でした。

なんだかよくわかりませんが、面白いので。。。写真を撮ってみると若干緑がかった半透明のように見え、真ん中辺はちょっと厚く、周辺部はとても薄くなっています。

毛鉱かブーランジェ鉱(あるいはその両方)と一緒になっているので、鉛(Pb)、アンチモン(Sb)、硫黄(S)などが絡んだもの、かなぁ? いくつかサイズ違いのものも見えますね。まあ、ありふれた鉱物の形状違い、表面に微細なブーランジェ鉱などが張り付いて、質感が面白くなった感じでしょうかね。推測でも名前をあげることができるほどの見当がつくわけではないので、疑問形でのタイトルです。

薄板状になる鉱物はいろいろありますが、通常は〇角形を基本とする形状になります。結晶というのは原子の格子によるものなので、当然といえば当然なのですが、原子レベルで曲線を基本とするものというのは、あり得ないのでしょうか(マクロレベルで曲線に見えるという意味でなく、基本構造において)。なんかこう、結晶化する際に原子レベルで原子そのものの重力による空間の歪みによって、曲線を描くとか、そんな感じのw というか重力ってなんだ。重力子ってあるのか。

自分は物理学は詳しくないので、SF的な空想をするしかないのです(というかそれが楽しいのです)。物質領域の世界をどんどん細分化していくと、物質世界の範疇ではなくなり、数学領域になる。つまり、思考・情報と物質が実は直接つながってるんじゃないか。。。とか。鉱物とは、物質界のものでありながら、その数学領域に直接つながる表象でもあり、すなわち情報・思考の物質化である。。。かっこいい。

ポーランドのスタニスワフ・レムの小説で、世界のオカルトな情報を体系化して、コンピュータにそのとんでもない量の情報をとにかくまとめてぶっこんでいったら、情報量がある一点を過ぎたところでポンっと全部消えて、かわりに1個の原子になって、その連鎖反応で多くの情報が消滅し、世界が滅んだとかいうのがあった気がします。つまりエネルギー=質量=情報であると(光速の二乗かなんかで変換式が書けるとか?)。こういうの、大好きですねぇw

レムは、最高のSF作家のひとりで、自然科学全盛時代の哲学者ともいえます。たまに小説というよりは単なる架空の歴史書か解説書じゃないか、というのもありましたが、実際、架空の書物の書評とかいう変なものまで突き進んでいきました。知識の求道者みたいなイメージがあります。タルコフスキーの映画『ソラリス』の原作者として有名ですが、映画は自分の書きたいものとは違うといって、否定的だったようです。まあそりゃ映画と小説が違うのは当たり前なんですけどね。映画監督は原作者の代弁者ではありませんから。でも、なんでもふにゃふにゃで受け入れちゃう自分は、こういう頑固一徹な態度は憧れますw

 

 

秩父鉱山といえば、坑道での事故(2022,7月)がありました。詳しい事情はわかりませんので、なんとも言いようがありませんが、まあそれほど大きくネットで騒ぎになったりはしませんでした。鉱物採集が撮り鉄みたいな贄の羊にされなくてよかったよ。。。あんまり無茶はしないでね、という感じです。自分は、暗いよー狭いよーこわいよーという感じで(古いw でもリメイクされるらしい。まじか)、坑道には入らないのですが、こういう事故は別に無茶しなくても、経験や知識、注意深い行動がそろっていても、いくらでも起こりえるものなので。でもこの事故ってほんとに鉱物目当てだったの? なんか違うような気がするけど。。。(まあしない人にとっては、なんでも一緒だけど)

まあこの話題はいろいろ書いていくと、世情に関する意見とか何かへの批判になってしまうので、ここでは書きません(書いたけど消した)。今の時代、言論の自由は大きく制限されていますので。。。

 

2022年9月 3日 (土)

磁硫鉄鉱(静岡県河津町河津川流域S鉱山)

Pyrrhotite Fe7S8 硫化鉱物

 

Pyrrhotite_izusm_01

Pyrrhotite_izusm_02

 

伊豆のS鉱山の下のズリ産。結晶の形、色などから、磁硫鉄鉱ではないかと思いますが、磁性はほとんどない感じです。ネオジム磁石を近づけてみても気づけるレベルの反応はなかったですが、まあどう見ても磁硫鉄鉱にしか見えないかなって。。。もし磁性がないことから磁硫鉄鉱の可能性が低いとしたら、ではなんなのか、自分にはわかりません。

磁性のない磁硫鉄鉱には、トロイリ鉱(Troilite)という鉱物があるそうなのですが、隕石中には普通に含まれているけれど(発見はイタリアに落下したAlbareto隕石から)、地球上ではまれなようです。でも結晶は見られず、粒状で磁硫鉄鉱などと一緒になっている(つまり簡単に磁性のなさを観察できるような状態ではない)そうなので、まあ一般的に見つけられるようなものじゃないですね。

まあ、磁性がとても弱い磁硫鉄鉱ということでいいんじゃないでしょうかw

奥山鉱山や土肥鉱山、あるいは溶岩中から少量は見つかるようですが、こんなちゃんとした結晶は伊豆ではなかなかないと思うので、そういう意味では結構珍しいかもね。ましてや、何があるのかよく分からない、鉱物採集の対象としてはほとんど知られていない場所だったので、鉱物としてはまったく珍しいものではないけれども、見つけたときはなかなかおーっという感じでした。写真映えしますし。

 

Kannonyama_01

S鉱山からほど近い観音山の岩峰群。伊豆東部火山群のひとつ、観音山東火山などの痕跡が残る。天城南端・登り尾山域の、伊豆の秘境。登ると非常に面白いけれど、かなり険しいし、多分クマいるよ。行かないほうがいいよ?(脅し)

 

2022年8月13日 (土)

白鉛鉱(山梨県甲州市鈴庫鉱山)

白鉛鉱 Cerussite Pb(CO3) 炭酸塩鉱物等

 

Cerussite_suzukuram_01

Cerussite_suzukuram_02

 

鈴庫鉱山の白鉛鉱ではないかと思います。あるいは、異極鉱とか? うーん、よくわかりませんが、TrekGEOにはここの産出鉱物として白鉛鉱があげられているので、まあ白鉛鉱とするのが一番無難かなぁ。

沢沿いにいくつもズリが連なる鈴庫鉱山ですが、少なくとも表面にはあまりめぼしいものは見つかりません。産出鉱物として挙げられている鉱物のリストを見るとなかなか魅力的なのですが、何度訪れても、おおっと思うものはないですね。

掘り返せば、いろいろ珍しいものもあるのかもしれません。昔はカニュク石で緑色に見えたとかなんとか聞きますが、まあおおげさに言っているんでしょうw 写真のものは目立つズリではないところで見つけたものです。よく探せば、まだいろいろ見つかる場所なんじゃないだろうかと思っているのですが。。。

竹森から林道を登っていくと鈴庫鉱山の入口がありますが、さらに登っていくと、坂脇峠。黄金沢鉱山、鈴庫鉱山、さらに北の雷川にある朝日鉱山をつないだラインに中低温熱水鉱床が走っているようですが、坂脇峠周辺にはところどころちっちゃなペグマタイトも点在していて、鈴庫山から坂脇峠に続く尾根上では、時々小さな水晶なんかも拾ったりします。石英の塊があちこち転がっているところとか、いきあうと実にわくわくしますね。大抵、すでに掘ったような跡があって、どれだけ捜索済みなんだよとw こんな地味な山域ですが、まれに登山者もいるみたいです。

現在のズリは山の南、竹森側にありますが、山の北側、滑沢側にも採掘現場はあったようですね。もしかしたら、時期によってはこちらが中心だった可能性もあるかもしれません。

地形図を見ると、坂脇峠の北、滑沢の上流域に家屋がいくつか描かれていて、塩山小屋敷という地名になっていますが、基本すべて廃屋のようです(現地に行ったことはない)。すでに廃村といっていいでしょう。現在滑沢の住民は一世帯のみで、少し下流にある滑沢キャンプ場の経営者です。竹森から鈴庫鉱山を登り、尾根伝いに滑沢まで歩いた時、その奥さまに少しお話をうかがったことがあるのですが、曾祖父?祖父?はもともと九州出身のミヤケという鉱山技師で、鈴庫鉱山の仕事のために滑沢に移り住み、ここで早くに亡くなったのだそうです。自分は鈴庫鉱山には行ったことはないけれど一度行ってみたい、やっぱりスズクラというからには錫が採れたのか? とのお話(錫はとれないと思いますと応えましたw)。

竹森から歩いてきたといったら驚かれましたが、山を越えればそれほど遠くないのだけれど、笛吹川沿いの車道を使うと、竹森(平沢)と滑沢ってえらく遠いのですよね。そりゃびっくりされるわけだ。。。

鈴庫鉱山の歴史はそれほど詳しくは分からないけれど、ネットで調べると「1935(昭和10)年より金・銀・鉛・砒素・亜鉛・硫化鉄カニュク石が採掘された。鉱業権は宮部武雄から日本鉱業(株)に移った。1950(昭和25)年に閉山。」とのこと(廃墟検索地図 https://haikyo.info/s/13510.html)。ズリの大きさを見れば、かなり大規模だったように思えるのですが、どうだったのでしょう。ちなみに滑沢はもともと1907(明治40)年の恩賜林への入植ではじまった(同上)と書かれているので、鉱山のための集落ではなかったようですが。。。

滑沢のさらに山ひとつ越えた雷川(朝日鉱山)については、全然わかりません。きれいなナメ滝の多いところみたいですが(滑沢は確かにそうだった)、沢登りが得意じゃない自分には、ちょっと無理かなぁ。。。

 

2022年7月23日 (土)

明礬石(山梨県北杜市増富鉱山)

Alunite KAl3(SO4)2(OH)6 硫酸塩鉱物等

 

Alunite_masutomim_01

Alunite_masutomim_02

 

奥秩父・増富鉱山の、透明な六角形の薄板状結晶。明礬石ではないかと思います。黄色いのは硫黄成分でしょうか? それとも明礬石そのものの色?

ミョウバンを採取した鉱石だから明礬石という名称です(Aluniteの語源はラテン語でミョウバンを意味する言葉から)。ミョウバンは紀元前の昔から現在にいたるまで、さまざまな用途に使われてきました。日干し煉瓦や陶器の材料から、殺菌作用を目的とした洗浄材、発色をよくするための染色材、浄水にも使われます。水の濁りの原因である微細粒子を凝集させ、沈殿しやすくします。理科の実験で経験のある人もいるのでは。

食品用の薬品として、一般に売られていますね。日本では、ナス(の漬物)の色素を安定させるために使われることが多いでしょう。他にもイモ類の煮崩れを防いだり、根菜類の歯ごたえをよくしたりするらしい。

アルミニウムは、ミョウバンから発見されました。アルミニウムという名前は、ミョウバンからきています。非常に軽くまるで銀のような輝きを持つ金属なので(日本では以前は「軽銀」と呼ばれた)、当初はかなり高価なものだったようなのですが、現在ではもっとも手軽な金属のひとつになりました。1円硬貨は、純度100%アルミ製です。

こんなふうに色々便利に使えるミョウバン(明礬石)は、火山性ガスや熱水により生成されることが多いので、火山の多い地域で多く見られます。もちろん日本も例外ではありません。伊豆の宇久須のソーダ明礬石は、ガラスの原材料として採掘されてきました(明礬石のカリウムがカルシウムに置換されたのがソーダ明礬石)。

 

増富鉱山の歴史は詳しくはわかりませんが、昭和の初期には硫砒銅鉱を中心に採掘が行われていたようです。明礬石が採掘の対象であったかどうかはわかりません。鉱物としては、銅藍が有名ですが、自分はルーペでもよく見えないくらいの、ほんの小さなものしか見つけられませんでした。ポイントが違うのか、もうそれほど残っていないのかはわかりません。

この近辺には武田信玄のころの金鉱跡もあちこちに点在します。増富鉱山跡のすぐ北にある金山(かなやま)という地名を見ればすぐわかりますね。金山には、現在金山山荘とキャンプ村がありますが、ここの裏山(魔子の山)の中腹には、信玄時代と言われる坑口、昭和になってから掘った坑口などが残っていて、さらに広大なズリも広がっています(ちょっと見てみたけど、増富鉱山とは石質は全然違うみたいで、銅の雰囲気は全然感じない)。瑞牆山に行くことでもあったら、ちょっと寄ってみるのもよいでしょう(周囲には魔子の山、五里山といった、とても静かだけど個性の強い小さな山が多い)。瑞牆山登山口の瑞牆山荘周辺は、休日ともなればちょっとした都会並みの人出になりますが、金山周辺は静かなもので、何だかほっとします。

(ネット上では、銅藍の増富鉱山と、金山平裏の金鉱がごっちゃになっているところもありますね。ややこしいなあ。須玉金山という呼び方もあるらしいです)

ちなみに、金山山荘の今のご主人の父君は、昔は増富鉱山で働いていたとのこと。当時はどんな様子だったんでしょうねぇ。もうちょっといろいろ聞いてみればよかったかな? ここのキャンプ場は今風のでなく、昔ながらといった感じで自分には居心地いいです。

あと、金山山荘の裏から金鉱跡に続く経路の途中に、小暮理太郎の碑、レリーフがあります。金山山荘の隣に以前は有井館という宿・そば屋があり、小暮理太郎や田部重治が常宿としていたといいます(2018年に営業をやめている)。確かに、小暮理太郎の秩父本には、当時の金山平の部落の写真が掲載されていますね。レリーフのある場所は、昔は瑞牆山、金峰山の眺めがいいところだったようですが、現在は木々が育って見通しはきかないけれど、美しい静かな森になっています。

 

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増富鉱山の遺構。

 

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左上:金山の昭和時代の金鉱跡。右上:金山の信玄時代のものといわれる金鉱跡
下:金鉱跡に行く道は、広いズリの斜面を横切ってつけられている。

 

2022年7月 9日 (土)

赤碧玉(東京都西多摩郡奥多摩町鋸山)

Red Jasper SiO2 酸化鉱物

 

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奥多摩・鋸山の赤碧玉です。マンガン鉱山のズリ中、あるいはそばの沢などでごく普通に見かけます。結構きれいなものも簡単に見つかります。碧玉とは、微細な石英の結晶の集まったもので、この辺は碧玉と見わけがつけにくいチャートも多い地域ですが、2枚目の拡大写真のように粗粒の部分もあって、すぐわかると思います。

透明感のある黄緑の部分はなんだろう。カリオピライトかな? 黒いのは軟マンガン鉱か、ブラウン鉱か、よくわかりませんが。。。

多分磨けばきれいになるのでしょう。日本でも古代から勾玉などの装身具に使われてきた、一応宝石の一種といっていいのでしょうか。色鮮やかな、という赤ではありませんが、落ち着いた、まさに古代という感じの色合いです。現代では透明感が重視されるけれど、古代では不透明で色の美しいものが好まれてきたような気がします。透明な水晶なんていくらだって見つけられただろうに、そういうものを使った古代の遺物ってあんまりないような気がするのですが。。。

基本的には目に見えないほど細かい石英の結晶の集合で、瑪瑙、玉髄などと同じですが、不純物が多いため、不透明でさまざまな色がついたものを碧玉という場合が多いようです。一般的な呼び方を以下にまとめてみます。

石英 Quartz(鉱物種名)
 ・肉眼で見える程度に結晶化したもの(顕晶質)
  ・結晶形がはっきりとしているもの:水晶 Quartz
  ・結晶形がない塊状のもの:石英 Quartz
 ・
肉眼では見えないほどの微細な結晶の集合した構造をもつもの(潜晶質)
  ・不純物が少なく(
半透明)模様のないもの:玉髄 Chalcedony
  ・縞状の模様があるもの(部分によって不純物の量は変わる):瑪瑙 Agate
  ・不純物が多く(不透明)模様のないもの:碧玉 Jasper

こんな感じで使われることが多いようです。なかなか難しいですね。。。

もちろん、自然物なので、分けようと思ってもどっちだ? というようなことも多いので、そんな厳密なものではないと思います。

 

ところで現在では 「碧」の字は「青・緑の石」という意味になります。色限定ですか。だとしたら、赤碧玉という言葉はちょっと無理やりっぽい感じがしちゃいますね。「碧」の字そのものは、甲骨文からありますが、三つの玉をつなげた装身具を意味する「王」、輝くという意味の「白」、そして「石」から構成されていて、青・緑といった色の意味は含まれていないと考えられます。字に色の要素が含まれたのは後の時代からでしょうか。あるいは「王」の字の三つの玉は、もともと青・緑の石のことを意味していたのか。

秦~漢代に成立した『山海経』西次二経 には「又西北五十里高山、其上多銀、其下多青碧・雄黄」とあり、わざわざ「青」をつけているので、「碧」の字そのものには色の意味は含まれていないように見えます。後漢代の漢字字書『説文』には「碧、石之青美者」とあり、色要素が含まれているように見えます(青は多分どちらかといえば緑のことかと思います)。うーん、どうなんだろう。

古代では、青や緑というのは、とても好まれたようですね。日本や中国、中南米でもヒスイは非常に珍重されましたし。
まだガラスのなかった古代エジプトでは、ファイアンスという陶器が盛んに作られました。エジプシャン・ブルーともいわれる、はるか古代への憧憬を湧きあがらせるような美しい青緑の陶器です。ファイアンスは、石英(珪石)と石灰(有機性のものが使われることが多かったらしい)、それに緑青(ろくしょう)を粉にして混ぜて焼いたものだそうですが、つまり、ブロシャン銅鉱の青緑色なんですね。

昔はどの国でも、青と緑の文字と実際の色の区別があやふやで、色の認識の問題かと思っていたのですが、そうではなく、単に青緑の色が一般的だったってだけなのかもしれません。今では色を認識するうえで、青緑をポイントにすることはなく、青と緑をまったく別の色として認識のポイントにしたうえで、その中間のどこかとして青緑を考えますが。。。もしかしたらその認識の原点は、信号の色? そういったささいなところから、人間の認識の割と深いところが変わってしまうのかもしれません。

 

2022年7月 4日 (月)

硫酸鉛鉱(群馬県甘楽郡下仁田町中丸鉱山)

Anglesite Pb(SO4) 硫酸塩鉱物等

 

Anglesite_nakamarum_01

Anglesite_nakamarum_02

 

下仁田の中丸鉱山で採集した硫酸鉛鉱です。

群馬県下仁田から長野県佐久に関東山地中を抜ける国道254号線、荒船湖の北あたりにあり、輝安鉱で有名な中丸鉱山です。最初、ズリできれいな劈開の石を見つけて、よく見もせず方鉛鉱かなと思い何気なく拾った石ですが、あとでよくよく見てみれば、確かに方鉛鉱の部分もあるのだけれども、多くは透明な草色になっていました。内側できれいな虹色に光っている部分もあちこちにあり、実にきれいなもんです。方鉛鉱仮晶ということになるのでしょうか。まるで宝石のようですが、モース硬度3なので、宝石にはなれません。

方鉛鉱が酸化して、硫酸鉛鉱になります(PbS+2O2→PbSO4)。写真中の銀色の部分が方鉛鉱でしょう。明確な境界で区切られ変化しているさまがよくわかります。金属質のものがこんな透明なものに変化するとは面白いですね。この境界はどのように決まるんでしょうか。まったくランダムなのか、成分の違いなのか、環境の違いなのか、興味あります。

屈折率が高い(1.88-1.89)ので、輝きが強く、虹色に光る部分が多いのもそのせいかな? 長波UVで、濃い目のオレンジ色に光ります。Anglesiteという名前は、イギリス・ウェールズのアングルシー島で1783年に発見されたことに由来します。アングルシー島では、ローマ帝国時代から、鉛や亜鉛、鉄などの採掘が盛んだったといいます。

この方鉛鉱と硫酸鉛鉱に接する感じで、小さな水晶がついていましたが、なんか違和感がある。。。光り方が水晶とちょっと違っていて、ガラス光沢と樹脂光沢の中間のような感じ。あと、頭の角度が水晶とちょっと違うような。水晶よりとんがりが小さい。

 

Anglesite_nakamarum_03

 

これも、色は全然違いますが、硫酸鉛鉱の結晶かと思います。こちらは長波UVで光りません。硫酸鉛鉱はさらに風化して白鉛鉱に変質するらしいので、もしかしたら白鉛鉱になっているのかもしれません。光り方、透明の質感などは、そういえば何となく白鉛鉱っぽい気もしますが、まあ分からないので、このまま硫酸鉛鉱ということにしておきましょう。

 

下仁田といえばまあネギでしょうが(コンニャクも特産品でおいしい)、2011年には下仁田町全域がジオパークに認定されています。妙義山や荒船山といった、低いけれど非常に特徴のある山もあり、鉱山としては中小坂鉄山もジオパークの一角とされていますね。そのおかげでちゃんと鉱山へ行く人のための駐車場まで作られているのですが、どうやらヒルでいっぱいらしい。。。江戸時代末期に発見された鉱床のため、幕末から明治にかけての歴史にも大いに関わってきます。

中丸鉱山のほうは、歴史はよくわかりません。八幡鉱山と呼ばれていた、1954(昭和29)年には野上鉱業によりアンチモンを中心に銅、鉛、亜鉛などが採掘されていたが、1955年1月27日に落盤事故があり、1959年(昭和34年)頃には閉山した、等々。いつ見つかったかは分かりません。時代を考えると、戦時中資源輸入が止まり、各地で小さな鉱山が探し出され採掘が行われましたが、ここもそういった小規模鉱山のひとつでしょうか?

自分は荒船山に行った時に、その途中ということで寄りました。坑口もズリもしっかり残っているので、なかなか面白いところでした。下仁田の道の駅はジオパークということで、鉱物の標本セットも売られていたのですが、その中に前回の川場・鉱石山の柘榴石も入っていました。でもいまいちの標本だった。もっときれいなの、すぐ見つかるのになぁ(こういうセットから興味が目覚めるってよくありますしね)。

 

2022年6月30日 (木)

灰鉄柘榴石(群馬県利根郡川場村川場鉱山)

Andradite Ca3Fe3+2(SiO4)3 珪酸塩鉱物

 

Andradite_kawabam_01

Andradite_kawabam_03

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灰鉄柘榴石の産地として知られる、群馬県川場村の鉱石山で採集したものです。群馬の名山、武尊山の南の端に位置します。

ここは母岩そのものが灰鉄柘榴石であることが多いので、晶洞を見つければ大体透明感のある結晶が見つかります(1枚目の写真みたいなもの)。大きい結晶は透明感がないものが多いですが(2枚目の写真)、すぐ見つかるし、時には数センチのきれいな形状のものがあります。これだけ大きな結晶を割と簡単に見つけることができるのは、今ではここくらいでは?

深緑色の結晶もありました(3枚目)。小さいですが、密集していて、きらめきが強くとてもきれいです。鉱石山というだけありますねぇ! 川場鉱山はスカルン鉱床で、石灰岩とマグマの接触による変成域です。だからカルシウム(石灰)と鉄を主体とした柘榴石。もしかしたら色の違うものは種類が違うのかもしれませんが、まあわかりませんので、ここでもっとも多いらしい「灰鉄柘榴石」としてまとめています。

麓の駐車場(川場スキー場の駐車場)から稜線近くの産地まで、そんなに距離や標高差があるわけではないし、半分以上は林道ですが、片側がずっと伐採地でまっすぐ登る道がずーっと見渡せるので、暑い日差しの日とかだとやたらときついですね。目的地の下の小沢に入ると、登山道っぽくなってきますが、沢はシダ類の天国で、ちょっと壮観ですらあります。

シダといえば、他の植物が生きていけないような重金属を多く含んだ土壌でも生育できるヘビノネゴザ(Asplenium yokoscense Fr. et Sav. 蛇の寝御座)は、金山草などとも呼ばれ、鉱山などではよく目にできるといいます(別に重金属が生育に必要なわけではない)。金属鉱床の探索には便利で、昔から指標にされていたようなので、見分けができるようになりたいのですが、なかなか難しいらしい。ちょっと写真を検索してみたけれども、他のシダ類とくらべてさっぱり違いがわかりません。普通の人より鉱山跡などに行っているわけで、多分何度も見ているのだろうとは思いますが。。。

 

Kawabam

 

ちなみに学名のyokoscenseは横須賀からつけられたものです。明治初期、医師として横須賀製鉄所にいたフランスの植物学者、ポール・アメデ・リュドヴィク・サヴァティエ(Paul Amédée Ludovic Savatier, 1830–91)が横須賀で見つけ、新種として発表しました。東アジアが原産のシダです。

そのシダいっぱいの登山道が水平道になり、鉱山の軌道のレールが出てくるあたりから、道の稜線側の草むらの中に鉱石が散らばっています。もともと大正時代から研磨材の原材料として柘榴石を露天で採掘していたようです(閉山は昭和42年)。レール跡は100m程度のごく短いもので、ズリを運んだらしいのですが、詳しくはわかりません。

でも、今でも鉱石は豊富に残っていて、時にかなり立派な水晶が見つかったりする、とても楽しい場所ですね。

 

2022年6月24日 (金)

ポクロフスキー石?(千葉県鴨川市八岡海岸)※

Pokrovskite Mg2(CO3)(OH)2 炭酸塩鉱物

 

前回の孔雀石(千葉県鴨川市八岡海岸)から続き。

千葉県鴨川の八岡海岸、鴨川鉱山のズリと思われる場所で見つけたもの。

繊維状の孔雀石のそばに、褐色繊維状のものを見つけました。これはなんだろう? よく見ると、色の濃い部分は光を反射して、思ったよりもきらきらしています。孔雀石が変質して、その形状のまま茶色の別の鉱物になったようにしか見えません。すぐそばに孔雀石がなかったら、見当もつかなかったに違いありません。

 

Pokrovskite_yooka_02

Pokrovskite_youka_01

 

孔雀石のグループを調べ、ポクロフスキー石という鉱物ではないかとあたりをつけたのですが、はたしてどうでしょう。。。孔雀石のグループの中で、褐色になるものはこの石くらいしかなかったからですが、自分もはじめて知った鉱物ですし、(日本語で)ネット検索してもあまり情報がでてきません。日本では、福岡県飯塚市の古屋敷というところでの産出が確認されているようです。ただし、古屋敷のポクロフスキー石は、アルチニ石に似た白色透明の結晶だそうですが(上原誠一郎・武田朋之「福岡県飯塚市古屋敷産ポクロウスク石」日本鉱物科学会年会講演要旨集、2014)。

孔雀石のCu(銅)が、Mg(マグネシウム)に置き換わったものです。鴨川鉱山では、嶺岡オフィオライト中の蛇紋岩を採掘してニッケルを精錬していました(銅も抽出していた?)。Mgは蛇紋石の主要構成元素ですので、ポクロフスキー石の材料は十分そろっている、ということになりますね。ちなみに、同じ石の数センチ横には、思いもかけず、菫泥石らしい紫の結晶もついていました(多分そのうち取り上げます)。母岩は蛇紋石ということになります。

ポクロフスキー石は、ロシアの鉱物学者、Pavel Vladimirovich Pokrovskii(Павла Владимировича Покровского, 1912-1979)にちなんで命名されました。カザフスタンの蛇紋岩地域で発見されたようですが、詳しいことはよくわかりません。デジタル鉱物図鑑には載っていませんので、本当にその鉱物かはわかりませんが、念のためちょっとデータを載せておきます。

ポクロフスキー石(ポクロウスク石)、孔雀石グループ、単斜晶系、モース硬度3、劈開完全、比重2.5。

 

千葉県は、以前は石なし県などといわれていたらしいですが、特に嶺岡地域はとても鉱物種が豊富で、驚きますね。全然石なしなんかじゃないじゃん。神奈川のほうが全然石なしです。。。

自分は顕微鏡で見るのが好きなので、現地でルーペだけで探すのは、かなり無理があります。はっきり何かを見つけた場合以外は、なんとなく怪しげな石を選んで持ち帰り、顕微鏡で探したりするのですが、こうなると頼りになるのは自分の「勘」ということになります。

「勘」というとずいぶんあやふやで頼りなげなものに聞こえるのですが、個人的には「直観」「勘」というのは、偶然、偶発性というのとはちょっと違うんじゃないかと思っています。目線の意識を集中させることのできる部分というのはとても狭いもので、ほんとに「点」でしかない。広い範囲からなにものかを探すのに、「意識」というのは効率が悪すぎます。「勘」というものを明確な手法として活用できれば、大変に便利なのではないか、と考えるわけです。

自分の印象では、視点を定めず、視界をぼんやりさせて、なんか気になった石を探す(自然と目に飛び込んでくる)、つまり「無意識」で探す、みたいなものじゃないかと思っています。それには、探す対象への知識や経験が意識の領域から無意識の領域にまで深まっている必要があると思うので、自分ではまだまだ全然足りないんですが。。。「自然と目に飛び込んでくる」というのは、偶然ではなく、精神的活動の発露なのですね。

それとちょっと似たようなものに、ユングとパウリの、意味のある偶然「シンクロニシティ」という考えがありますが、これは別にオカルト的なものではありません(オカルト的なものが悪いといっているわけではない)。人間の無意識が、偶発的な出来事のなかから自分に関わる「意味のある〈象徴〉」を見出そうとする、精神の方向性、みたいなもので、人間の精神の状態を表す言葉と考えています。「金」「賢者の石」を追求する錬金術を、人間の精神の象徴と考えたユングらしい、精神の内外の接触面を表現しようとした言葉ですね。錬金術じゃなんだか中世っぽいしウケが悪いので、より現代的に量子物理学要素を入れたと(これはギャグとして言ってるんですよ?w)。

けっしてただの言葉遊び、頭の中だけの概念・思考というだけでなく、鉱物を探すという実際の遊びにも活用できる考えなのです(これは半分はギャグで半分は本気)。確かユングの自伝には、河原かどこかでふと目に留まって拾った石がえらく気に入って、ずっと大事にしていたとか、そんなエピソードがあったような。。。(何十年も前に読んだものなので、ちょっと自信ない)

 


2023/2/12追記

写真追加。これも同じものかな? やっぱり丸い孔雀石(白いひげがついている)のそばに、緑の部分が茶色に変色したものが点在していました。色の付き方がちょっと違う気もしますが。。。

 

Pokrovskite_yooka_03

 

2022年6月20日 (月)

孔雀石(千葉県鴨川市八岡海岸)

孔雀石 Malachite Cu2(CO3)(OH)2 炭酸塩鉱物等

アタカマ石? Atacamite Cu2Cl(OH)3 ハロゲン化鉱物

 

Malachite_yooka_01

Malachite_yooka_02

Malachite_yooka_03

 

千葉鴨川の八岡(よおか)海岸は、湾の中にいくつかの小さな島が点在し、鴨川松島などといわれたりしています。北側半分を九十九里浜が占める千葉は、深く切れ込んだ湾などがほとんどないので、こういう風景はあまり見られないからかもしれませんが、正直わざわざ他県の名勝地である「松島」なんてつけるのはどうかと思わざるをえない。。。(全国に〇〇松島という景勝地はいくつもありますが、どこも同様に思います)千葉は千葉ならではの景色があって、たとえば屏風ヶ浦みたいなところはなかなか他にないですしね。松島的な風景としては、松島に到底かなうわけないんだから。。。

でもここは、さまざまな岩石が見られる嶺岡オフィオライト(「自然銅」(千葉県南房総市平久里川流域)の項参照)が海に面した地域で、鉱物もいろいろなものが産出します。自分的にはもうそれだけで松島よりレベル上なのだw

これはその海岸で拾った孔雀石。皮膜状だったり、こういうきれいな球状(小さい)で見られます。

海岸の南の巾着山にあった鴨川鉱山のズリ石が、海岸に散在しているようです。鴨川鉱山は、採掘した蛇紋岩からニッケルなどを精錬していたらしいですが、現在は、鉱山により山を崩されて平らになったところに、千葉県立鴨川青少年自然の家が建っています。こちらで当時の写真が紹介されています(jinomonta064のブログ)。

 

ネット上で検索すると、ここの孔雀石を採集した人はみんな、波が高ければ海水をかぶるであろう海岸沿いの孔雀石ということで、アタカマ石を期待していますね。自分も孔雀石を見つけた時、最初にそれを思いましたw でも、アタカマ石の写真を見ると、孔雀石よりはブロシャン銅鉱っぽい青みの入った深緑から黒っぽい色をしていて、どうやらこれは違うみたいです。繊維状のものもありましたが、どう見ても孔雀石にしか見えないなぁ。。。3枚目の写真の黒い球体は、孔雀石が変色したものでしょうか、これはアタカマ石ではない。。。ですよね? 後ろの薄青い皮膜状の部分は、珪孔雀石?

アタカマ石は、銅を含んだ石や岩が酸化してできる鉱物です。砂漠や海岸などでよく生成され、孔雀石と一緒になっていることが多いそうです。孔雀石があるということは、ここの石は銅を多く含んでいるということですが、自然銅、黄銅鉱などは見かけませんでした。どういうかたちで一次的な銅成分があるのかが、よくわかりません(ちなみに伊豆や丹沢でよく見かけるのと同じような、緑色の多分凝灰岩中に黄鉄鉱が入っている石はありました)。

海岸の山側のズリ状のところでばかり探していましたが、満潮になると海水につかるような、もっと海に近いところで探してみれば、もしかしたらはっきりとアタカマ石とわかるようなものが見つかるかもしれません。今度行ったらそうしてみよう。日本ではきれいな板状結晶などはほとんど見られないそうですが。。。

ところで、繊維状の孔雀石などもあったのですが、それに接してちょっと怪しげなものを見つけました。

それは、次回に取り上げることにします。

 

2022年6月11日 (土)

閃石類?(神奈川県南足柄市足柄山地)

珪酸塩鉱物

 

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閃石の類だと思いますが、まあよくわかりませんねw

神奈川県の足柄の山で見つけたものです。こういうきらきらしたいかにも結晶っぽいものを見ることはほとんどないところなので、ちょっと目立っていました。茶色く四角い部分もありますが、普通輝石とかかなぁ? 足柄山地の北側(御殿場線谷峨駅)は、普通輝石のいい標本が採集できた場所があったそうです(今はすっかり固められていたりして、ほとんど見つけられないそうですが)。

場所は、足柄山地中、日本の滝百選にも選ばれている洒水(しゃすい)の滝の上流部、滝沢川の周辺です。足柄山地は南の箱根と、北の酒匂川・鮎沢川にはさまれた、そんなに広くない地域。

現在では滝沢川上流域は、源流の矢倉岳以外、あまり人が入るようなところではありません。矢倉岳は地元のお手軽なハイキング先として(神奈川県西部では)有名な場所です。湘南のあたりから富士山を見ると、その下にきれいな三角形の山が見えますが、それが矢倉岳。南麓の矢倉沢の上流域・地蔵堂は、金太郎・坂田金時の故郷として知られていて、ほんとかどうか知りませんが、生家跡とかいうのもあります。今ではクマと遊んだ金太郎が育ったすごい田舎、というイメージですが、当時の東海道の本道(官道)は箱根ではなく足柄峠を通っており、峠のふもとの矢倉沢は街道沿いでした。富士山の宝永の噴火で荒廃しましたが、早急に整備しなおされ、前回書いた大山詣りの影響もあって、人の行き来も今よりずっと多かったことでしょう(矢倉沢往還という)。

万葉集にも足柄越えの歌が多いし、『更級日記』などでも結構詳細に足柄峠越えの描写がされていますね(『更級日記』には富士山が頂上から煙を出しているさまが描かれていたりして、当時の様子を想像できて面白い)。

現在では滝沢川上流部には登山道すらないですが、廃道跡を作業道にした? らしい沢沿いを登る道が残っていて、どうやら洒水の滝を越えて足柄峠方面に登る経路などもあったようです。江戸時代の馬頭観音が道沿いに残っていました(ちなみに石を拾ったのはこの道沿いです)。関所を通らずに山を越えて駿河と相模をつなぐ間道だったのかな? 文化二(乙丑)(1805) 年ですので、宝永噴火(宝永4〈1707〉年)から約100年後。今でも枝沢には富士山の噴火の名残であるスコリアがいっぱいに残っていて、噴火直後の当時どんな様相だったのか。。。

 

Asigara_02

 

このあたりはプレート移動で丹沢地塊が日本にくっついた後、伊豆・箱根地塊が押し寄せてきて、激しく隆起した地域です(今でも隆起中?)。この付近の山を歩いていると、断層のような地形を時々見かけます。下の写真は畑沢から鷹落場(山名です)に登る尾根上にあった、尾根を切る断層の表現と思われる場所。ズレてちょっとした二重山稜のようになっていますね。

 

Asigara_01

 

駿河小山周辺の山(極西丹沢南、足柄山地)に行くと楽しみなのは、道標です。手作りの道標で、そのアクの強さ、やたらとカラフル、自己主張の強さから、目を奪われますw

これは小山在住の、故岩田澗泉(たにいずみ)という人が作って設置したものです。このあたりの山によく足を踏み入れる人には知られていて、最近、それをまとめた本が出版されました。どんどん朽ちてなくなっていて、ちょっとさみしかったので、これはうれしかった(浅井紀子著、三宅岳(写真)『道しるべに会いに行く 丹沢・不老山周辺の岩田澗泉さんの道標』風人社、2020)。

岩田というのは昔からの小山周辺の名士の一族で、明治時代に小山町に富士紡を招聘したのも、岩田蜂三郎という人物でした(道標の岩田さんとの関係は知りません)。今でも駅と一体化したかのような富士紡の大きな工場がありますね。当時は富士紡ありきの町だったようで、人も多く、賑わっていたようです。山北周辺に水力発電所が多いのも、この富士紡の影響という側面があります。

何度要望してもきちんと登山道の整備をしない役所に腹を立てて、小山町町議会議員でもあった地元の山が大好きな岩田さんが、とうとう自分で道標を設置しだしたらしいですが、詳しい経緯については書きません。実際を知らないので。いろいろトラブルもあったみたいです。その正否についても書きません。

でも、この道標が大好きな自分としては、山に行って見かけるのが楽しいのです。今ではいかにも無味乾燥なとってつけたような「サンショウバラの丘」という名称になった場所(世附峠西すぐの、丹沢でも最高に気持ちいい場所のひとつ)も、岩田さんのつけた「樹下の二人」という名前のほうが好き。もうそこにあった道標は残骸のかけらしか残っていないけど。

木製の道標ですから、どんどんと朽ちてなくなりつつあります。朽ちていくままにしておくのがよいのでしょう。そういうもんだし。でも、「樹下の二人」っていう名前だけは、残っててほしいなぁ。

上記の本には掲載されていなかった、足柄峠近くにあった道標の写真をのせておきます。今でもあるかどうかは知りません。

 

Asigara_03

 

参考文献

筒井正夫『巨大企業と地域社会 富士紡績会社と静岡県小山町』日本経済評論社、2016
浅井紀子、三宅岳(写真)『道しるべに会いに行く 丹沢・不老山周辺の岩田澗泉さんの道標』風人社、2020

 

2022年5月27日 (金)

緑鉛鉱(群馬県沼田市戸神山)

Pyromorphite Pb5(PO4)3Cl 燐酸塩鉱物等

 

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あまり色がついていないけれど、緑鉛鉱で知られている産地なので、まあ緑鉛鉱だろうと。鉛系の六角柱の結晶はテンションあがりますね、まさに結晶って感じでw(理想的な結晶形はビア樽形) 石英などとは違うちょっと脂っぽい感じの樹脂光沢も、なかなか魅力があります。

語源は、ギリシャ語の「火」を意味するpyrと、「形」を意味するmorphです。熱を加えて溶かして冷やすと、再結晶するところからきています(1813年、Johann Friedrich Ludwig Hausmannによる)。

群馬県の沼田の街の北、鋭角にそびえるきれいな三角の戸神山では、16世紀ごろから金が採掘されていたようです。今でも坑口あとやズリが残り、とりわけ紫水晶で有名です。やっぱり水晶は人気がありますからね。。。探す人の多いきれいな水晶はそうそう見つからないと思いますが、ちょっとした紫石英ならば、そんなに苦労せずとも見つかります。登山道途中の祠の前にも、多分水晶を探しに来た人が置いていったと思われる紫石英がお供えしてありましたw 

山の南の神社(駐車場あり)から鉱山跡コースという登山道があって、急な岩場(難しくない)を直登して頂上に登れます。そんなに高い山ではないけれど、場所がよいので、利根川の流れる沼田の市街を見下ろし、上越の武尊山、迦葉山方面から、皇海山、赤城山、子持山、榛名山、浅間山と、非常に景色がよい頂上です。あと、やたらと人に慣れた小鳥がいますねw 人の手に飛び乗ってくる野鳥なんてはじめて見た。

鉱物が探せるポイントは山中いくつもあるみたいですが、自分はよく知らないので、本に載っていた登山道の途中からちょっとズレていける広いズリで、写真の緑鉛鉱は拾いました。

 

戸神山は信仰の山で、地元では石尊山ともいわれているようです。頂上には石尊山大山阿夫利神社の石塔があります。相州大山の子どもみたいなもので、なんとなく親しみがわきますね。

石尊信仰は相州大山からはじまりました。山岳信仰、修験道などの流れをくむものです。ある意味、はるか古代から続いてきたものが(神道や仏教にその都度取り込まれつつ)ずーっと形を変えてきた姿といえるかもしれません。大山詣りはかなり布教活動が盛んだったようで、大山講というシステムが作られ、そこから全国に広がり、各地に石尊山も作られていきました。戸神山もそのひとつでしょう。

大山詣りは信仰というだけでなく、江戸時代の観光という意味合いも大きかったようで、それも広まりの一因だったのでしょう。江の島、金沢、鎌倉という海沿いの風光明媚な観光地巡りもセットにされることが多かったみたいです(現在の金沢からは想像つきませんね。わずかに八景島だけが形を変えた観光地として残っているだけで)。当時の紀行文などを読むと、信仰というにはずいぶんはっちゃけた感じの人々の姿も垣間見られますw むしろレジャーという側面の方が強かったのかもしれません。

昔の行動や遺物などについて、「信仰」とか「宗教的」とか説明されるものって多いですが(なんだかよく分からないものはとりあえず「宗教的な」という形容詞をつけるみたいな?)、実はそれらの多くは、今のレジャーとか趣味とか気晴らしとか、そういったものだったのかも(昔はそういうものがあまりなかったみたいな固定観念がありませんか?) そういうふうに見方を変えてみると、なんとなく昔の事物や人々に共感がしやすく、理解が深まるような感じがしますね。

(参考:川島敏郎『相州大山信仰の底流―通史・縁起・霊験譚・旅日記などを介して』山川出版社、2016年)

 

2022年5月18日 (水)

鉄礬柘榴石(茨城県北茨城市華川町花園)

Almandine Fe2+3Al2(SiO4)3 珪酸塩鉱物

 

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Almandine_hanazono_04

Almandine_hanazono_02

 

茨城県花園の鉄礬柘榴石です。あまりこれというものが見つからない中、この柘榴石はなかなか大きくてシャープな結晶で、印象的でした。基本真っ黒で不愛想な見かけですが、ものによっては若干ザクロ色が入ったようなものもありますね。ごく小さい結晶ならば、3枚目のように透明感のあるピンク色できれいなのもあるようですが。

柘榴石はたくさんの種類がありますが、宝石のガーネットといえば、普通はAlmandineのことです。アナトリアの古代都市・アラバンダ(Alabanda)を由来とする名前らしいのですが、アラバンダは産地ではなく、宝飾品としての加工拠点で有名だったところです。産出量の多さ、加工しなくとも美しい結晶形、かなり大きい結晶が出ること、ものによっては透明で美しい深赤色をしていて、古くから宝石として親しまれてきました。日本でも、大きくきれいな形の結晶の産出地があちこちにあります(ただし宝石になるようなレベルのもの、つまり透明度の高いものは日本にはほとんどない)。ちなみに、鉱物弱小県の神奈川県ですら小さいけれど透明できれいなのが出ますw(微細な柘榴石を含む火山灰が県全域に広がっている)

その硬さ(モース硬度7~7.5)から、研磨剤として採掘されていたこともあります。一応宝石なのに研磨剤。。。ガーネットは、「身近な、ありふれた宝石」といえるかもしれませんね。

ところで、劇場版アニメ『時をかける少女』の主題歌にもなった、奥華子の「ガーネット」という曲があります。この曲の歌詞中には「ガーネット」という言葉が出てこないのですが、この「身近な、ありふれた宝石」というのがぴったりな感じの内容で、とてもいい曲だった。自分は奥華子はメジャーデビュー前からお気に入りでよく聞いていたのですが、結局彼女は大きくブレイクはしませんでしたね。でも好きな人にとって、そんなのはどうでもいいのです(本人にとっては大きなことでしょうけど)。音楽とは、それが好きな人にとっては、心に一生残り続けるものだし、音楽の価値というのはそこにこそあるものだから。

 

花園溪谷周辺には何か所かポイントがあったようなのですが、もうあまり人も訪れないのでしょうか、ズリ(だったと思われる場所)も雑草に埋もれてよくわからなくなってたり、林道だったと思われるヤブをかき分けたりと、結構苦労しました。まあはっきりとした場所の情報もないので、このあたりかなぁと何となく雰囲気に任せて探すわけですが、土地勘がまったくないのでもう運任せ的な? それでも、それらしい場所を見つけると、それだけでうれしくて、なんかやり遂げた感があって、肝心の石探しは割とあっさりとすませちゃったりします。

花園神社とその背後の山中の奥宮、なかなか立派な滝など、北関東の山はほとんど経験がないので、石が見つからなくても割と楽しめた記憶があります。茨城県なんて、石に興味なければ多分来ることなかっただろうし。。。(そういえば昔、那珂川にカヤックでツーリングに来たことがあったことを思い出しました)

この辺の沢とか見て回ると、いろいろ見つかりそうだなぁという感じですが(思ったより険しそうな気もしますが)、多分地元の人はくまなく探し回っているのではないかと思います。ほとんど知られていないポイントとかもあるんだろうなぁ。

茨城県北部はさすがに日帰りでは遠いので、花園溪谷のキャンプ場に泊まりました。ここからだと、各ポイントを周るのにも便利でした。でも、他県ナンバーの車は自分たちだけだったと思うw ですよねー、そんな派手な観光地ではないので。でも結構居心地はよかったかな。

 

Hanazono

花園川の様子。渡渉してこのヤブ山のなかを探したw

 

2022年5月 8日 (日)

灰鉄輝石(長野県川上村甲武信鉱山)

Hedenbergite CaFe2+Si2O6  珪酸塩鉱物

 

Hedenbergite_kobushim_02

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甲武信鉱山の代表的な産物のひとつ、灰鉄輝石です。

ここではcmレベルの大きな結晶がごく普通に見つかるので、とても感動するのです。大きなものほど透明感がなく、黒色の柱状結晶になります。小さいものは緑がかった透明感のある結晶の束になっていることが多いです。

 

この前湯沼鉱泉に行った時、電気が止まっていて、真っ暗でしたw

最初は行く予定ではなく、廻り目平でテントを張るつもりだったんですが、ここは奥秩父・金峰山や小川山などへの登山口であるだけでなく、岩系の人たちの聖地みたいなところでもあって、いつも混んでてにぎわってるんですよねぇ。確かに居心地のいいところです。いっぱいでもう入れなかったので、それじゃあと湯沼鉱泉に行ってみたら昼なのに中は真っ暗。。。(それでも宿泊している人はいたらしい)

それで駐車場にテントを張らせてもらいました(もちろんそれなりのお礼はしてますよ)。おそらく阿鼻叫喚であっただろう廻り目平と違って、実に静かなものでした。ねこやご主人が様子を見に来たりしてw そもそも千曲川の最上流域にある川上村は、標高1200mを越えた高所ですので、夏の居心地は最高なのですよね。

次は普通に泊まりたいですが、正直いつまで営業しているか心配ではあります。

甲武信鉱山近辺は、奥秩父でもほとんど人の訪れない地域で、山登りとしてもちょっと興味があります。下の林道から稜線まで尾根伝いに行ってみたことがあり、岩稜や、ちょっと試しで掘ってみたような跡があったりと、なかなか面白かったのですが。。。標高を上げると、シャクナゲのヤブになってきて、おそろしくやっかいで時間がかかるので、途中であきらめて沢沿いのジグザグの鉱山道に下りたことがあります(下りるのもルート探しが必要ですが)。

シャクナゲのヤブというのは、まあとにかく最低最悪のヤブで、個人的にはその意味でハコネダケ(箱根あたりに密生しているササ)と双璧ですかねw 絶対先に進めさせないぞという強い意志を感じます。花はきれいですけどね。。。

一番上の坑口まで行くことがあったら、そのまま稜線まで割とすぐに登れるので、石探しの合間に行ってみるといいかもしれません。長峰とその北の1978峰(険しい岩のピークなので登るのは大変かも)の間に、地形図にも出ていない小さな岩の突起があって、眺めもよくていいお休みどころになっています。

 

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甲武信鉱山の上の稜線から、左:金峰山、中央の低い鞍部:八丁平、右:小川山と屋根岩。

 

2022年4月29日 (金)

方鉛鉱(山梨県甲州市黄金沢鉱山)

Galena PbS 硫化鉱物

 

Galena_koganesawam_03

Galena_koganesawam_01

Galena_koganesawam_02

 

鉱山跡に行くと割と目にする機会の多い方鉛鉱です。劈開が完全で、割れた面が滑らかできれいな平面になります。立方体を基本とした形に割れやすいので、角がシャープで、とても見栄えがします。鉛の鉱物で比重も大きく、持つとずっしりしており、感触もなにやら特別感がありますね。鏡下では時に大伽藍のような姿を見せます。

この方鉛鉱は黄金沢鉱山の下のズリで採集したもの。上のズリのように洋紅石、ミメット鉱などの珍しいものはないけれど、ずっと広くて鉱石も多く、結構楽しいのですよね。そこらへんに落ちてる石を無造作に取り上げて割ると、大抵きらきらしてきれいだし。方鉛鉱、硫砒鉄鉱、黄銅鉱、閃亜鉛鉱、孔雀石などが多いようです。最初、上のズリのことを知らなくて、何度か下のズリでいろいろさがしていました。

方鉛鉱は、古代からよく利用されていたために、採掘もされていたようです。その主な利用法は、鉛の鉱石として、さらに、銀の鉱石として、金銀の精錬用の鉱石として、使われていました。

鉛を含む鉱物は他にも白鉛鉱、青鉛鉱、緑鉛鉱、紅鉛鉱、褐鉛鉱などがありますが(色シリーズを並べてみましたw)、産出量はそれほど多くなく、紅鉛鉱にいたっては日本でまだ見つかったことはないのでは。その点、方鉛鉱はいろんな場所で簡単に大量に見つかりますので、鉛の鉱石といえばメインは方鉛鉱です(白、緑、硫酸鉛鉱などは鉱石として採掘されているところもあるようです)。大抵、閃亜鉛鉱も一緒にとれるので、鉛・亜鉛鉱床と一緒くたにして扱われることが多いです。

また、方鉛鉱には銀がごく少量含まれています。特に含有量が多い場合は、銀鉱石として採掘されていました。対馬では、自然銀を採りつくした後は、方鉛鉱を銀鉱石として採掘していたそうです。

さらに、金銀鉱石から金や銀を取り出す灰吹法で使用する鉛の材料としても使われていました。

灰吹法は、非常に古くからある金銀の抽出法で、ウルク文化(BC4000~3100年頃)後期の都市、現シリアのハブーバ・カビーラ南遺跡ですでに行われていた痕跡が残っているらしい。この現在知られているなかで世界最古の都市のひとつとも言われる遺跡は、古代メソポタミアのウルクとほぼ同時期の都市で、同所を手本として作られたとか(ウルクからユーフラテス川の上流約900kmのあたり)。方鉛鉱から銀が抽出された跡が見つかっているようです(近くに銀を多く含んだ方鉛鉱の産地がある)。(詳しく知りたい方は、小泉龍人『都市の起源』(講談社新書メチエ、2016)をどうそ。自分は読んでいないので、とりあえず「らしい」と紹介するしかできません)

日本では大分遅れて石見銀山で灰吹法が行われたのが最初とも、飛鳥時代にはすでにその痕跡があるとも、いろいろ話があるようですが、自分には判断する知識がありません。

いずれにせよ、方鉛鉱と人間のつきあいも、ずいぶんと長いみたいですね。

それにしてもメソポタからとはびっくり。最初にこういう方法を見つけ出した人は、一体どうやったのだろうと、いつも不思議に思います。最初に偶然そうなってしまってから考えたのか。方鉛鉱の割ったばかりの時の輝きを考えれば、どうにかしたら銀が生まれそうと考えるのは、まあ納得できるんですが。というか、そもそも、金や銀に高い価値が生じるという点からして、よく考えれば、それほど自明でもない気がするんですよね(それが当然である世界にいれば、特に不思議にも思いませんが)。だって、宝石は硬いからこそ価値があるとされているのに、金銀は柔らかいですし。。。

知識の発展、技術の開発も大事だけれども、人間にとって一番影響が大きいのは、金銀には価値があるという「価値観」を生みだしたパラダイム創成であるのかもしれません。(「パラダイム」という言葉はあまり使いたくないのだけれど)

 

資料:
冶金の曙」http://homepage1.canvas.ne.jp/e_kamasai/Metallurgy/yakin/index.html
国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構自然起源放射性物質データベース」https://www.nirs.qst.go.jp/db/anzendb/NORMDB/1_datasyousai.php

 

2022年4月17日 (日)

種山石?(埼玉県飯能市岩井沢鉱山)

Taneyamalite (Na,Ca)Mn2+12(Si,Al)12(O,OH)44 珪酸塩鉱物

Taneyamalite_iwaizawam_01

 

種山石。。。ではないかと思うのですが、はたしてどうか。。。

岩井沢鉱山といえば、ぜひとも見つけたいのがこの種山石。熊本県の種山鉱山と、岩井沢鉱山で発見され、1981年に報告された日本産のマンガン系の新鉱物です。黒緑から茶褐色の繊維状で、脈状に分布することが多いが、種山鉱山のものは鉄分が多くて黒味が強く、岩井沢のものはマンガン成分が多くて黄色が強いとか。

日本では、他にも四国のマンガン鉱山等で産出しますが、日本以外ではアメリカのカリフォルニア周辺でしか見つかっていない珍しい鉱物です。種山石よりも数年前にアメリカで発見されたハウィー石(Howieite: Na(Fe,Mn)10(Fe,Al)2Si12O31(OH)13)という鉱物の仲間ですが、こちらも種山石とほぼ同じ場所でしか見つかっていない鉱物です(こちらは岩井沢では確認されていない?)。

何かは分からないのですが、繊維状ではないが似たような色合い(透明度さまざま)の箇所(大抵脈状に入っている)も多く、ちょっと自信ないですけど。。。

 

子どものころ西武沿線に住んでいたので、奥武蔵は行きやすいということでよく訪れていたのですが、その後引っ越したり山に行かなくなって長いこと離れていました。最近は石への興味もあって、ちょくちょく行くようになったのですが、何となく懐かしく感じたのが、地面を踏む感覚でした。もちろんあちこちから見える武甲山の姿も懐かしい(でもこんなに削れてなかったような記憶。。。)のですが、地面を歩く感触が、たとえば丹沢や奥秩父、伊豆なんかとは全然違うんですよね。言葉にしようとすると難しいのですが、なんとなく乾いているのにじっとりとしていて滑りやすい感じというか。。。ようするにこれはチャート系の感触なんですね。奥多摩なんかでも同じ感触があります。

歩く感触が、その地域の岩質で明らかに違うというのは、間違いなくあるんですが、あまり聞きません。花崗岩の感触と、伊豆の白浜層の岩の感触の違い。。。三浦半島と千葉の鋸山は似てるとか。。。言葉にしずらい、数字で表現できないもので、鉱物の光沢の違いに似ているかもしれない。光沢の表現というのも、なんというか、わかるようなわからないような。。。けっこう謎なところがありますよね。なめて味で判断の一助にするとか、もしかしたらあるんだろうか(まあこれはやらないほうがいいと思いますがw)。触感の違いというのも役にたちそうな気がしないでもない。

もしかしたら犬系の動物だったら、匂いで地域の差、地質の差などを感じているのかもしれない。そのあたりをうまく表現する方法が見つかると、便利だし面白そうですが。。。他人とその差を共有することがはたしてできるのか。

でも、色というのも、はたして他人ときちんとその差異を共有できているのか。左右の目で色がちょっと違って見える人もいますし、自分は左右の耳でかなり聞こえ方が違います。

こう考えていくと、実は人によってまったく認識する世界の姿が違うのではないか、すべての人のコミュニケーションは勘違いによって成り立っているのではないか、という疑問すら出てきてしまうので、ここで話を中断しておこうと思いますw

 

2022年4月 6日 (水)

透閃石?(山梨県南巨摩郡身延町本栖湖周辺)

透閃石 Tremolite ☐Ca2(Mg5.0-4.5Fe2+0.0-0.5)Si8O22(OH)2 珪酸塩鉱物
緑閃石 Actinolite □Ca2(Mg4.5-2.5Fe2+0.5-2.5)Si8O22(OH)2 珪酸塩鉱物

 

Tremolite_motosu_01

Tremolite_motosu_02

Tremolite_motosu_03

 

透閃石とか緑閃石とか、その類ではないかと思うんですが、まあはっきりとはわかりません。

あんまり緑っぽくないし、以前緑閃石は書いたことがあるし、透閃石にしたいかな? まあそうかもしれないことにしとこうかな? 的な。でもきらきらとした繊維状の様子は、なかなか立派です(小さいですが)。酸化して茶色くなってしまっていますが、それもまた趣きがある。

鉄分が少ないと透閃石、鉄分の量が増えると緑閃石になりますが、当然これは分析しないとわかりません。茶色に錆びているところを見ると、これは鉄分が多いのだろうか。だとしたら緑閃石としたほうがいいのかもしれませんが。。。まあいいやw

採集したのは、本栖湖畔・川尻鉱山そばの沢を少し上流に登ったあたり。これがついていた石は黒く緻密でかちかちに硬く、泥質ホルンフェルスのような感じ。鉱山のズリ跡、坑道付近ではまったく見かけない石です。沢では、鉱山産の鉱石様の石は一切見られません。地質図を見ると、「海成層 泥岩 前期中新世後期-中期中新世付加体」とのことなので、多分泥岩が変成されたものなのでしょうか。鉱山跡はすぐそばですが、玄武岩質となっていて、ちょうど地質の境界になっているみたいです。

泥質のホルンフェルスには、菫青石、紅柱石、珪線石などがよく見られるそうです。変成の温度、圧力によって、生み出される鉱物が変わってきます。この石も拡大すると、きらきらした結晶が表面にいっぱい見えますが、なんなのかよくわかりません。とても柔らかいところを見ると、上記の鉱物ではなさそうですが。。。

他にも、黄鉄鉱か黄銅鉱らしき、きれいな円形皮膜状にへばりついた金属光沢の部分も見えます。これは一体どうやって生成されたのだろう。場所によっては多分黄銅鉱が酸化したのか、鮮やかな紫や青に光っているところもあって、にぎやかな石です。

 

Pyrite_motosu_02

 

鉱山跡などから鉱物を探すのがまあ一般的なのでしょうが、個人的には、鉱山というわけではないごく普通の山の沢の石から面白い鉱物を見つけるほうが好きです。なんということもない粒子状ほどの小ささの結晶でも(たとえそれが黄鉄鉱とかごくありふれたものであっても)、思わぬところから見つける方が意外性があって、楽しいです。でもここではこれが産出する、という情報がないので、同定するのが難しいのが困るのですよねぇ。。。

やはり鉱山というのは人為的なもので、それはそれで面白いし楽しみ方も大きいのですが、人の手によらず風雨で山が崩れて沢になり、岩が露出してそこから自然に珍しい鉱物が顔を出す。。。というほうが、自分の好みということなのでしょう。別に変らないだろうと言われても、好みなのでいかんともしがたいのですw 鉱山というのは山を深く掘り、傷つけるものですからね。山の神さまを傷つけているような気もして、いまいち気持ちがもやもやする感じ。

沢には、山の侵食物がすべて集まります。基本的に、沢で石を探すのですが、ポイントがよく分からない時には、上流に向かって遡りながら、分岐ごとに石を調べて追っていったりすることもあります。

現在では堰堤のない沢などほぼ存在しないので、なかなかうまく追っていけないことも多いのですが、この堰堤そのものも、なかなか面白いのですよね。びっくりするような険しいところにも、いろんな堰が作られていて、びっくりします。時代もさまざまだし、石積み、木製、石と木の合わせ技、スリットダム(スリットで、大きな岩だけをせき止める)など、その種類の多さには目を見張るものがあります。ダムを見て回る趣味というのもありますが(ダムカードとかありますよね)、堰堤というのも、そういう対象に十分なりうるものだと思います。

台風などによる土石流の防止機能を担う重要な施設というだけでなく、土砂流出しなくなることによる川原や海浜の消失というような面など、自然と人間の活動のバランスの難しさを感じさせるという点でも、もっと注目されてもよいのではないかと思います。

石に飽きたら、堰堤の写真でも撮って回るのも面白いかなw

 

2022年3月26日 (土)

菱苦土石(埼玉県秩父市秩父鉱山)

Magnesite Mg(CO3) 炭酸塩鉱物等

 

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Magnesite_chichibum_02

 

秩父鉱山・道伸窪のそばの沢で見つけたもの。面が湾曲していて、爪のような形状が特徴的ですね。

菱苦土石、苦灰石(Dolomite: CaMg(CO3)2)、菱鉄鉱(Siderite: Fe(CO3))のどれかではないかとかなり迷いました。色、形状、モース硬度、劈開などは、3つともほぼ変わりがないので、なかなか判断がつきかねます(秩父鉱山では全部産出するとのこと)。

冷希塩酸でほとんど反応が見られないこと、温希塩酸で発泡すること、溶液が無色であったことなどから、菱苦土石としました(苦灰石は冷希塩酸で発泡する。菱鉄鉱は溶液が黄緑色をしているとのこと〈藤原卓編著『必携鉱物鑑定図鑑』白川書院、2014年〉)。ちなみに長波UVでは蛍光しませんでした。

菱苦土石も菱鉄鉱も、方解石の仲間です。「苦土」はマグネシウムのこと。わかりやすい名前ですね。

上2枚の写真は同じ石の違う部分。ほぼ菱苦土石の塊です。

下の写真は同じ場所で採集した、違う石についていた菱苦土石。

 

Magnesite_chichibum_03

 

透明で白い地は方解石です。こちらも湾曲した菱形の結晶ですが、大小さまざまの球状に寄り集まっているのが特徴です。

どちらも石英、方解石、黄鉄鉱等が一緒についていて、特に3枚目の石では黄鉄鉱の双晶があちこちにくっついているという。。。なんかもうさすが秩父鉱山としか言えない。

 

菱苦土石(Mg(CO3))のMgが、Feになると菱鉄鉱(Fe(CO3))になりますが、自然界では「100%」「0%」というのはほとんど存在しないと思います。必ず他のものが混じっているもので、この菱苦土石も結構多くのFeが混じっているのかもしれない(黄鉄鉱〈FeS2〉が共存しているわけだし)。詳しいことはもっと信用ある資料で「固溶体」について調べてもらったほうがよいですが、ほとんどの鉱物の種類というのは、かっちりしたものではなくグラデーションになっていて、あやふやなものと考えたほうがよいのでは、名前をつけること(レッテルを貼ること)ははたして正しい認識方法なのか、などとたまに考えたりします。

「自然」というものは、もともとあやふやなのがデフォルトであるといえるかもしれません。「数字で表せない科学」「計算できない科学」というものが、現実では当たり前にあると感じます。科学において計算できるのは、計算できるように事象を限定しているからで、本当はありのまま計算せずに捉えることができるような方法があればそうしたほうがいいだろうし、むしろ計算することによって本質から離れてしまうことだってあり得るのでは。。。

 

「レッテルを貼る」というのは、人間関係では明らかに否定的な意味合いを含んでいますねw 相手に「〇〇主義者」などというレッテルを貼りつけて(その人の思想がどの程度その主義と重なっているかどうかは関係ない)、そのレッテルを批判することで、相手の言論を封じるという議論の仕方をしている人をよく見かけます。というか、「〇〇主義者」などという言葉は、いい意味でも悪い意味でも、そういう使い方しかできないものです。それは個人ごとに必ずあるグラデーションをスミベタで塗りつぶしてしまう。いやだねぇw

今では、その反対の意味であるはずの「多様性」という言葉ですら、使われすぎて、なんか「〇〇主義者」と似たニュアンスになってきてるような気がするのだ。

ということで、今回はキーボードが走りすぎて書いてしまったけれども、こういう「個人的意見」はできる限り書かないようにするのが一番ですねw 自省。。。

 

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